駱駝の時代(2003/10/30)


ラテンの血

今でもよく憶えている。小学生の時のことだ。 俺は算数の勉強(というか宿題)をやってた。 3桁くらいの計算が50個ほど並んでて、最初の10個くらいを電卓でやり、 入力の手間を考えると暗算の方が速いと悟ってそれを半分くらいまで片付けた瞬間、 「だめだ。こういう人生は無意味だ」と悟り、次に
←こういう画がぽよーんと浮かんだ。

いや、それだけ。

実際は熱帯の島ってのがこれがけっこう大変でな。 特に、水とか無いんで。

関係ないが、金魚飼いたいね。金魚。 丸っこいやつじゃなくて、赤いフナみたいの。あれ。 金魚飼ってて何が楽しいかというとですね、 奴等、水に浮いてるわけですよ。これは素晴らしい生きざまですよ。 だってそうでしょう。鳥とか、空中に浮くためには、けっこうな努力が必要ですよ。 わしらにとって空気にあたるのは、魚にとっては水。 つまり、奴等、空中に浮いてるのがデフォルトの人生。人じゃないけど。

それを見てると非常にシヤワセな気分になるわけです。 まぁ実際金魚にしてみりゃそれなりに大変なんでしょうけどね。

じつは、本当は鮫が飼いたいんですよ。 鮫のエレガントな形態と、余裕の泳ぎは良い。 どうもマグロはアスリートっぽくて苦手である。

海や川で、魚が泳いでるのをぼーっと見てるのも好きだ。

とにかくあれだ。要するに俺は怠け者だってことか。

仕事とか嫌いだし。

いや、単純に怠け者というと語弊があるか。 怠惰を美徳としているわけではないからな。 俺が何か仕事をすることで、他の人が楽になったり幸せになったりすれば、 それは非常に素晴らしい事である。 ただ、勤勉は俺にとっては悪徳である。 人生は有限なので、やるに値する事だけをやるべきだ。

みんなが俺みたいに怠け者になれば、 地球温暖化もだいぶ緩和されると思うんだけどね。 宮島とか海に漬かったりしてるみたいだし、ヤバそうじゃないすか。 どうすかね。

そう、勤勉のなにがムカツクかっていうとだね、 勤勉な奴って他の人に勤勉であることを求めるじゃないですか。 それがムカツキますよ。 俺は他の人に怠け者になってほしいと多少は願ってるわけですが、 「もっと怠けろゴラ」とか説教したりしないわけですよ。 いや、勤勉なのも悪くないけどね、勤勉で頭が良いってのは、 本当に見てて気持の良いものだよ。 世界はそういう人のおかげで成り立ってるわけだよ。 たとえば、君達のパソコン。 しーぴーゆーとかいう装置の中に、勤勉で頭の良いちっこいインド人が 32人居て、 「ここはゼロ。ここはイチ。」とかいいながら日々計算してるわけですからね。

ただ、勤勉だけと馬鹿ってのだけは勘弁してほしいね。

乗物

乗物というのは移動手段なのだが、乗ってる事自体楽しいという側面は否定しがたいところですね。

これは、多分、移動可能になったという自由さ、それ自体が快楽だからで ありましょう。

風を感じながら静かに走れる自転車というのも、 意外と遠くまで行けるうえに金もかからず、 しかも乗ってるだけで良い気分です。 こう、他の乗物と違うところは、静かだってところですな。 非常に静かで、鳥の声なんかがよく聞こえます。 まぁ、それも時速30kmくらいまでですが。

都合よく静かに走れるためには、 舗装された快適なコースというものが必要なわけです。 基本的に、舗装されてないコースに車輪は向かないですね。 徒歩の方が良いっすよ。

徒歩も移動手段としてはなかなか侮りがたいものがありますよ。 平坦なら、荷物しょって時速6kmくらい、登りなら標高500mくらいですか。 5時間歩けば30kmだよ。意外と遠くまで行けるもんです。それに静か。

食事は食いダメ出来るんですが、 徒歩も自転車も、腹が減るのだけはいただけないね。まじで。

俺が次に乗れるようになりたい乗物は、 風を直接の動力とする乗物、すなわち帆船である。 自分で漕がなくて良いって最高じゃね? ヒコーキも良いが、動力が必要ってところがどうもな。 動力って基本的にやかましいからな。 自分で飛ぶ程の運動能力となると、それはそれで厳しいし。

