伸びろ伸びろ(←ユリゲラー風に) (2004/01/15)


運動と消費エネルギー

ここでいう運動とは物理学における抽象化された「物体の運動」 ではなく、星ヒウマが血ヘド吐いてやるヤツの方である。 すなわち、今から行なうのは、そういう意味における「運動」と 物理学におけるエネルギーの概念を関連づけようという、 きわめて無謀な考察である。 覚悟されたい(何を?)。

人間の運動メカニズムというか、生化学的作用機序というか、 そういうものには何種類かあるらしい。昔、学部の頃に習ったところではな。 もっともその場凌ぎなのが、手元にある ATP を使ってしまう奴で、 数秒の持続時間しかなく、 次が手元の糖分を分解するだけで出るエネルギーを用いるもので、 これも多少マシだがたいしてもたず、 その次が乳酸を生成するようなやつで、 もっとも効率が高く長持ちするのが、酸素を使って ATP を合成しつつ 行なうサイクルである。

だったっけかね。詳しい事は忘れちゃったよ。 今、仕事先なんで、参考書が手元に無いんだ。 久々に、「細胞の分子生物學」でも引っ張り出してみるか。

とにかく、だ。何種類あって、それがどのような作用機序であるか、 というのは今は本質的な問題ではない。今、問題にしたいのは、こういうことだ。 出せるエネルギーと消費エネルギーの関係、要するに燃費は、 機械一般において一定ではないが、 生物においてもそれは例外ではない。 人間の場合、さっき挙げた何種類かのメカニズムのうち、 一番「燃費」が良いのは最後の有酸素運動時に用いられるプロセスである。

運動選手向けの商品として、心拍計というものが存在しているが、 これの多機能なグレードのやつには、 「消費エネルギー」を計測する機能が備わっている。 この、消費エネルギーとは一体、何を計測しているつもりの値なのだろうか。

  1. 人間の出力。やった仕事量。
  2. 消費した物質を生化学的プロセスで最終分解生成物(CO2など)まで分解した時に 得られるエネルギー
  3. その他

人間の運動能力を測定する場合、消費した燃料ではなく、 出力の方が興味の中心だ。 選手のパフォーマンスとはぶっちゃけて言えば出力の事である。 俺みたいな奴は、はっきり言って、この、出力にしか興味がない。 自分がどういうエネルギーをどれだけ消費したか、なんていう問題は二次的な興味しかない。

しかし、ダイエットが主要な目的であるならば、 もっとも重要な問題はどういうエネルギーをどれだけ消費したか、である。 もっと言えば、 どれだけ余計な脂肪を消費することができたか、これが主要な問題であり、 自分の生み出す出力などは副次的で瑣末な存在にすぎない。

一般メディアにおいてダイエット効率が良いとか悪いとかいう議論がなされている事があるが、 その際の主要な議題の一つが、運動強度である。

運動強度は、筋肉において運動エネルギーを生成する際に用いられる 生化学的プロセスの種類と深く関わっており、 心拍は運動強度と深く関わっている事が知られている。 すなわち、どの生化学的プロセスを用いて筋肉が運動エネルギーを生成するか、 は、 心拍を計測することで把握可能といわけだ。 心拍計が運動愛好家向けの商品として存在しているのはこの事情による。

運動能力は異なるが、 同じくらいの体格の奴が、同じ平坦コースを同様のスピードで走って、 心拍計が計算する数値が同じになるのであれば、 そのモニタは出力を計測しているということになるだろうか。 また、数値が異なり、 かつ、 高い運動能力の奴の値が少なくなるのであれば、 そうではなく、 おそらくは、そのモニタは消費する栄養に基づいて 「消費エネルギー」を計測している。ということになるだろうか。

どうなんですかね〜

と結論の出ないままなんとなく終了してしまうのだった。

水栽培

久々に野菜水栽培。

今回は、セロリの芯。 先日にミートソースを作った残りである。

俺のミートソースはてんこうさんに「うまい」と好評であるが、 彼によると欠点が一つある、という。 それは、ヒキニクの品質にできばえが大きく左右されるところである。

それはまったくそのとおりである。

俺としては、その対策は、 アブラぎりぐあいがひどい場合は単にそのアブラを捨てる、ということで ごまかしている。

セロリの芯は、最初はまるきりまっしろけだったが、徐々に緑色になってきて、 葉も開いて来た。

メカ式腕時計 その後

昨日は +12秒

今日は +11秒

着装せずに、静かに放置しておくと、随分進む。 1秒/時間くらい進む感じだ。 着装しておれば、ほとんど狂わない。 そういうものなのであろうか。 このへんの調整の加減が良く判らないので、 とりあえずこれでいいや。 季節も一番寒い時期だしな。

ゼンマイ式ってのは、 エサやってないと死んじゃう生き物みたいな感じですかね。 いや、俺は機械に簡単に感情移入する方なんで。

その代わりというわけかどうか知りませんが、 わりと簡単に人間に対して「コイツは死んでも構わない」とか思ったりします。

俺がわざわざ金出して買って来たモノというのは、 まぁたいしたことない製品も多いが、それなりに理由があって選んだものが多いので、 無くなったり壊れたりするとかなり悲しい。 カメラ(ミノルタ X700)もラジオ(SONYの短波ラジオ)も双眼鏡(フジノン 6x30)も、 とても気に入っており大切である。そのわりに扱いはぞんざいだが。

そのへんの道具とまた違った愛着があるのが、 ナイフ(自作)、アイスアックス(ミゾーの北辰)、スキー(ATOMIC βraceに fritch の diamir)、自転車 (MAKINO 試合用)だ。 こいつらは、なんちゅうか、こう、例によって

俺には生涯、貴様という強い味方があったのだ…

みたいな。 つまりその、所有する事自体には本質的な意味はなく、 それを使用する経験の中にこそこれらの道具の存在意義があるということであろう。


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