連休も終って早速仕事してます。 なんて勤勉なんざんしょ。
最近は、集中力を持続するためのコツみたいなものが判って来た。 つまり、北斗神拳方式はダメだ。 あんなの全然まったくダメダメ。ダメ中のダメ。 結局のところ、海兵隊方式と同じだ。
まるでそびえたつクソだ! タマ切り落としてクズの家系を絶ってやるぞ!
だから、テキトーに抜かないとだめである。原則として夕食後は IP接続しない。 第一種戦闘配置、最大戦速になったとしても、 マウスしか触らない事にしている。
今日は久々にチャリ乗って街を散歩、まずナルシマよってボンベ式の パンク修理用ガス注入セットを入手。それから、通勤号の椅子が やぶけて見苦しいので新しいのと交換。 友達が乗らなくなった自転車を別の友達に譲るのに居あわせたり。
新宿紀伊国屋で Molecular Biology of the cell をたちよみ。 ありゃ立ち読みするもんじゃないな。 マジ糞重くて肩凝った。
その後、青山ブックセンタ 六本木店で、イガラシダイスケの新刊と、 山田アキヒロの旧刊を買った。 五十嵐の新刊は「魔女」。「イッキ」に収録されていたものらしい。 あいかわらずものすげぇ。 まじ凄いっす。 最強。 山田の旧刊は「すうべにいる」。版型が小さくなって復活らしい。
朝起きたら曇なので自転車乗る。大井埠頭。 60kmを平均時速34kmでバトル無しのマッタリ。 最後だけちょっと気張ってみた。
帰宅したら妻はタイフードフェスティバルとかいうのにでかけて居なかった。 雨が降って来た。 昼飯作るのもめんどくさく、 アマ納豆食ってミルクティー呑んで昼寝。 14時頃渋谷の妻から電話があり、15時にニコタマで待ち合わせ。 アンコモチ食ってから、 降りもたいしたことないので傘は持たずに電車で行く。 たかしまやで岩合ミツアキの写真展。北極。
ニコタマの高島屋は屋上庭園があるそうで、 妻がそれを見てみたいというので屋上をうろうろ。
もうめんどくさいから外食にするか、ということで そのままデパートのレストランで夕食。 アボガドムースとカツオのナントカいうのがうまかった。 あと、ノルウェーのチーズがうまかった。 だがしかし、あまりにも量が少なかった。
自炊じゃ作る気にならないめんどくさそうな料理が次々と出て来る上に、 出て来る間隔も非常に長い。 じっくり食えば良いのであろうが、 なんせちょっとしか無いので一瞬で食べ終ってしまい、 あとは文化的に会話にて時間を過ごす。 結局、食事に2時間以上かかった。 当然、料金もかなりかかった。 これぞ文化の極みであろう。
和食もそうだが、こういう風に、 ちょっとだけちょっとずつ出て来るスタイルというのは、 どうも性に合わない。やはり一つめの箱は全部肉ダンゴ、二つめの箱は 全部ゴハン、ただし、すき間ができないようにギッチリ詰めてある。 そして食い終ったら即、睡眠か、あるいは全開で行動可能。 こういうスタイルが俺の性に合っているのであろう。
帰宅してから降格起動帯続編の2巻を観る。 あいかわらず面白い。どうもこのカンノヨーコという人の音楽は、 こざかしいな。 構成部品は嫌いではない。 だが構成部品が見えるような音楽というのもどうもな。
先週、土曜は峠に走りに行こうと思っていたが、 腰が痛くてやめ、代わりに整体である。 なんてことだ。
日曜は多少乗ろうと思っていたのだが、雨が降って来て60kmでやめた。 増田師匠も居た。
しかしこれでは東日本実業団なんか出てもしょうがない感じだな。 今週、会社サボって走りに行ければ出場しようと思っていたが、 このスケジュールでは、そのような段取りはとても無理。
しかし今日は暑いな。尋常ではないよ。もう地球はダメだ。 おしまいだ。
某運輸所属のトラックの横にローマ字で
NANIGASHI UNYU
と描いてある。
それじゃ「うんゆ」ではなく「うにゅ」ではないのか。うにゅ。 なんか、かわいいからいいけどね。うにゅ。
某ミシン店というのが中原街道沿いにある。その看板に
NANIGASHI MISIN
ミシンというのはソウィング マシーンのことであろう。 だから、ミシンという音をそのままローマ字表記するのはおかしいのではないか、 と自転車で通りがかったときにふと思った。
先日らい、ニンジンのヘタを飼っている。
オレンヂ色のヘタから濃いグリーンの葉っぱがワサワサと出て来て、 とてもかわいい。
ダイコンは2本めの花芽を出した。まだ咲いてないが、 かなり勢いがなくて、咲くかどうかは若干微妙な情勢だ。 チンゲンサイは全部花も終ってヘタレた。
そういえば俺んちの裏の家にロータスヨーロッパが昔あった。
たまの週末にエンジンかけてでかけていくのが見られた。 わりと、なかなかエンジンがかからない事があった。 そして、一旦エンジンがかかると、なんか昔のエンジンの音ならびに 昔のエンジンの臭いがするのだった。
そして「ずばぼぼぼぼぶぶぶぼぼぼぼぼ。ぶん。」などといいつつじわじわと どこかにでかけていくのであった。 これが正しいスーパーカーの姿である。 すなわち、そこに在るというだけで正義であり、ただ走るというだけで美しい。 それ自体で有意味な存在なのである。