夜、成田のホテルに宿泊。
会社終わってから有楽町のビックカメラでリバーサルフィルムをまとめ買いして帰宅。 速攻で荷物を詰め、ケイセイで成田へ。 ホテルのシャトルバスで成田横のホテルに。ヒコーキが朝早いんで、 ヒコーキ券に成田の宿が付いてたらしい。11Fで眺めよし. ただし、かなり疲れ気味。
ヒコーキで移動。成田 > Amsterdam > Roma
朝7時に起きて、宿で朝食。なんかミョーに腹が減っており、 パンとオムレツの他に、和食も食ってしまう。
荷物をまとめて空港第二に移動。荷物を預けると空港出口でめんどくさいので、 預けない方針だったが、妻がナイフを持って来てて、これを結局預けるハメに。 旅行保険にもまだ加入しておらず、なんやかんやとあわただしい。 この手続きが終わってから、ビジネスクラスなラウンジに突入。 今回の旅行で取った航空券は、席はエコノミーだが、チェックインカウンターとラウンジだけ ビジネスクラスのが使えるという、なんかよくわからないやつであった。
ビジネスクラスのラウンジはなんかまったりとしていたが、 あわただしく準備してどたばたと移動しているわしらには、 なんかあんまり関係ない感じであった。酒とかタダでのめるらしかったが、 コーヒーすすっただけで終わる。コーヒーはまずかった。
さて、搭乗だ。ヒコーキは KLM である。機内設備は非常にショボく、席もむちゃくちゃに 狭かった。わしらの席は窓側二つであった。当然、こういう場合は、 マーフィーの法則により、通路はデブのアメリカ人なのだった。 奴は Amsterdam に着くまでずっとワイン飲んでた。
機内で X-menの 2 をやってた。オランダ語の字幕が出るのだった。 オランダ語は、ヘンテコなドイツ語って感じだ。
飛行機は西に向かって飛ぶので、いつまでたっても夜中にならず、11時間飛んでも 午後早い時間だ。 Amsterdam はオランダらしく、飛行機から風力発電の風車が グルグル回ってるのがみえた。
さて、 Skipol 空港に到着だ。小便でトイレに入ると小便器が高く、 ヨーロッパに来たなぁと実感する。俺(股下83cm)ですらこれだから、 小便器に届かない日本人も居るのではないかと余計な心配をする。
ここで少し乗り換え時間があったので、今度はビジネスラウンジでまったりする。 ここもコーヒーはまずかった。 ローマ着が8時まわりそうなんで、Skipol 空港で少し両替。 こんなのは euro でなきゃ不可能なことだ。マジ便利ですね。 早速 euro の恩恵にあずかった。 イタリアのカッコイイ Lila 札が無くなったのは寂しいけどね。
ローマ行きの小さい飛行機に乗り換える。 乗客の多くはイタリア人で、機内は非常に明るい。 夕方にローマ着。 空港からイタリア国鉄に乗り換える。 空港のすぐ隣まで電車が来てるんだが、 ローマの空港に来たのはもう10年もまえのことなんで、 道順なんかすっかり忘れてて、迷った。 ここでようやく日が暮れる。日本時間ではとっくに24日なので、さすがに 道に迷ったりするとしんどい。
夜中の9時頃、ついに Termini 駅に到着した。 うっわー、マジ蒸し暑ぅ。死むぜ。駅前で水買って、ホテル(予約済)を探し、 速攻でフロ入って寝る。 宿はすっげぇ良かった。 なんせ湯舟付いてるんだぜ。 そんな宿、泊まった事ねぇよ。 そもそも、俺、部屋にシャワー付いてる宿自体、泊まった事あったっけか。
朝食も最高にうまかった。結局、旅行の全行程のなかで、 この宿が一番具合が良かった。
朝一番に、とりあえずヨーロッパで使う予定の電車を全部押える。 今回は、昼間の長距離移動は全て Euro Star であり、予約必須。 Milano > Paris も夜行なので、全部予約することに。普通の切符買う窓口にとりあえず妻が並び、 俺は予約専門窓口に並んだが、俺が予約窓口の順番カードを取得する頃には 通常窓口の妻の順番が先に来ちゃってて、そこでさっさと買えた。
これでひとまず安心である。荷物を預けて観光することに。
Roma で金がかからず涼しいところといえば St. Pietro 寺院である。 午前中はそこで過ごし、午後は Foro Romano なんかを観る。 むちゃくちゃに暑かった。今にして思えば順番を逆にすべきだった。
