ロクなもんじゃないぜ。最初に断っとくがな。
俺は中、高と男子校だったので、 学校に女がほとんど居なかった.
そのためかどうか知らんが、俺の居た学校にはけったいな伝統が幾つかあった。
その一つが、女装である。
まず、学園祭でミスコンがあった。 当然、出場者は全員男である。 だからミスじゃないのだが。 恥ずかしながら、俺も出場した。 クラス代表を選んで飾り立てて競うのである。
セーラー服、バニーガール、隣の女子校の制服、看護婦あたりは 全部揃っている。 そんなありきたりの発想では勝てないのである。 ちなみに俺は「ミロのビーナス」だった。 何をどうやってミロのビーナスになったか、よく憶えていない。 どう考えても無理があるのだが、なんせ関西なので、 無理があるほどある意味「おいしい」のである。
しかし、女装ということなら体育祭の方が激しいのである。
まず、競技中のかっこうからして女装である。 アホですね。 テニスなんか惨澹たるありさまです。 それから、なぜか「チアリーダー」が居ます。
このチアリーダーの役目というのが世にも恐ろしいのだ。覚悟しろよ。
試合が終ると、勝っても負けても大騒ぎだ。 何の騒ぎかというと、全員でチアリーダーを追いかけ回すのである。 全員、獣と化して追いまわす。 多勢に無勢なので、すぐ捕まる。 わしらは飢えた野獣と化し、「うおおおおお!がおおおおお!!!」 などと吠えつつとっつかまえたチアリーダーに集団で襲いかかる。 戦争で陥落した城にモンゴル軍が集団で雪崩込んで来たみたいな感じであろう。 そして、たとえばパンツが見えたところでみんな、「…っは!!」と我に返るのである。 その瞬間の気まずさといったらない。
たしか、あんまりひどいんで、競技中の女装は禁止になったような記憶もある。
この記事 でいわれる「特殊な刃物」とはおそらく これ の事だと思われる。
ナイフマニヤなら誰もが知っている、 刃が西洋ナイフによくある小刃立てではなく 日本の刃物のような作りで、 柄はアルミダイキャストに樹脂で特殊加工された、 戦闘用ナイフの名作である。
俺は1991年当時、「Mark II よかスゲェのを作ろうプロジェクト」に燃えてて、 都合5本製作した。 3本めでようやく完成し、うれしくてそれで暴れてたら刃をへし折り、 4本めは刃の表面加工で失敗し、 5本めでようやく完成した。
形や寸法から自明だが、 こんな刃物は民間人にはこういう事件くらいしか使い道が無いので、 完成したところでモチベーションが消滅し、 鞘すら作っていない。 だって、鞘作ってもしょうがないでしょ。 用途が無いから持ち運ぶ必要もない。だから鞘なんかあっても意味無いもんね。 意味なくても作るの簡単なら作るけど、 こんだけの寸法のものになると、鞘も大変なんですから。 いやほんと。
当時は高橋焼き入れ工業をまだ知らなくて、 元住吉の不二越冶金工業で焼いてもらった。 SKH51 の HRC 61 である。
今じゃこんなの焼いてくれないだろな。
今日は久々に買物号できた。 上着を着る必要があったからである。 上着は前カゴに入れればよいので、 ロードよりも走行中は涼しい。 だから、久々に自転車で鬼コギしてしまった。
なんかしんどかったので起きたら11時だった。
妻に言われて掃除した。
そのあと記憶がない。
夕食は作る気力も材料もなかったので、 ニコタマにでかけた。
こういった、作るのが見るからに面倒で、ちょっとしか皿に載ってない おフランス料理は、俺には作れないので、 外食する価値はある。
今日は涼しいので、例のレーシング革靴をはいて、幹線道路を激走通勤してみた。
そいつが速くなったのか、それとも俺がヘボまったのか、 おそらく両方だと思うが、 軽くヒネり潰したおぼえのある奴が、五反田の登りで余裕で付いて来やがった。 次はないな。今度はおそらく撃墜されると思われる。
久々に自転車降りて30分しても肺が痛いような走り方をした。
ところで、最近は一般常識もなくちゃいかんな、と思い、 新聞を読むようにしているのだ。 新聞といっても mainichi-msn.co.jp とか asahi.com とかそういうのですがね。 毎日わりかし面白い話題が載ってるね。
こないだは、鹿が線路に入って来るのをよけるために、 線路脇にライオンのウンコを撒く、というのをやってた。 わざわざ動物園からライオンのウンコを持って来たそうだ。 だが、実験に集まった多数の人に鹿がおどろいてしまい、 効果はよくわからなかったそうだ。 効果は不明だが、別の事が判明したのだという。 それは、そもそもライオンのウンコはあまりに臭く、 作業員の負担が大きすぎる ということだ。このため、ライオンのウンコは不採用になったそうだ。
今日は、ゴミを黄色いポリ袋に入れたら、 人間には中身が見えるけどカラスには見えない。 カラスはなまじ頭がいいから中身を見てから袋をつつくので、 カラスよけになる、 という記事を目撃。カラスがそんなコソクな手口でよけられるなら、 とっくに絶滅危惧種だと思うのだが、 どうなのであろうか。
新聞にはこのように間抜けで脱力しちゃうような記事がけっこう載っており、 癒される。
アメリカやEC圏、それに日本でも、国民国家概念は宗教だとは思われておらず、 いわゆる宗教を超越した概念的枠組だとみなされている。 そして、その概念の中で、在来の宗教が取り扱われ、「自由」が与えられたり 宗教団体に税金が課せられたりしている。
だがイスラーム文化圏では、この包含関係が成り立たない場合もある。 その場合、国民国家概念は、イスラーム文化内部で不完全にエミュレートされた、 国連やアメリカと話しをするための一つのインターフェースにすぎない。
すなわち、自爆テロが行われている局面において イスラーム原理主義に対立しているものは キリスト教なんかではない。 キリスト教が今のイスラーム原理主義のようなものの対立項たりえたのは、 「薔薇の名前」の時代のはなしだ。
また、紛争当事者にはこの違いが言語化して意識されていない。
真の宗教戦争とはこういうものであろう。
ところで、この勝負、どっちが勝つだろうか?
国民国家概念は、集団の維持自体が目的であり、これが最優先事項だ。 一方、イスラーム陣営の最優先事項は超越的存在(神)である。 お互いがタコツボ掘って撃ち合いをしたりする状況においては、 国民国家概念が可能にする総動員体制を超えるシステムは今のところ存在しない。 それは、二つの大戦を経て鍛え上げられ(まさに battle proof だ)、 第三次世界大戦に備えて整備された社会基盤である。
だが、集団の維持自体が目的であるような集団は、求心力に欠けるという限界がある。 一方、イスラーム原理主義者は一人になっても戦争を続行することができる。
どっちが勝つか、判ってたらレースや試合なんかやる必要はないし、 戦争なんか起きない。