けんちゃん


映画

久々に、ビデオで自転車レース以外のものをみた。 覆面ピッチャーが出て来て阪神が優勝するというアレ。

おお。バース出とるやんけ。マジかいな。

ちょうど阪神が優勝したとき、わしは大阪に居たという。 右翼が街戦車で六甲おろしかけながらやってきたという。 ヤクザにキンタマにぎられ、 機動隊に放水され、川にとびこんだという。 そういう年だった。 あれからもう17年か。 いまだに優勝記念タオルがうちにあるぞ。

けんちゃん

わしもいろんなバイトしたもんだが、 当然、家庭教師もけっこうやった。 わしに教わる生徒というのも悲惨な気がするが、 実際はそうでもなく、 それどころか、 親にも生徒にも、非常に評判は良かった。 ただ、時々忘れて来ないことがある事以外はな。

最初にやったのが、けんちゃん、当時小学5年であった。 知能は高かったが、 モロ、小学生男子でかなり馬鹿な奴だった。 休憩時間中は、必ず 俺にドロップキックその他プロレス技のやり方を教えてもらいたがり、 けんちゃんが俺にサソリがためをかけてるところに ちょうどお母さんが入って来てカナーリ気まずかったりした。 あれが逆だったらクビだったかもしれぬ。

けんちゃんは、そういうやつだから勉強なんか大嫌いで、 俺も仕事するのはヤだから、 あんまり全然勉強を教えなかった。 というか、勉強させるのは至難のワザだった。

新しい事をやらせてちょっと難しいと、 「わからん。無念じゃ! ドバ!」 とかいって、鉛筆で切腹して机につっぷして動かなくなってしまう。 奴は暴れん坊将軍が大好きで、夕方の再放送を、欠かさずみてるのだ。 「さっさとヤレよコラ!」 とかいうと、 「俺、死んでるんだから、先生、話かけないでくれよ」 とかいって、断固として動かないのである。 当然、俺は脇をコチョコチョするわけで、 「死んでるくせにじっとしてろ」。 「復活の呪文を唱えてくれたら、復活するんだけどな」 「何だそれ」 「えー!? 先生、復活の呪文もしらねーのかよ?」 「知るかよ」 「ベホマだよ。ベホマ。」 「判ったよ。言えばいいんだろ、言えば。べほま」 「ダメだよ先生。もっと気合い入れて唱えてくれよ」 「気合いってどういう気合いだよ」 「べほまー!!!!! こんな感じだよ」 「おまえ、十分復活してるじゃねーか」 年中そんなことをやってるわけです。

とにかく、すぐ切腹しちゃうので、 俺がつい 「おまえ、ミシマユキヲかよ」 というと、 「誰?それ」 「切腹が大好きで、おまえみたいに切腹の話ばっかりしてて、 しまいに本当に切腹して死んじゃった奴さ」。 けんちゃんは、そんな三島がよほど気に入ったらしく、 授業(?)が引けたあと、かあちゃんのところに鉛筆掴んだままダッシュしていき、 「ドバッ! ミシマユキヲー」 母ちゃんは、すげえ嫌がってた。 あれもかなり気まずかった。

小学5年生だと、子守であるから、まぁ、それでいいのだが、 もう一人のけんちゃんは高校生、しかも慶応付属で大学進学がかかる、ともなると、 アホやってるわけにもいかないわけで、 こっちはかなりまじめに教えた。

だいたい、成績が悪い奴ってのは、 勉強が苦手な以外に、 テスト自体が苦手ってのがあって、 タダでさえ馬鹿なのに(失礼)、テストが苦手なもんだから、 少ない学力がさらに削られて評価されてしまうのである。 ところで、学力を向上させるのは大変だが、 テストの技量を向上させるのは簡単だ。 この発想により、学力はあんまり向上しなかったが、成績は非常に向上させることができた。 彼も、学力なんか全然興味はなく、この方針はありがたかったろう。

2002/11/21

本郷には、賞品でもらった小径折り畳みで通勤することにした。 皇居付近を乗ると、最近は体調がおかしい。

昨日は、最近のロードっぽいのに乗ってる奴 と、 ガイエン西通りでバトルになった。 アルミのスローピングフレームに 現行dura-ace にキシリュームSL というレーシング仕様で、 服装も上下ともロードジャージである。 俺は、鉄フレにジュラエースEXだ。笑。

やっぱり在来変速レバーは不利だな。

結局、俺と奴は行く方向が違ったので、決着は付かなかった。

チャリ雑誌が発売になったので、 なんとなくリザルト欄をみたら、 こないだのジャパソカップの結果が 20位まで掲載されていた。 俺は 21位だったっけか。

10位から下の着狙ってのスプリントなんか とてもやる気にならんわ。


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