St. Pietro は俺は2回目だ。あいかわらず Michaelangelo の偉業を見せつけられる。 それにしても、このスタイルと意匠はどうだ。建築とはまさにこういうものを言う。 入口で半袖半ズボンのヤンキーが追い返されてるのも相変わらずである。 Basilica の内部を観て、 Michaelangelo の Pieta みて、 cupola 登る。 St. Pietro はトイレがあるのも助かる。 エレベータは行列なのも相変わらずである。歩いて登ったら暑かった。
Romaで一番高い建物は St. Pietro である(多分)。
道端でパニーニ食って、 Foro Romano 方面に徒歩にて移動。 途中にイロイロあるので観て歩いたつもりだったが、そもそも日曜なんで 店とかほとんどやってなくて、ひたすら暑くてしんどくて大変だった。 ひたすら暑くて遺跡周辺にもジプシーの人々とか全然おらず、つまらん。
闘技場で地下鉄乗って、 Termini に移動。
預けといた荷物を受け取って、延長料金を払って、ホームに入ったら発車時刻ギリギリであった。 もっとも、イタリアだから、発車時刻丁度に電車が出る事なんて通常はありえないのだが、 なんせ Euro Star だ。 ひょっとしたら定刻運行してるかもしれねぇから、 ホームの表示を見て必死でダッシュ。
ところが車内が異常に暑い。強烈無比の暑さで、座ってても汗が流れ落ちる。 窓際の冷房吹き出し口が熱くなってて、どうも冷房ではなく暖房がかかってる感じ。 どうなってんだよ。 しかも、ダッシュして乗り込んだにも関わらず、例によって全然発車する気配すら無い。 それでも定刻からわずか 10分の遅れで発車した。 相変わらず猛烈な暑さはそのままで、しばらくしたら周囲の乗客が移動しはじめた。 話をきいてみると、どうもエアコンの故障で席を移動しても構わないらしい。
なんせ俺はヨーロッパでエアコン効いてる電車に乗るのも初めてなんで、 勝手が判らんのだが、 Euro Star ってのはこれが窓が開かないんだよね。 日本の新幹線とかと同じさ。 だから、たとえ暖房が効いてたとしても、乗客にはどうしょうもないわけ。
車両を移動するが、2等は全部埋まってて1等しかあいてないので、 しょうがないから1等に勝手に座ってたら、車内サービスが来た。水を貰う。 なんと、タダで良いっていうじゃないか。こりゃすげぇ! 俺たちはビンボくさい恰好してたが、一応日本人なんで、1等に居ても怪しまれなかったものと思われる。 まぁ、冷房の代わりに暖房効いてる車両に押し込められてたんだから、こんくらい当然か。
Firenze まで約3時間。途中停車駅は Bologna のみ。Firenze S.M.N に 18h頃に到着。
ホテルを探して(妻がインターネットと国際電話 fax で予約した)荷物を置いて散歩。 しかし今日はたくさん歩いた。疲れた。
夜は、市内の適当なレストランで腹一杯食った。ティラミスも食った。
Firenze 市内観光。
月曜で美術館なんか全部休みなんで、自転車借りてそこらへんをウロウロしてみることにした。
ホテルにレンタサイクルのチラシが幾つかあったので、 そのうちの一軒を訪ねてみる。 行き先は、近所の丘 Fiesore である。 幾つか車種があったが、 変速が付いてる一番安い奴ってことで、 MTBを借りた。
旧市街は車もたいして走ってないし、道も狭いので楽勝だが、 なんせ郊外はおっかねぇな、こりゃ。右側通行、かつ、自転車レーンがあったり消えたりで、 マジおっかねぇぞこれ。 これがロードなら自転車レーンなんか無視して普通に車と一緒に車道走ってりゃ いいんだろうが(実際、何度か見掛けたロードは、原チャリなんかと一緒に走ってた) 初めての MTB しかも在来ペダルではそうもいかんがな。
しかも知らない街だよ。道とか全然わかんないよ。どうしよう。
結局、交通量の少ない川沿いを走る事にした。 Fiesore の丘は Firenze からよくみえるので、 テキトーに走っても道に迷う事はなさそうだ。
おお。こりゃけっこうな登りじゃがな。久々に自転車で坂登るぞ。 よーしいっちょいったるか。 軽めのギアでぎょぎょぎょぎょぎょぎょぎょ!と登る。おお。登るとも。 どこからともなく現れた MTB 鬼漕ぎの毛唐のオッサンがバトルを挑んで来る。 登りで俺に張り合おうっちゅうんか。 ええ度胸しとるやんけ。 付いて来れるもんなら来てみろオラ。 二つほどシフトアップして ぎょすぎょすぎょすぎょすぎょすぎょすぎょすぎょす!!!!! コーナー半分離れて死にそうな顔のオッサン。 秒殺。 まさかジャッポネーゼに坂でぶっちぎられるとは思っても見なかったろうよ。 御愁傷様。 オッサン、俺に挑戦するの、10年おそまったね。