動力のやかましさも、それが必ず不愉快であるかというと、 それがそうでもない場合もあるらしい。 モータースポーツの魅力というと、なんといってもあの糞やかましい、 圧倒的な、 音というよりはむしろ衝撃波というべき エンジン音を抜きにしては語れないわけですから。 たとえば、エレキギターという楽器、あれはエンジンの音がする楽器ですからね。 未来派ヤサグレ風味とでも申しましょうか。俺はやっぱ静かな方がいいけど。 だってその方がエレガントでしょう。

哲學

S氏については他にもいろいろエピソードがあるのでそのうち紹介しよう。 今回は、哲学だ。

S氏はガラにもなく哲学が好きなのである。 彼の家ってのも俺んちと同様、いや、それ以上のカオス系であり、 住居というよりはむしろ動物の巣。 寝る場所が楕円状に存在しており、その周囲にゴミだかモノだかよくわかんないものが ひたすら堆積しているわけです。 そういう人は多いと思いますが。

入口から、その楕円状のエリアまで飛び石状に空間があって、 そこを辿る事で行き着けるようになっている。で、唯一の人間が存在可能な領域に 到達して腰をおちつけ、ふと傍らをみれば岩波文庫の 「ソクラテスの弁明 著者プラトン」

でも、 どっちかというと彼はプラトンというガラじゃない。そもそも哲学というガラじゃないのだが。 それじゃどっちなのかといえば、ニーチェ。これでしょう。

時々、ツァラトゥストラから引用した変なセリフを喋る。 特にお気に入りは「精神の三段の変化」すなわち、

  1. 獅子
  2. 駱駝
  3. 赤子

というアレである。 「おおっ!これはいわゆる一つの 精神の三段の変化ってやつですな?」 「まだ駱駝の境地には達してないね。汝、為すべし、ってやつですか。」 「さすが赤子。おそるべし」 等とほざいてくれる。 あと、「おしまいの人々」と「墜落する綱渡り師」がお気に入りである。 全然ニーチェが言ってない事もニーチェのセリフにしがち。 「老いては子に従え、だ。ニーチェもそうゆっとる」

俺の話で恐縮だが、俺が気に入ってるのはダンテの神曲で、 アリストテレスが、ただ「異教徒だから」というだけで地獄に墜とされてるところ。

人間、みかけで判断しちゃいかん、とかよく言われるが、俺に言わせりゃ みかけが全てである。人間に限らないが。

というかむしろ、なんでこう中身というか機能というかタマシイというか、 そういうところってかくも顕著に外見に現れますかね?そっちの方がむしろ不思議ですよ。

おっかない動物とか、なんで実際おっかない顔してるんですかね。 おっかない動物のおっかなさを感じとれなかったどんくさい奴のどんくさい遺伝子は、 おっかない動物によって殲滅されてしまった結果なのでしょうか。

見るからに速そう。見るからに凶暴で、見るからに強そう。 そんで実際、その通り。 俺とか、見るからにヘンテコ。そんで実際その通り。 ヒネリなさすぎ。

強力な捕食動物の顔は、その目標にしたがって組織されてる。 標的を観察するための眼はキッチリと正面を向いてる。 これは両目で距離を掴みたいからであり、 横や後ろから襲われる心配が無いからでもある。 忍び寄るための低い姿勢で正面を見るために最適化されると、 どうしても目つきは悪くなる(良く言うとスルドくなる)。 そして、口で効果的な攻撃ができるためには口がデカくなきゃいけない。 これらの要素が揃うと、たしかにおっかない顔の完成だが。

それにしても、やっぱなんといっても眼だよな。眼。 標的を補足するための眼。狙いを定める眼に宿る、あの尋常ならざる集中力。 あまりにも集中力が凄いので、もう、頭蓋骨の形、目玉の形状、色、サイズにまで その集中力が浸み渡ってる。 猛禽類とか。 やっぱこれがおっかないんですね。 あれに狙われたら、もう、絶対に逃げられない感じ。

あるいは、鮫、ハチュウ類の眼のように、 ジャスト ア ハンティング デバイス。脳味噌にインストールされてるのは そのデバイスドライバのみ。 「痛い」とか「怖い」とか定義されてない感じ。 「ターゲット ロックオン コウゲキニ ウツリマス」(←ヤマトのアナライザーの声で) 的に、巡行ミサイルと地雷の雑種が256倍陰湿になったような眼。

たしかに、この恐ろしさを感じとれないどんくさい奴に用意されている運命としては、 そりゃ滅亡以外はありえないよ。

筋とれ

そろそろ冬なので筋トレとかいって懸垂始めてみた。 カモイにぶらさがる例のやつ。

昨日は10回できた。よくできました。マル。


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