登りました


鳥海山のレース、一日め

今年3戦目、登り2戦目のレースは秋田県、鳥海山のヒルクライムである。

矢島町というところがスタート地点で、どういうところかというと、 鳥海山の裏側の奥地である。 そこまでたどり着く事すら容易ではない。 朝7時前に起きて8時すぎの電車に乗り、向こうに着くのが 3時すぎである。 秋田新幹線というのに初めて乗ったよ。

せっかく買ったので、レース前のアップで使うべくローラー台を 事前に宿泊先に宅配で送っといた。

秋田新幹線というのは、なんと盛岡まわりで行くのである。 盛岡といったら岩手県だ。俺の日本地図では栃木から北は空白地帯であり、 海を隔てて北海道、という感じなんだが、 盛岡はその中でも非常に奥の方として認識されている。 どえらいこっちゃ。

電車はらくちんじゃのう。乗ってりゃ目的地に着く。奥地だろうがなんだろうが 関係なしじゃ。金さえあれば、電車が一番楽じゃ。

秋田から在来線で本庄まで行く。海岸沿いで良い眺め。 本庄から、松本電鉄島々線みたいな由利高原鉄道というのに乗って、 やっと矢島町である。 途中はなーんもない田舎だが、 駅前の広場にはチャリ野郎どもが集結しており、 テント張ってる奴も居て俄に活況を呈している。

わしらの第一目標はレースなのであり、 参加受け付けをまず済ませる。 ゼッケンと参加賞をもらった。参加賞は米だ。 ぐはー、重い。

駅前の食堂でまずい親子どんを食ってから、宿泊先の佐藤さん宅へ向かう。 矢島町には宿泊施設が少なくて、レース参加者全員は泊まれないので、 一般家庭に泊まるというゲリラ作戦があるのだ。 これがなかなか有効で、というのは、田舎のデカい家は、 そこら辺の宿泊施設なんかよりずっとデカくて豪華で快適な作りなのである。

荷物を置いてコースを下見に行く。 ところが、道を間違えて、レースで下山に使うコースを走ってしまった。 全然ダメじゃん。明日がおもいやられるわ。 下見の帰りにスーパーでオレンジジュースなどを購入。 これはレース直前の起爆剤である。

佐藤さんちに戻ってめし。トンカツ。妻が残した分も食って 身動きできなくなるまで食った。明らかに食いすぎ。 コースの下見も全然違うところ走ってるし、もう、全然ダメですな。勝つ気があるとは思えませんな。 走る前から、既に心理的に敗北してますな。 まぁ、本人、とりあえず雑誌に名前が載るくらいの着順が取れりゃ良いや、と思ってました。 半分以上観光目的です。

風呂はいって寝る。明日は 6時すぎから活動だ。もう寝るしかないね。グー。

鳥海山のレース、二日め

6時すぎに起きる。朝飯。前回、美ヶ原では朝飯食いすぎてゲロはきそうになって 全然調子が出なかったので、その反省から、 ゆっくりよく噛んで食べ、飯は茶碗に2杯とし、妻が残したモノに手を出すのもやめた。 俺は、自明な過ちはしても、同じ過ちは繰り返さないのだ。これを学習という。

8時に選手(良い響きだ。笑)は集合ってことなんで、自転車に空気を入れる。 俺のタイヤはイタリヤ製の最強の製品であり、最強すぎてすぐ空気が抜けちゃう弱点があり、 レース前に空気を入れ直さないといけないのである。 これが携帯ポンプしか持って来てないので並大抵じゃない。 気合いと根性で 8.5bar 投入。

妻のも空気を継ぎ足す。薄い超軽量チューブなので、やはり空気が抜けてやがった。 合計 4本のタイヤに 8bar まで携帯ポンプで空気を入れると、 いくら俺が無限の体力の持ち主といえども、やはりかなり疲れる。 では、出陣じゃ!佐藤さん夫妻に挨拶して、出発。

会場の周囲をグルグル走り回ってる奴が居るので、俺もそれに混じってアップ。

選手集合地から正式スタート地まで、地元中学のブラスバンドを先頭に、 パレードがある。 顔見せだ。 おお。 まるでヨーロッパのレースみたいじゃねぇか。 スタートはクラス別。 そこまでボトルに入れたオレンジジュースを持って行く。スタート直前に飲み切り、 ボトルは置いて行く予定。

