解説があると先入観ができるから、そんなのお断りだ。 空白のまっさらな心で作品に向かい合うのだ。
という意見をたまに聞くが、俺に言わせりゃそんなの全然ダメです。
いかにしてこの素材を用い、この形、この色彩、この仕上げに至ったのか。 どういう事情あるいは背景があったのか。 これこそが俺にとっては興味の中心であり、また、 自分の創造力の源泉でもある。
要するに作者の心理に潜るわけですよ。
こういったプロセスは、作者の生きた時代や思想的背景が 俺のそれと烈しく異なれば異なるほど、一般的にいって面白いものになるものだ。 また、逆にこれらの背景から作品だけを切り離して賞味したって 面白くもなんともないだろ。 そんなのコンピュータから CPU だけ取り外してありがたがってるようなもんだからな。
作品が成立した文脈からこれを切り離してしまう事が、どんなにつまんない事か、 というとですね、 西欧の美術館などで、寺院の祭壇壁画をひっぺがして壁にかけてあったりするが、 ああいうのをみると、けっこうせつないじゃないですか。 要するにそういうことですよ。 作品成立のプロセスないし周辺状況の解説すら無いのは論外だって事です。
ロードレース用自転車で夜中に誰も居ない道をゆっくり走ってると、 なんか低空飛んでる気分がするんですよ。 そんな事ないですか?
それにひきかえ、昼間の都心の幹線道路沿いは辛い。
俺の Makino Ultra FOCO が腹が減ったそうだ。 奴の餌は
だから、レーシングマシーンてのは難儀な奴だ。
まぁしばらく待て。秋には飛びきりのをくれてやる。
そういえば Kalavinka のサイトに俺様及び すげぇカッコイイという評判の新造通勤号が掲載されているので みんなみるように。
Cunego やるな!
そういえば、今年は調子の良い Serguei Gonchar ってなんか友達の アライ君を思い出すんですよ。私は。 彼は ナルシマ所属の登録選手で、 登りとTTに非常に優れており、かつ、体格も似ているのです(俺調べ)。
私は誰かに似ているでしょうか。巷ではバスク系日本人(←なんだよそれ) という噂ですが。
いま、ミートソースを作った残りの人参のヘタを飼っているのですが、 いやはや、これが元気が良くて楽しいですよ。
こう、人参の葉っぱって、ワサワサと細かい造作があって、カワイイんですね。 それに、緑が非常に鮮やかで、これが本体のオレンジと良いコントラストで鮮やか。 本体からは白い根っこもにょろにょろ出て来て、絶好調です。
昼間は南の窓際に、食事どきには食卓に引っ越します。