ちっこい大名行列


突然ですが. . . なんとなく, だが, 対象が考えているかどうかという問題は, 対象に関する問題だけではなく, 「対象が考えている」と認識するプロセスの中にも存在すると思う. というより, 対象に関する問題ではないと思うんですよ.

つまり, 自己の投影じゃな. それが可能かどうかは, 対象だけではなくて, 本人の問題でもあるわけですよ. イっちゃった人が, 机の上のケシゴムのカスに話かけたりするように.

人工知能が可能かどうか, ってのは, なんか, そのへんも考えないといけないような気もするんですよ.

関係ないかもしれないが, 何かが人工物かどうか, という問題も, なかなか興味ぶかいことである.

わしには, これもまた, 自己の投影可能性と 無関係では無いような気がするのじゃ. 人工物ってのは, 対象ができるプロセスに, 自己の投影が可能性なモノが 本質的に関わっているということなのではなかろうか.

火星のピラミッドが人工物かどうか, という問題は, 火星人に自己投影が可能かどうか という問題と本質的に同じでしょう. もし火星人が, なんかバクテリアみたいなもんで, それが光合成とかをしきりにやってるうちにピラミッドができちゃった 場合は, そりゃ人工物とは言えないわけでして. でも, じつはそのバクテリアどうしに, なんかよく解んないネットワークがあって, その結果としてピラミッドができた場合なんかは, けっこう微妙だよな.

自己投影可能なものと, そうでないものの境界は, わりと自明な場合も多いし, 自明でない場合も本質的に問題にならない場合も あるが, けっこう深刻な問題を引き起こす場合もある. これに絡んで, 世間でどういう問題が発生しているか, は, まあ, わしなんかよりも皆さんの方がよくご存知でしょうけれど.

自己投影可能性は, 別に物体じゃなくても構わないわけで, たとえば, 記憶とかイメージだって, 感情にとっては個物として認識される (英語風に言えば, identify される)場合がある. とすると, それに対して何等かの形で自己が投影されることがあるわけです. たとえば, 幽霊とかね.

自己投影可能性にかぎらず, 世界の見え方には個人によってどんなに差がありうるか, ということを実例に基づいて見せてくれる, ナイスな本が 箱崎総一「空間と情緒」 ISBN4-306-05166-8 なぜか鹿島の SD選書 (コルビジェのとか, 建築関係の本が一杯).

何かが理解可能かどうか, という問題も, 自己投影可能かどうか, という問題同様, 見る方の問題である. 説明の論理性や正確さと, 理解しやすさが どんなに無関係であるか, 20世紀の(ある種の)数学を勉強した人なら嫌と言う程思い知っているはずだ. いや, 別に, こういう例は数学にとどまらないのだが, 一番身近なのがね. ウヒヒ.

話はとぶが, ピンクの象ってのがアル中の幻覚の定番なのは, アメリカだっけ? つうか, アル中って幻覚みるのか? まあいいや.

これに対して, 日本の定番はちっこい大名行列だと聞いたが, 本当か?

こう, 酒がキレて, ダメまってくると, つっぷしている床の上を, タタミのヘリに沿って, ちっこい大名行列が「したにー」とか言いながら進んで行くものらしいんですが. 誰か見た人居ます?

いいねー. ちっこい大名行列. ピンクの象なんかよりもずっと詩的だよね!(←?)


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