あとできいたら、妻は沿道から Alle ! と声援を受けたりしたらしい。
丘の上はやけに見晴らしが良かった。 Firenze のどこからでも見える丘なんで、見晴らしが良いのは当然なのであるが。
バス停留所のあるロータリ付近の Bar で水買って、細い石畳の激坂を フロント トリプルを活かして乗って登り、丘の上の教会前の広場で休む。 いやー、やっぱ自転車良いね。遠くまで簡単に来れるから。 今度は絶対自分の自転車持って来よう。 ヨーロッパの都市なんてどこもおんなじだ。 小便くさい狭苦しい石畳の路地裏にへんてこな店がギッチリ並んでな。 店なんか金がなきゃ楽しくもなんともないよ。 それより郊外を気楽に自転車で走り回った方が俺はずっと楽しいね。
午後は川の西側の丘を登った。 こっちの丘の上には Romanesque 様式の教会がある。 手前は Pitti宮の Boboli 庭園 アルノ川のすぐ向こうには Firenze 市街がみえる。 展望台状の駐車場には大勢の観光客。
丘の上のゆるいアップダウンコースを走って市街に戻り、自転車を返却。
中央市場近くのレストランで昼食。クルミのクリームソースのラビオリがうまかった。 それから St. Maria del Fiore に行く。 Basilica の下にはギャラリがあって、 例によってキリストがハリツケになった十字架の破片とかがある。 Brunelleschi の墓もあった。 Filippo Brunelleschi のドームに登らずには帰れないでしょう。 ドームの入口は Basilica とは違って左翼から直接に螺旋階段に入る。 けっこう行列してて、その行列目当ての物売りと乞食が居る。 前はユダヤ人の団体。後ろはデブのイタリア人一家. 登り始めると後ろの一家はあっというまに息があがって居なくなってしまった。 途中に建材や道具の展示があったりして楽しめる。
通常、この手の建築は、バシリカ部分の箱的構造体に cupola を載せる構造で、 階段も別コに作ってある。 一旦、螺旋階段を登り切ったあと、ドーム内壁の袖部分に出られるようになっているのも、 この規模の cupola では一般的なようだ。 ドーム内壁と外壁の間に作られたナナメの階段を登って行くと、 途中に時々、窓があいてたりして外が見えて楽しい。 さて、登頂。 登ってみるとこっちの方が付属の塔よりも高かった。
妻が疲れ切って食事に行く気がしないとかで、駅の売店でテキトーなものを食って済ませた。 まずかった。わはは。
Firenze 市内観光
さーて今日は大変だぞ!美術館全部まわるぞ!
まず手始めに Sam Marco寺院だ。 ここは Medici 家そのた Firenze の有力者と縁の深い寺で、 しかも、Fra Angelico の主要な作品のほとんどがある 初期ルネサンスの代表的拠点。 そして、あの Girolamo Savonarola が院長だった寺でもある。
庭がイイ。
上に登ると階段正面にいきなり Angelico の annunciazio 。 各部屋 (僧房) にも Angelico の fresco 画。 これら僧房や庭は Michelozzo の設計である。 Savonarola の部屋には、例の火あぶりの画があった。
売店でお土産に、と妻がカレンダを幾つか買っていた。 俺はガイドブック(展覧会の図録相当物)を買おうかどうしようか迷ったあげく買わなくて 後悔したが、これは後程 Uffizi の売店で入手できたのだった。
市内をぶらぶらしつつ、 Pl. Uffizi に向かう。途中で腹がへったのでピザ等を食う。 Uffizi はすっげぇ行列で、しかも炎天下で死にそうだったので先に Pl. Pitti に。 とりあえず Paratino ギャラリをみる。
ヨーロッパの美術館の面白いところは、 後世(というか現代か)の美術史というか学術的なコンセプトと、 当時の収集家のコンセプトがごちゃまぜで展示してあるところだ。 ここも、当時の王宮のたたずまいであり、画は第一に壁面の装飾である。 しかし、作家毎にまとめてあったり、若干時代順に並んでたりもする。
まぁしかし、ここに並んでるどれか一つが日本に来ただけで、 それをネタに特別展とかやりそうなものばっかりであるわけで、 それを考えると並び方なんかどうだっていいっすよ。いやまじで。
なにげにレオナルドとかあるんすよ。 しかもうす暗いすみっこの、まっすぐ見えないようなとこに。 おかげでほとんど誰も気づいてない。 まぁレオナルド自体、マニアックな奴であんまり一般受けするような画家じゃないけどね。
