rotring のボールペンを買った。
むかし、 rotring のドローイングペンの太いのと細いのをひとつづつ使っていた。 万年筆方式の、柄がやたらと長いやつだ。 最近店で見掛けないけど、今もまだ作ってるのかな。 描くのには非常に具合が良かったが、 なんせインクがだだ洩れしまくりでどうにも俺にはうまく使えず、 結局画材はエンピツに落ち着いているのである。
他にも製図で使う仕上げ(インキング)用のやつとか、 いろいろ持ってたが、どこ行っちゃったんだろ。
このボールペンは軸がカーボランダムの荒目砥石みたいな見掛けの仕上げ ならびに手触りで、なんか面白いので久々にエンピツと コンビニの100円ボールペン以外の筆記用具を買ってみた。
rotring の製品には、 デザインに使う道具はカッコヨクなくてはならない!といった決意が感じられますね。 そして、徹底的にデザインされてますね。 そのおかげでむちゃくちゃカッコよかったり、非常に使いやすいかというと、 べつにそんなことはないのですが、 なんかこの直線基調の意匠と変な表面処理が気に入ったもんで。
実際に使ってみました。 これは、ちょっと持つ所が細くて長時間使うには辛いですね。
イラクで誘拐されてたアメリカ人斬首動画なるものが、アルカイダシンパのサイト なるところで公開されたりしているらしい。
どうせヤラセだろ。CGじゃねぇのか?
開戦時の報道で著しい情報操作があり、 それに加担したということで半年ほど前かな、 BBCの責任者(なんか知らんが一番偉い人。 president とか言ってたな) が謝罪ならびにクビになってましたが、 情報操作に関する報道なんて、日本じゃ一切無いわけです。 この大本営体質ってやつは、一体どこまで徹底しておるのかね。 俺は、日本の政府はヒノマルキミガヨを含めてかなりむかつくが、 日本の国民というものに関しても、こういう幼稚さには非常に萎える。 外国で団体ツァー観光客に話しかけられた時も、 つい日本語わかんねぇフリしてしまうのと同一の動機により萎える。
まぁようするに、だ。世界の不幸の半分はキリスト教によって作られており、 残りの半分はイスラム教によって作られているってわけだ。 せいぜい頑張ってくれ。
ということで、久々に政治の話しでもしようか。
ここで、困難な問題とは、正解にたどり着く可能性が低いものを言うこととしよう。
もうオチは判っちゃったかな?がはは。
ある簡単な二者択一問題があったとしよう。 この問題で正解が出る可能性は高い。 ここで、確率空間に関する厳密な定義をする事なく(面倒だし、知識も 時間も無いので)、確率という用語を導入してしまおう。 つまり、このショボい問題に関しては正解する確率が高いわけだ。
ある集団において、この問題に挑むアプローチとして、 独立した個人がこの問題に挑戦し、 それらの結果に対して極めて単純な統計処理を施して集団としての正解を出す、 というものを採用したとしよう。つまり多数決というやつだ。
集団の数が十分に多ければ、このような容易な問題に対する解決策として、 多数決は極めて有効に作用する事が期待できる。 つまり、個々の正解率が1/2 を僅かでも超えていれば、 十分な数の試行(投票数)を確保することで、 集団の結論はほぼ100%の正解率に近づくだろう。
さあ。もうオチは判りましたね。
最近は、俺も集団の程度を向上させるために、微力ながら貢献しているわけですが、 正直、俺みたいな奴が集団に寄与するやり方を考えた時に、 数学的に考えて、投票に行くというのはかなり無駄で無意味なアプローチだよな。 なんせ、多数決が有効に作用するためには、 高々一個の試行は無視できる くらい多くのサンプルを集める必要があるんだからな。 それよりファイトクラブでも作った方がまだまし。
そう。俺が我慢できないのはむしろ、 多数決が困難な課題に対して極めて無効でダメな手法だとかなんとかいう事よりも、だ。 偉大なる俺様の結論が無視されるくらいの規模で有効な手法である、 という事実の方なのだった。 俺はそこまで人間できてないんでね。 みんなは無視されても満足かい? はっはっは。