雨が降り出した。サングラスをはずして頭の後ろにまわす。 スタートで俺の隣に並んだ人が、やはりチームユキリンらしく、はなしかけられた。 名前は失念。そろそろスタートだ。ジュースを飲み切って、ボトルはスタートゲートの下に置いた。

俺の5分後に MTB のクラスがスタートする。 MTB の奴に抜かれるのだけはヤだなー、 と漠然と思いつつ、メーターをリセットしてスタート。

最初は平地だ。しばらく行くと、雨が激しくなって来た。 先行の巻き上げるシブキがすげぇ。ま後ろに付くと走れない。 靴もあっというまに洪水である。

右急カーブだ。こういうところがあるから、集団の前の方を走ってないとダメなのだ。 十分減速したが、リアが滑べり、ギョっとする。思えばこのタイヤで雨に乗るのは 初めてだ。

コーナーを抜けたところで、後ろから「ガシャーン!」 絶対、ヤル奴が居ると思ったよ。ロードレースでへたくその 後ろを走るのはタブーなのじゃ。その点、前に出て来る奴は、それなりに走れる奴だから、 ある意味安心というのもある。今日みたいなコンディションではコーナー前では 減速が激しいので集団内部で「減速行列」ができちゃって、 しんどい、というのもある。

登りが始まった。集団はあっというまに縦長にのびてゆく。 20km/h くらいになれば、後ろに付く意味は空気抵抗という点からはほとんど無くなるからな。 ここで、傾斜が緩くなったところでアタックする馬鹿が居た。 きつくなったところで吸収。こいつは馬鹿な奴で、その後何度も傾斜が緩くなったところで アタックし、その度に吸収されていた。 しかし、もし傾斜が急になったところで出る奴が居たら、それは絶対に逃しちゃいかん。

中間地点までに先頭集団は 10人くらいになる。中間地点はしばらく平地が続く。 先頭交替しつつ40km/h くらいで行く。

標高 500m くらいから雨が激しく、霧が出て来た。カーブが右に曲ってるのか左に曲ってるのかすら判らない程の霧だ。 傾斜もきつくなり、先頭集団は 5人くらいに。 なんか脚も心拍も余裕がある感じで、一発いったろか、と思うが、 その頃、徐々に腰が痛くなって来てやめる。 立ち漕ぎして治す。みんな座って登ってるところで俺だけ立ち漕ぎしてるのも ミョーであった。 息が落ち着くのをまって仕掛けようと思ったらまた下り。

そうこうするうちに「あと 2km」の表示が。 なんだよ。これじゃ何もしないうちにレース終っちゃうぞ。 5人でゴールスプリントか? しかも登りゴールで? 何たるチキソ! 許しがたい。

俺は結果がどうなろうと、一発仕掛けることにした。 この作戦が間違いだったことは、最後の登りで判明する。 残り 1km の表示でボトルを捨て、立ち漕ぎでアタック! あっというまに後続を引き離す。 この時、俺は俺の脳内でランス(*)になっていた。 俺のペダリングピッチはおそらく 120rpm に達していたであろう(当社比)。 残り 500m の表示で後ろをふりかえると、必死の形相の追走集団。 「勝ったね。」と思ってふと前を見るとすげぇ激坂。なんじゃこりゃー!

ここで落ち着いてじっくり登ればいいのに、無理して立ち漕ぎし、 カーブ二つほど登ったところで、速攻でイッパイイッパイになってしまいました。 登れませーん。 尻上げて漕げども後輪がスリップしたりして。 ちゅうか、今さらシフトダウンしてもとっくに脚は終ってるって。 心拍 200 くらい行ってるって。 脳内の俺は、うってかわってカウンターアタックを食らって撃沈するウルリヒ(**)になっていた。 そして、ゴールまで 200m くらいんところでゆっくり 3人に抜かれました。 ふにゃふにゃ〜 すなわち 4位でゴール。なんのために 25T で回して、脚を残してきたのか。 いと愚かなり。

実際、走ってる本人が「お。俺って今、トップグループじゃねーの? まじで?!」てな具合では、勝利などおぼつかない。 今にして思えば、スタート時点での「5分後にスタートする MTB や女にだけは 抜かれないようにしよう」などという後向きなメンタリティでは 勝ちに拘った走りなんかできるわけがなく、このようなヤケクソのアタックで自爆は必然の理である。 まぁ、糸魚川や美ヶ原で思う通りの走りができず、俺って実は遅いんじゃねーの? みたいに自信を無くしてたので、しょうがないか。

