近況 - 2000/10/12


2000/10/11

9 時に起床

朝食にソーセージ(チョリソ)のチャーハン.

10h40m から, 学部生相手に不完全性定理の授業. 前期の復習として不完全性定理が証明された前後の 数学の事情などを喋り, 定理の意義を説明するうちに 指導教官が来る.

12h10m ノートパソコンをネットワークに接続. M-x irchat と メールの inc と cvs update -d. メールを見てから, 「日本の Linux 情報」関連の仕事をちょっとやる. lpr の穴の記事を書く.

13h フランスから Richard Zuber 氏が来日. すっかり知合いなので, 気安い感じ. 彼のアカウントは, 一時的に disable しといただけなんで, 復活させる. login の仕方と logout の仕方, Netscape Communicator でメールを inc する方法を教えるが, ネットワークが混んでるのか何だか知らんが, POP で inc できない. ナゾ. いよいよおかしいときは, またしても ethereal の世話にならざるをえまい. あーあ.

Alonzo Church の Introduction to Mathematical Logic という本が, 当時 (20世紀初頭) の事情に詳しいらしいので, 読む. protothetic について, 幾つか新しい知見がある. 掲載されている式が tautology であることを確認するのに, 早くも自作 elisp が素晴らしい威力を発揮. つうか, 役に立つプログラムがワシにも書けたというのは, 昔, 情報処理の演習で, 際限無きボケナスとして 動かないままのコードを提出して以来, プログラミングの才能はゼロだと 思っていただけに, ちょっと嬉しい.

17h 妻から研究室に電話. 19h から銀座で飲むことになる.

18h ボスと雑談的に研究について喋る. そのままボスの部屋に 19h まえまで拉致される. ボスは, 次から次へと思い付いたことを喋るので, なかなか帰れないのである. ボスはワシよりも 偉い ので, 「んじゃ」とかいって帰るわけにもいかんのだ. ま, ヤクザで言えば 組長 みたいなもんじゃからのう.

18h50m チャリで学校を出発. そのまま銀座までぶっ飛ばした方が早いことに気づき, 電車に乗るのを止める. 国道 1号を桜田門まで走り, そこから右折して銀座へ.

19h25m 銀座着. 六本木あたりからの渋滞は凄まじく, 当然, 空気も酷い. 店に入ると, 妻とその友達が居る. ビールをコップに 1/4 ほど飲み, あとはずっと水を飲んでた. 「チャリで来た」というと, 呆れられる.

刺身盛り, さつまあげ, マグロステーキ, キノコのてんぷら, 芋煮, 菊のおひたし等.

引続き, 喫茶店. エスプレッソ. うまかった. 妻は ミルフィーユなども喰い, 食べすぎて苦しむ. あいかわらず, 加減知らんのう.

22h55m 銀座発. 国道一号はアレなので, 日比谷通りから田町駅前, 品川駅前, 五反田から第二京浜で自宅へ. 所要時間は 20分.

23h15m 駅で妻を待ちぶせ. 出て来たのは 23h30m すぎ. 15分も差がつくかね. 電車の存在意義ナシですな. 電力つかって, 何やってんだか. (←大得意).

01h30m ペットボトルのジャスミン茶が切れたので, 涌かし, 寝る. いつも 2リットルのペットボトルに, 涌かしたジャスミン茶を入れとくのである. ウチでは, 通称「タダ茶」と呼ばれている. タダ同然の値段で飲み放題の お茶だからである. ペットボトルは, だいぶ茶渋がついて茶色いなあ(笑).

キレ時

以前, あるメーリングリストで質問をしたら, かなりむかつく返事を一通だけもらったことがある.

そういう無礼な返事をくれたのは一人だけで, あとの方々からは, アホな質問にも関わらず, 親切で丁寧な返事をもらった.

どうすべきか, じっくり考えたあと, 丁寧な返事を書いた.