15時すぎにここを出て、さて、 Uffizi に向かう。行列上等。世露死苦。
ここは入場制限があるおかげで行列になってしまうのである。 待ってる間にギャラリショップで買ったガイドを見て、どの部屋を集中的に見るべきか、 作戦を練る。 なんせ、まともに見たら一週間かかるとか「地球の迷い方」に書いてあるじゃないか。
俺としては、 Tiziano と Tintolet の肖像画、それになんといっても Leonardo の Annunciazio が見れれば、あとはわりとどうでもいいかな。 とか思ってましたが。
やはりアルプス以北はさすがにウヰーンの美術史博物館には及ばぬが、 他の領域、特に初期ルネサンスに関してはマジ最強無比。 なんせいきなり Somone Martini ですよ。 Somone Martini は初期ルネサンスじゃないけど。 一応、部屋毎に時代順、地域別に並んでいる様子。
次は、 Uccello ですよ。 Paolo Uccello 。 パースペクティブ偏執狂。 画面のド真中が消失点。
Uccello は遠近法自体が好きでどうしょうもなかったやつで、 全ての画面構成物を消失点の方向に向けなければ気が済まない、 ちょっと頭巻きすぎの電波系だ。 例によって、たしか、最後はおかしくなったようなならなかったような。
遠近法ってのはたしかにそれ自体非常に興味ぶかいもので、 特に、画面内に消失点が存在する場合、これは要するに平面に無限遠点(点じゃないが)が埋め込まれている、 ということに他ならない。 平面内に無限。 この事実にある種のメンタリティの持ち主は眩に似た魅惑を感じてしまうのである。 さて、遠近法については後述。
Botticelli、 Duerer なんかも見つつ。 当然、 Primavella とかあったりして。 これら一連の Botticelli の作品は、 当時のフィレンツェの宮廷で流行していた新プラトン主義哲学、 Ficino とかがやってたアレ。 あれの視覚的表現である。 そして、この後、我々は途方もない存在に対面することになる…
うぎゃー。 ついに Leonardo の受胎告知に御対面じゃー。 うぐぐ。 す、すげぇ! 凄すぎる! この部屋で地球が買えるぜ! ただ、透明パネルが前に被せてあって、近寄るとアラームが鳴って、なんだかなー。
例の、描きっぱなしの大判の Leonardo なんかもあったり。 しかし、こいつ本当に職人としてはある意味糞ったれだな。
Leonardo によると、最も高等な(彼の言葉を借りれば「驚異に値する」)視覚芸術とは、 絵画に他ならない。 なぜなら、 絵画は平面の上に3次元の空間を埋め込むからである。 また、画家は平面の上に宇宙を構築するのであるから、即ち、全能の職人でなくてはならない (そして、自分もまたその一人である、イェーイ!)。 この意味で、遠近法は絵画芸術の、まさに核心の技術である。 Leonardo の絵画論というとだいたいこんな感じだ。
いやー、まさに全能! 完璧という表現があてはまるとすればまさにこれ。 完璧な視覚芸術。 ま、若干、天使 Gabriel に比べると聖母が手抜きかな、と思わぬでもないが。 売店ででかいポスター買っちゃった。
Veroccio のキリスト洗礼もある。これに出て来る手前の天使が 14才当時の Leonardo の手によるもので、 Vasali のルネサンス画人伝によると、これを見た師匠の Verocccio は 「あーあ、俺、もう画描くのヤんなっちゃった」と言ったとかなんとか。
どうよ?西洋美術オモロイべ。マジで。
いやー、疲れたね、この日は。 他に、 Tiziano のスルドい肖像画とかあったんだが、 もうマジ勘弁してちょうだい。 夕食は昨日昼食を食った、中央市場近くのレストランで、 ステーキ食った。うまかった。
フィレンツェはこの日で終わり。今日は Milano に移動し、ちょいと観光したあと 23h30m発の寝台列車で Paris に移動だ。 Milano への移動も EuroStar である。 金持ちかよ。わら
朝一番に中央市場で買物。電車で食うものとか、イロイロと仕入れとこうというわけだ。 市場は一階が肉、魚類で二階が果物野菜という構成。一階でソーセージ、 トスカナのサラミを仕入れ、二階で葡萄と桃を仕入れた。 なんとかナイフを調達しようと思ったのだが、 朝っぱらから開いてる店でナイフを売ってるところというのは無く、 ナイフは Milano で買う事になった。