教訓:勝つべくして勝つっ! (ざわざわっ)

ゴール地点も猛烈な雷雨で、そこで無念のスイカを食いまくる。 若干ハンガーノック気味でもあったのでな。 しかし、早くゴールすると下山までが長いのじゃよ。 予め預けておいた荷物を受け取り、妻のカッパを出して着る。 40分くらいして妻が登ってきた。 結局1時間以上、集中豪雨のゴール地点でぼーっとしてました。 腹に静脈浮いてる状態で集中豪雨んなか、ぼーっとしてるのも、 なかなか辛いものがある。低体温症にかかる者がいてもおかしくない状況だ。

やっとリタイアとタイムアウトを乗せたバスが来た。 さぁ下りじゃ。バスに乗って降りることもできるそうだが、 登って来たら乗って下らねば!

下ってゼッケンプレートと交換に昼食(オニギリと豚汁)をもらい、 受け付けで訊いたら表彰は 3位までってことらしいんで 4位が貰えるのは名誉だけであることが判明し、 さっさと帰宅することに決定。 スタートゲートに置いた水筒を探したが見付からず、佐藤さん宅でシャワーを借りて、 荷作りし、由利高原鉄道で鳥海山をあとにした。

レース中に猛威をふるった集中豪雨で電車が止まっており、 東京にたどり着くのはけっこう大変だった。 おまけに東京も壮絶な雷雨で、ウチの近所はドブが道まで溢れて洪水状態となっており、 翌日は保健所の職員なんかが来て大変だった。

今回は勝てなかったが、俺はやっぱり速いということが判ったのでよしとするか。 試合は勝つために走ろう。 これからは、もっと頭を使おう。 みんながどれくらい脚を残してるか、見るためにお試しアタックくらいしよう。

2002/08/05

たいしてしんどくないので普通に午前中に出社。するとみんなで使っているサーバ (このサイトを置いてあるマシソ)のディスクが飛んだらしく、 わしサイトもそれどころかホームディレクトリや SSH 公開鍵も消滅している。

それから仕事で出先に。そのまま妻のサングラスを持って上野のメガネ屋に行き、 ヒビの入ったレンズの交換を頼む。

そういえば、昨日のレースの成績が貼り出された掲示板で、上の方に俺の名前を見付けた時、 何か懐かしい感じがした。それが何だったのか、今判った。これはアレだ。 受験時代、模擬試験の成績優秀者欄に掲載されたりした時の感覚だ。

人と競争するという相対性に立脚した価値観は貧しい。 俺は自分が走りたい奴と走りたいところを走りたいから走るという、週末の チームユキリン峠部会の方が好みだ。 つまりあれだ。人類が獲得し得る身体能力を探るための、 その絶対的な尺度への一時的なリファレンスとしてのみ、 レース活動は俺にとって意味を持つ。

しょうもないガイドブックどおりの旅行が受験勉強だとすれば 空白地帯をうろつく探検が研究である。 では、自転車競技における空白地帯とは何であろうか。

判った。自転車競技における真髄は、結果(すなわち着順)にあるのではない。 着順などという人間的なセコい相対的尺度は、このスポーツの本質ではない。 コースや自分の脚に合わせて練る機材の設定、 チャリンコとしては全く非常識なスピード、 だましあいとひっかけ、そして力の無い奴を置き去りする歓喜、あるいは追撃される不安。 これは実に濃厚な時間であり、非常に楽しい。 このプロセスにこそ自転車競技の真髄は存在する。

そうであれば、 着順というよりも、日々のタイム差の蓄積を競うステージレースという形式は、 なるほどこのプロセスを数値化しやすいスタイルである。 7分という膨大なタイム差はチャンピオンの偉大さを なかなか雄弁に物語っている。


(*)ランスLance Armstrong。 当代世界最強の自転車乗り。 1999年からずっとツール・ド・フランスに勝ち続けている。

(**)ウルリヒ Jan Ullrich。 ランスがアメリカ製サイボーグなら、 こいつはドイツ製サイボーグ。現在、世界第二の自転車乗り。この二人に比べると、あとはザコ。 去年のツールで、ウルリヒは何度もアタックしたが、いっぱいイッパイになったところで ことごとくランスにカウンターを食らい、ブっちぎられた。


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