上野の西洋美術館でやってる, フェルメールとレンブラントというやつ. 期間は 7/4 から 9/24 なので, もうおしまいなわけだが.
もうおしまいってことで, ものすごく混んでた
この展覧会のコンセプトは, まあ, オランダ絵画ですよ. スペインから独立して独自の市民社会を形成してゆく中で, 画家のクライアントはそれまでの王侯や教会からブルジョワになり, 彼等の需要にしたがって, オランダの絵画も独自の発展を遂げる, ちょうどその頃の作品が主になっている.
今回の展覧会とテーマ的に関連をもつ, 東京近郊で行われた展覧会としては,
がある. 特に, 後者は今回の展覧会で扱った時代に直接的に先行する 時期の, 同じ地域の画家を, 関連するジャンルで取り扱ったもので, かつ, 非常に重要な作品が多数閲覧できた, 素晴らしい展覧会だった.
世界風景画と呼ばれる, 鳥瞰的に山から谷, 農地, 街, そして川が海へ注ぎ, 御丁寧に水平線まで描かれている, 作られた風景から, 人間の視点をもった, 今日のわしらが風景として想像するような 風景画への移行が起きる, 重要なステップの一つが今回の展覧会で示される.
風景や静物といったジャンルが発生するのは, 顧客の好みや要求もあるが, 画家の分業も見逃せない側面らしい.
当時メジャーだった画のジャンルは, 受注金額からいっても, 見る人の人数から言っても, また, 権威からいっても, 教会の注文と, 政府 (王侯) からの注文だったわけだ. 教会や政府の注文というと, つまり, 宗教画, 歴史画である. 宗教上の大事件や歴史上の大事件, あるいは教訓的な場面を でかい画面にずどーんと描いたものが, メインストリームだ. 今で言えば, 「NHKスペシャル」みたいなものだろうか. 例えが ちょっとセコいか.
当時の画家ってのは, 屋根裏でシャブ中になりながら 天才がミミズののたくったみたいな画を描いてる, という今の画家に対する イメージとは全く違い, ちょうど今の漫画みたいにスタジオで分業してやってたわけだ. 漫画というよりは, 街工場といったほうが良いかな? 大工, 靴, 印刷, 鍛冶などと並んで, 画家のギルドがあり, 画描きになるには工房に丁稚で入って修行した. そういうわけで, 背景専門とか小道具専門とか, 服専門とかいろんな人が居たらしい.
風景や静物は, だから, メインストリームな画のなかでは補助的な存在なのだ.
だが, たとえばイタリアにおける権力の主流と オランダにおけるそれは, 宗教も政治形態も違っていた. オランダに発生した 普通の市民 (職人とか商人とか) の自宅を飾るのに, 「ホロフェルネスの首を取るユディト」とか そういうのが相応しいとは言えまい.
こうして, 取るに足らぬもの, いままで脇役に甘んじていたテーマが 前面に登場する. だまし画的な, ちょっとシャレの効いた静物画や, 自国の風土への愛着, あるいは異国, といってもアルプス以北にとっての 異国とはすなわちイタリアのことなのだが, 異国の風景への憧憬が, あるいは家族の肖像や宴会の場面などが, 市民の求める画の題材なのだった.
主題の移行は, 工房が既に分業されていたために 容易だったというのが, 美術史の解釈である. 制作者側には, そのような注文に答える, (むしろ, そのような注文を 誘発する, と言った方が良いかもしれないな) 体制が既に完成していたのだ. また, 分業体制による描写技術の向上には凄まじいものがある. 静物画の, 幻覚と見紛う (というのも字面の上ではおかしな書き方だな) ばかりの精密な描き込みはぜひ実物を見て欲しい.
こうして, 超越的なものから人間を主体にした絵画の時代が やって来たかに見えた. 「写実的であること」の意味は, 今の絵画とはやや目指すところが異なっていて, 観客を欺くところにその重点があったりするわけだが, いずれにせよ, そのような超絶の技巧で描かれた 静物画は, リアルであるがゆえに人気を博した. こういった主題の画は目新しかったので, イタリアにも 大量に輸入されたらしい.
しかし, 1670年代に北海の覇権をイギリスに奪われてからは, それとともにこういったオランダ風景画の前衛性も, 失われて行ったらしい. 諸行無常 とはまさにこれ.
そうそう, 展覧会の本体といえば図録だが, 今回の図録も充実してるぞ! 掲載されてる論文も面白いし, 図版の印刷も優れているし, 装丁もかっこいい. これで 2500円は安い! でも, ハードカバーでちょっと重いかも.