その判断は正しかったと思う.

しかし, ムカっと来たときに, 直ちに, それをはっきりと伝え, 場合によっては実力を行使した方が良い場合もある. 世の中の大部分はスジガネ入りの馬鹿であり, 言っても判らないし, 相手のことを思いやる余裕も想像力も無い奴が ほとんどだからだ.

その判断基準はどこに求めるべきであろうか? どうやら, 意志疎通が可能であるにも関わらず, それが不十分だったために, 誤解などが原因になってトラブルを生じている場合などは, 絶対に我慢した方が良い.

しかし, そうでない場合は, 断固とした態度を取るべきである. こういう場合に曖昧な対応をすると, 将来にわたってトラブルないしは 後悔を残すことになる.

しかし, 人間, なかなかそう都合良くキレたり冷静だったりするわけには いかんのですな. つまり, うっかりキレちゃったり, 逆にビビってしまったりするわけでして.

実戦格闘技(笑)

試合と実戦(ってそもそも, 何だ?) は関係ない概念である.

実戦にはルールが無いとか, リングが無いとか, そういう問題ではない. 試合 (昔の決闘も含む) とリアルファイトは, 異なるというよりは無関係な概念なのだ.

試合は競争だ. その目標は勝利である. また, 試合はフェアでなければならない. 参加する者は, できるだけ良い条件を整えることが認められ, また, 要求される. 公平な状況で勝利を競うのが試合だ.

一方, 実戦は, そんな条件とは何の関係も無い. まず, 目標は全然別のところにあり, 実戦状況は単なる手段ないし通過点だ. つまり, 相手の財産が欲しかったり(強盗とか), 政治的な目的があったり(暗殺とか), するわけだ. それから, 実戦では, アンフェアであるほど良い. 自分が武装していて, 相手が丸腰なのは良いことだし, 自分が多勢で相手が少数なのも良いことだ. 自分は準備完了で相手が油断しているのも良いし, それらが全部揃っていれば最高だ.

なのに, なぜ「どの格闘技が実戦的か」といった, 馬鹿げた議論が未だに存在するのだろうか. 実戦の経験が無いか, あってもそれを 反省することができないのだろうか.

いやいや, かならずしもそればかりではない. 封建時代の決闘に対する郷愁を断ち切るのは, 近代人にもなかなか難しいということだろう. あるいは,「フェアな実戦」という, 範疇錯誤的存在は, カテゴリを超越することによって 詩的なものに到達する可能性があるということか. 真に奇跡の名に値するためには, 単に事象の確率の低さなどではなく, 論理的に存在不可能なものでなければならないのと, これは相似な構造である. なるほど一つの奇跡であってみれば, 魅力的な存在なのは 自明だ. 要するに, それは純粋に詩的な存在なのであり, 実在にはカスりもしないのだ, という限界が忘れられがちだということですかね.

2000/10/12

10時起床.

都心を自転車で走るのは, 2 ないし 3日に一回にしないと, 呼吸器が, というか喉が, つぶれてしまう. しかも, サングラス/ゴーグルは 必須だが, それでも眼が痛い.

それはそれとして, 空気の問題を除外すれば, 都心でチャリでぶっとばすのは, 車の間のすり抜けがあって, 実は非常に楽しいのだ. 都心でスピードを出すには, 良いチャリと体力だけでは不十分であり, 自動車の動きを読んで, 一気に隙間を抜けるというのが重要だ. いくら良いチャリで無限の体力があっても, 大人しく歩道を走っていては全然スピードが出せない. ま, 霞ヶ関周辺は別だが(例外的に, 歩道の方が走りやすい).

時々自動車と同等のスピードまで加速し, 180度くらいの範囲を 全部いっぺんに見ながら, 安全でスピードが出せる進路を判断するのは, なかなか楽しいぞ. 車スラロームだ.

こういうことをやってるとそのうち事故るな. 絶対.


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