ゲームみたいに与えられたものを消費するだけよりも, 作る方が面白い. つうか, コンピュータはプログラムを書かないとすぐ飽きる. つまんねえよ. え?コンピュータってのは, そもそもそういうつまんないものなんだって? しょうもないコード書いて喜んでいるお前こそがタコだって? いやまあ, そりゃそうなんですがね. いやでもね, 寅さんじゃないけど, お客さん, 「それを言っちゃあおしまいよ」 ってやつですよ.
つうか, コンピュータってのは, 売ってるプログラムを買って来て 再帰動じゃなくて再起動しながらテキトーに使っておればよい, というものではないのだ! そういう考え方は間違っておる! ドン! (床を踏み鳴らす音). しかし, 何がどう間違っているのか, 説得的な議論を自分で 展開できないので権威ある人を召喚しよう.
どの計算機プログラムも, 現実あるいは精神の過程の中で生み出された 一つのモデルである. (中略) 精神の中と, プログラムとして表現された機構の計算機上での絶えざる進展 およびそれから生成される認識の拡大によって計算機のプログラミングが 楽しいものになっている. 芸術が夢を解釈するものであるならば, 計算機はプログラムに姿を変えて それを実行するものである.
「プログラムの構造と実行」序文
むふふ. K&R とはまた違ったプログラミング文化だな. つうか, プログラミングは楽しいですよ?
とはいえ, そういうのもいいかげんで飽きて来た. やっぱりずっとやってるとね. ただねー. わしはやっぱり再帰が好きだなあ. 理由は, なんか得した気になるから. だから, データも再帰な LISP 系は, まじで楽しいです. 昔は LISP はマジで嫌いだったのだが, 何がきっかけでこうなったんだっけ? 思い起こせば, 去年の年末くらいからだ. シチュー HOWTO とか馬鹿なものを書いてる時に, 入門してるぞ.
次は何をやろうかなー. "hello world" で止まってる (正確に言うと, 「挫折した」) 言語なら山盛りなんだがね.
しかしエスプレッソの作り方だが, こりゃほとんど茶道的なめんどくささがある. そこで, 俺は考えた. 湯は予めヤカンで沸騰させとけばいい. これでだいぶ素早くなった. 後かたづけもめんどくさいが, これはしょうがないなあ. しかしこれだけ強烈なものを毎日飲んでると, 何かありそうな気がするな. ショートピースをモクモクとどっちがアレかな. エスプレッソはアッパー系のドラッグだが, こういうのって効かなくなるからのう. それで肝臓だけは疲労するという.
肉体に入って来たアレげな物質は, 結局全部肝臓が処理しているのである. アルコールをはじめとして, いろんな飲み薬も, 鼻から吸い込んだ有機溶媒も, 全部肝臓が処理するのだ. 肝臓は, アレげな物質を一手に引き受けているので, 肝臓が一旦悪くなったらもう立ち直れないのだ. 何故なら, 肝臓が悪くなって, 毒の処理能力が落ち, 毒のおかげで体調が悪化する. そのため更に処理能力が落ちる, という いわゆる一つの再帰的な危機に陥ってしまうからである. この, 再帰的に定義された危機は, しかしながら永遠に続くわけではない. その端っこを止めているのは, 言うまでもなく 死亡状態である.
イタリアで飲んだアイスコーヒーは, かきごおりにエスプレッソをぶっかけたようなものだった. 日本のようなアイスコーヒーは存在しなかった. 「サンドイッチとアイスコーヒーで良いや」, てな感じで 頼んだら, 「本当にアイスコーヒーでいいのか?」ってしつこく 聞くから, 「さっさと持って来い」みたいなことを言って 出て来たのを見てびっくりさ. 小さなショットグラスみたいのに砕いた氷が入ってて, それに エスプレッソがぶっかけてある. 「飲物」ではないのだ. どうもみたところ,「ユンケル」あるいは「リポD」みたいな位置付けらしい. それじゃあ昼飯が喰えんから, 結局水も頼んださ. でも, アイスティーはあるんだぜ. 日本と同じようなのがね. といっても, 氷を詰めたコップにドバっと注いだ, ペットボトル入りのリプトン紅茶だけどな. そうだな. ちょっと作ってみるか. イタリア式のアイスコーヒー.