今日の EuroStar はちゃんとエアコン効いてた。 9時30分頃の電車で昼前に Milano に到着。 Milano は中央駅である。あいかわらず Milano Centrale 周辺はガラ悪いですね。 駅で荷物を預け、とりあえず Sforza 城でひるめし。 St. Maria delle Grazie 教会で 最後の晩餐の観覧予約をして大聖堂を観光。 妻は大感激。 いやー、これマジで凄いっすよね。凄すぎ。 若干残念だったのは、正面飾り壁が工事中だった。 まあこのテの建物はどれもどっか工事中なんすけどね。 だって完成するのに 300年とかかかってるから、最初作ったとこなんて 300年も経てば壊れちゃうわけですよ。
大聖堂は丸屋根はなく、普通の屋根の上に登って楽しめるようになっている。 あの、細い塔が林立する屋根である。 むふ。 Milano はイタリア唯一の都会であり、ちゃんと大きなビルなんかも建設されており 教会が一番高い建築物なんて状況ではない。 なんせ Roma や Firenze は未だに教会が一番高い建物だからな。 つまり、その頃に都市の発展が頂点を迎えてそれっきり、というわけだ。 まるで都市のミイラだ。 Milano は唯一の生きている都市である。
St. Maria delle Grazie は以前、イタリア来た時も訪れたのであるが、 そのときは「晩餐」は(例によって)工事中で見れなかったので、 とりあえず今回、見るだけ見とこうといわけですよ。 なんせ晩餐は壁画でよく用いられる fresco ではなく、 tempera とか油彩でしっくい壁に描いたものなので、 極めて耐久性に欠ける。 現在、激しく剥離して損傷著しいのも、このためである。 Leonadro 一世一代の不覚である。
晩餐みたあと、売店でガイド買って、ミラノ市内で買物。 買物といっても、結局大したものは買わなかった。 でかいデパートが大聖堂の隣にあったので、そこでうろうろ。 ここでついにナイフ買った。 それから、有名な商店街(Emanuel 二世のギャラリ)の本屋に行って イタリアで出てる自転車の本なんかをみる。
夕食はデパートの隣のレストランで食った。10時くらいまでかけて食った。 地下鉄で中央駅に移動。 駅のスーパーで買物し、 荷物を受け取って、待ち合い室でぼーっとする。 さすがに国際列車だ。 ちゃんと時刻表どおりに運行された。 客室は二人部屋。ちょいと古い車両で冷房が若干弱い感じだが、とにかく、 狭いながらもかなり快適。 車掌のオバさんはフランス人で英語はサッパリ。 パスポートと乗車券を渡し、寝る準備。 しばらくすると、車掌がやってきて明日の朝食の飲物を訊かれた。 イタリア、フランスは基本的にコーヒーの国である。
発車は定時。
さて、寝るか。まじで疲れた。爆ネリ。
朝7時。車掌に叩き起こされた。
朝食はコーヒーとパン(クロワッサン)。 せっかく導入したので、ナイフでサラミ刻んで食ったり。 ンマー。 マジうま。 これだよ。これ。 サラミってのはこれ。 じゃあ日本で売ってるのは何? 到着は北駅の近所のなんていったっけか。8時頃着いた。 いやー ユーロいいね。ユーロ。両替しなくていいんだよ。マジ便利ですよ、これは。 妻がすかさず地下鉄の回数券を購入。
けっこう涼しいな。パリ。イタリアとえらい違いだよ。
地下鉄でホテルに移動。荷物を宿に置いて、ちょいとうろうろ。 宿はモンマルトルの中腹。 テラスからの眺めが非常に良い。
部屋にチェックインして少し休んでから、 買物にでかける。 明日は妻の高校時代からの友人がこっちで結婚するので、 その結婚式に出席するのであり、 これがこの旅行の主要な目的の一つでもあるのだ。 そして今日、その席で用いる装備を仕入れるのである。
とりあえず、まず美術館のミュージアムショップに行く。 コンコルド広場から歩いて行く。 この、コンコルド広場ってのはツール ド フランスで最後に選手が 走るコースの一部になっている場所だ。 おお。テレビで見たとおりですよ。 でも車がいっぱい走ってて排気ガスが臭くてたまりませんよ。 さっさとルーブルに行きましょう。
ルーブルで妻がアクセサリを購入。 俺も何か買おうかな、と思ったけど、荷物になるしな。 しんどかったのでやめといた。 この頃からどうも腰の調子がおかしくて、長時間歩いたり立ったりできなくなって参った。 多分、自転車ばっかり乗って歩いてないのと、 ズボンのゴムがきついのが原因かな?