まぁ投票なんかせんでも、 それぞれちゃんとしたアプローチが存在する課題はたくさんあるわけですよ。 たとえば、フェルマーの定理が成り立つかどうか、多数決で考える奴は居ないわけですよ。 投票が適用される問題における投票の役割とは要するに、 何かちゃんとしたズジ道というか理屈が大切なんじゃなくて、 焚火に放り込んだ動物の骨につくヒビ割れとかそういうのの代替物なんですな。 結局信じるかどうかが問題なんで、 「選挙に行け」「いかねぇ」とかいって不毛な罵り合いになるわけですよ。
もっとも、信じるかどうか、という問題であったとしても、 それらはただでたらめに発生したり解決したりしているわけではなく、 それなりにちゃんとした筋道があったり無かったりするわけでして、 それだからこそ社会的な仕組みとして政治や法律という体裁をとって作用しているわけなんですがね。
以前書きましたが、 ワシはたまに夢でドツキあいになったときに、寝たまま暴れたりするのですが、 それで隣で寝ている妻にパンチくらわしたことがあり、 これに関しては非常に反省しているのです。 ごめんなさい。>妻
寝る間際にファイトクラブの話しが出たりすると、必ず彼女は 「今日は寝てる時にドツクなよ」と言います。
例によってなんだかわけが解らないままこの項終了。
やっと調整から戻って来た。
なんと、料金タダ。マジっすか?
「えー?! そんなアホな。別に異常と違いますし、 こっちはちゃんと手間賃払いますよ」と言ったが、 「いいえ。保証期間中の機械式時計は、 特に、マイナスからの調整の場合は、料金をいただくわけにはまいりません。」ときた。
しかも、「これで気に入らんかったら、何回でも持って来いや。 なんべんでも相手したるで」 とのこと。マジっすか?そんな商売やってて採算あるんけ? やるな。セイコー舎。 それかひょっとしてゼンマイフリコ式は採算無関係道楽部門なのでしょうか? きょうびそんなわけないよな。昨日の成績は +2s。さすがですね。
この時計の選択の基準ですが、ずばり、 「どれくらい詰め込んであるか」。これのみでした。アホですね。 比較の対象になったのは Breitling 社と Citizen 社の製品であった。 前者の機構は自動巻のゼンマイフリコ式、後者は太陽電池の水晶発振式。
実物を見ると、こいつが詰め込みレースでは圧倒的だった。 強烈無比、凶悪なまでの情報密度であり、 空白部を残す事は犯罪行為に他ならない!という決意がみなぎっている。 脅迫的情報量を実現している一つの要素が、尋常でないコントラスト。 その原因の一つは文字盤の黒だ。 光学機器の内側に塗る反射防止用の塗装だそうだ。 普通の時刻の秒針とストップヲッチの積算計二つで三つの円形サブダイヤルに加えて ゼンマイ巻き上げ量表示の扇型のスケール、 メインダイヤル外周の1/5秒刻みの秒表記、その外側に 逆数メモリ、その外側に対数メモリの円形計算尺。 もう勘弁してくれ。 気違いじみている。
その割りに、案外と時刻はみやすい。
裏蓋が透明になっており、ピコピコとフリコが動いてるとこなど、 なかみが見える。 要するに、ヲタク仕様全開ってことだが、 ストップヲチのボタンを押すとレバーその他の部品がちょこまかと動き、 いやはや、この中身は何だかすげぇっすね。
文字版のまわりの円形計算尺だが、 じつはこれがけっこう便利です。 潜水時計に、似たようなグルグル回る輪っかが付いているが、 アレとは比べものにならないくらい活用する機会が多いですね。 調整に出してる間も、これが使えず何度も不便な思いをしました。 ちょっと工夫すれば平方根の計算くらいはできる、 若干のアナログ的熟練を要する面白い仕掛けだ。 ただし、目が潰れる程メモリを刻み込んだスケールであるが、 残念ながら精度はあまり高くない。 あと、単位換算のための定数が刻んであるが、そんなもん要らんから 自然対数の底と円周率を刻んどいてほしかった。
しかしですね、俺は深く思うわけですよ。 だいたい、パイロット ウォッチって一体何なんだよそれ? 俺は、こんな時計マジマジと見つめてたらヒコーキなんか墜落しちまうと思うんだがね。 どうよ?