萌え萎え論


萌える都市

題名がイカス。

アサヒかどっかで、誰だっけか、 声のでかいマッチョな評論家、 あー、 山形だ。山形ヒロヲ。 そいつが、「こりゃヲジサン、一本とられたよ」みたいなことを 書いてたので、ちょっと気になってたのだ。 ここ数年、アキバがパソヲタの街から単なるヲタの街に変貌した現象を 解明しようという書物である。

妻が妻の会社から借りて来たので、 それを横取りして2時間くらいで読んだ。

だいたい、ヲタク論にはロクなものがない。 ヲタク的メンタリティを内在化してる奴の書くものは、 単なるパクリやパロディだったりして、 なによりも事物の本質的な側面をえぐる度胸というか決意に欠ける。 かといって、ヲタクじゃない奴が書くと、 この手の現象に対する嫌悪感が先に立ってか、それとも単なる無知、無理解からか、 ヲタクが「プ」っと吹き出すような間違いをしでかす。

さて、この本に対する俺の評価である。

ヲタクに対する理解は必要十分なものがあるが、 論理展開が甘く、話の作り方に無理がある。 傾向ないし潮流のようなものを、 なにがしかの事例によって象徴させることで読み取る、 という手法は、 このての現象を分析する上である程度有効なのだが、 そこから導かれるものが普遍的な結論であり、 それがあらゆる場合において成立するわけではない。 この種の過ちを、著者は何度も犯す。 そのたびに、俺は、「あーあ、なんだかなぁ」と萎える。 (萎える、は萌えるの逆である。)

ヲタク内部においても、 なにがしかのヒエラルキーは存在する。 たとえば、ハードサイエンス系のヲタクは、 リスペクツされるべき存在で、 「萌え〜」などとほざいている連中とは身分が違うのだ。

実際、ハードなヲタクの街から、萌える街になってしまったアキバに ゲンナリしているマジメなヲタクは多い。 これを一般化しようと躍起になっている著者の言説は、 某BBS風に言えば、

必死だな(笑)

はっきりいって、ジャンボにピカチューが描いてあるのと、 アキバの床に萌え画が描いてあるのは、ほとんど何の関係も無い現象だ。 アレは、要するに常設コミケなのであり、 アノ世界はそういう需要を汲み上げるのにミョーにセンシティブなところと 脆弱でヘタクソなところが混在しているので、 今ごろになって、なんとなくあそこに集結して常設コミケになっただけのことである。 何か文化的な背景があるわけじゃない。 だいたい、 パソヲタが全員、日がな一日「萌え〜」とかほざいており、 背景にメガネっ娘を貼ってると思ったら大きな間違いだ。

要するに、山形の中の

に この本がピッタリ来ちゃったわけだ。 俺もまだまだ読みが甘いな。

アパッチ野球軍

懐かし漫画板と懐かしアニメ板をたまに見ている。

アパッチ野球軍のスレッドがある。これ最高。 スレッドというよりは、むしろ、アパッチ野球軍が最高なのだが。

俺たちゃパッチがユニフォーム
たまにゃパッチも脱ぎたいけれど、
脱ぐな!
脱ぐな!
下になんにもはいてない〜
しかし暑いぜ脱ぎたいぜ〜

などという替え歌は思い出せても元の歌詞は忘れてしまった。

続、血と薔薇

ちょっとずつ読んでます。

むひひひひ。むーひひひひ。

失礼、言語化される前の感情を、 インターフェースを通さずにダンプしてしまいました。

MATRIX

続編の前売チケトをゲト。

むひ。 カコヨスギ。


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