妻はアクセサリを大量に購入して大満足。 引続き、 デパートに行く。なんてったっけか。 ギャラリ ラファイエットとかいったっけか。 そこで靴と服を購入。 ついでにメシも食った。 帰宅。疲れた。この日は、まじで疲れた。
帰ってからズボンのゴムをナイフで殲滅した。やっぱりナイフは 人間の作り出した最も役に立つ道具だね!
ラファイエットで detax の手続きをする。 受付の人は日本人で、妻が「明日はギュメ美術館に行く」とか言って、 「渋いですね」と言われていた。
夕食はそのデパートの食料品売場で買って来たものやら、 近所のオカズ屋で買ったものやらで宿のテラスで済ませた。
今日は妻の友人(しみちゃん)の結婚式に出席するのである。 結婚式は午後なので、午前中は観光。
観光って、どこ行ったっけか。もう忘れちゃったよ。 思い出した。ギュメ美術館である。 フランス人が、旧植民地のカンボジアとかからゲッツしてきたお宝を所蔵しているところだ。
ここはとても楽しかった。
昼まえに宿に戻り、途中で買い込んだ食糧で昼飯としたあと、 結婚式を行う区役所に徒歩で向かう。 しみちゃんに会うのも、その夫の Vincent に会うのも初めてである。
なんか集会所みたいなところで人前式というのか?そういう感じで挙式していた。 それから、パーティー会場に自動車で移動。 自動車は Vincent の親友の なんていったっけか。 Olivier 氏。 彼が Vincent の友達のうち唯一の真人間なんだそうだ。 パリの首都高みたいな道を通って会場に。 肝心の主賓二人が道に迷ってたどり着かず、パーティー会場に入れない。 会場は運河だか川だかを船で渡ったところである。
一瞬、雨が降ったりしながら、喉がかわいていいかげん待ちくたびれたところに 主賓到着。 会場は郊外の非常に良い感じの店。
Vincent の弟の Sebastian はフランスの regional カテゴリに属する 強豪アマチュアレーサーである。 regional はプロ、 national の次のカテゴリである。 食事前にちょっと話をするが、 彼はフランス語しか解さず、 毎日練習し、毎週レースがあり、冬はシクロクロスで Laurent Jalabert を尊敬しており、 登りの選手だということくらいしか判らなかった。 だいたい、登りの選手だってことは、体格見りゃ判るって。
食事はうまかった。 だが、 ワイン飲んだら眠くなって、なかなか次の料理が出て来ないので寝てしまった。 今回の旅行でマトモなフランス料理を食ったのはこれっきりだ。
12時まえにタクシーで宿に戻った。
かなり疲れがたまっているので、のんびりする。
NotreDame と Cluny にでかけた。 自転車屋に行くとかいうはなしもあったが、しんどいのでやめた。 街頭の売店で L'Equipe を探したが無かった。 フランスの自転車雑誌を一冊買う。 しかし、フランス語の辞書を持ってないので全く解読できないのだった。 夕食は例によって買い込んだモノで宿で済ませた。
しんどい。しんどすぎ。 明日は再びヒコーキで10時間である。まじでわしら、大丈夫か?
夜中に停電した。
空港にたどり着くのが大変だった。ドゴール空港。
check in も大行列だった。
そこからゲートに移動するのもイカレた構造で疲れた。
妻が、そこで detax の手続きをするのを忘れたのを思い出して 大狂乱。 多分、skipol 空港でできるって。とかいってなだめる。
skipol 到着。窓口を探したら、あった。 あっさり手続き終了。 ついでに会社に持って行くおみやげも買う。
いやー KLM の食事はマズイね!
朝に出発してあっというまに夜になり、次の朝に成田に着いた。 むちゃくちゃ蒸し暑いので死ぬぜ。
次の旅行はマダガスカルだな。こりゃ。