週末はずっと雨だったのでどうしてたかというと、 自宅で仕事していたわけだ。
俺の仕事はなにかというと、プログラムを書いているわけだ。 どういうプログラムかというと、まぁ俺が書くもんだから、所詮タカがしれてるわけだが。
ところで仕事であるからしめきりというものが存在し、 好きなときにすきなだけすきなものを書いておればよいというものとは、 そのクソしんどさ具合が全然異なるのである。いうまでもないことだが。
つまりこう考えれば良い。
真冬の飛騨山脈にレジャーででかけるのと、 仕事あるいは内戦その他の理由で余儀なくでかけるのでは、 その意味の隔たりは想像を絶するものがあるわけだが、 プログラミングが穂高の冬壁と比べてどうとかいう話はおいといて、 俺が経験した「頭を使う仕事」のうち、 一番難しいのが数学や数理システムの基礎の研究で、 二番がプログラミングだ。 それが仕事になってるわけだから、まぁこりゃかなり大変だ。 実は、プログラミングのなかでは「どういうものを作ればよいか」を考えるところが大変だ。 あとはめんどくさいだけで、そんなに大変じゃない。
関係ないが、フリーソフトに時々優秀でシビレるようなプログラムがあるが、 これは、「どういうものを作ればよいか」を考える人が、 実際に作る人と同一人物である事に起因するのではないか。 会社が商売で作った製品なんて、そういうふうに作られる事はまず無いだろ。
つまり俺の仕事は〆切は自分で選べないが、テーマと実装は俺の担当なので、 その分だけまだマシということであろう。
シメキリを自分で決めてたら、それはもはや仕事ではないというか、 絶対にできあがらない。
わしも買ってしまった。
なんかこう、やたらと語りが熱いな。
そもそも、題からして熱いわけだが。
数理科学全般を概観するには非常に良い書物だと思うが、 そもそも対象となる読者がどのあたりなのであろうか。
証明なしにシレっと書いてある事が気になっていちいち証明つけてたら、 全然すすまねぇ。
ところで、数理システムの基礎方面において、 「オメガ矛盾」という概念がある。
「そのうち作る」と俺が言明したとする。
営業が「いつできますか。明日ですか」と訊く。
「明日は無理だな。」と答える。
そいじゃその次は?と訊く
「やっぱ難しいんじゃないかな」
そいじゃ来週は?
「他にもやることあるしな」といつまでたってもこういうわけだ。
べつにこれは、厳密な意味において矛盾してない。 しかし、こういうのを放置しておくのは世間(数理システム)にとって、 ためにならぬ事ではないか、という疑問は当然生じて来る。
そこで、こういう穴を塞ぐのが「オメガ矛盾」という概念というわけだ。 「そのうちやります」といっていつまでたってもやらないやつは、 古典論理の意味では矛盾しないが、オメガ矛盾である。
オメガ矛盾しないならば、 「オメガ無矛盾」であるという。 普通の矛盾はオメガ矛盾であるが、逆は違うので、 オメガ無矛盾性は普通の無矛盾性よりもキビシイ概念である。 これらは、形式的に定義されるような体系の、 完全性に関する研究において重要な概念の一つである。 オメガはこの概念ができた当時一般に使われていた、 加算無限の濃度(これはヲタクの濃さとかではなく、 無限個モノがある世界において「どっちが多いか」を考えるための 尺度、つまり数みたいなものです)を表す記法でした。
上記の状況を無反省に述語論理の記法で表記すると、 普通に矛盾してしまう。 そこらへんの記述の意味を厳密に区別し、 これを誰にでも解りやすい(というより反論の余地のない、といったほうが適切か) 手法で明らかにしたのが、 K. Goedel と A. Tarski だった。
なお、「そのうち作る」とかほざいてた俺が、 作らないうちにたとえば「勇敢に戦って死んだ戦士」として死んだ場合、 オメガ矛盾ではなく普通の矛盾になる。 世界に最後の日があった場合も普通に矛盾する。 おっと。なんか神学じみてきたな。 つまり、オメガ矛盾を理解するためのカギは(加算)無限の彼方というわけだ。 それゆえのオメガ矛盾という名称である。
ところで、おそらくこの記事も含めて, ゲーデルの定理の解説の99.998%(←俺調べ)はバカ電波です。 例外は R. スマリヤンくらいですかね。
「人間の頭蓋骨は、そうあって欲しいと自分が願う程には頑丈ではない」(カール大帝)
という古代の格言(適当なでっちあげだ。言うまでもなく。)に基づき、落車でヒビの入った イタリヤはMET社の「第五元素」たらいう錬金術にその起源を持つ 蘊蓄深い商品名の赤/白ヘルメットをやめて、 このほど新しくアメリカはGIRO社の「大気」というやはり形而上学的な名称の 製品に乗り換えた。
色は、つやけし黒である。 なんかずいぶん地味だなぁ。
さて、、俺様のヘルメットといえば、羽だ羽。 これがついてるのがもうお約束となってしまっている。 ユキリンのフジタ君といえば頭にハネが生えてるものと相場は決まっているのであり、 いまさらこれ無しに済ますというわけにはゆかないのである。 全くの自意識過剰であり根拠lessな思い込みである。 METについてるのも長年の使用でずいぶんヘタレてしまっているので、 このほど新しく作り直した。 しかし、ずいぶんこのあいだ作った羽は ながもちしたぞ。ポリエチレン テレフタレート は丈夫だなぁ。
「第五元素」は毛唐のタテナガ頭専用というかんじで、 俺がかぶったのでは前後がまるっきり余ってて左右コメカミは当たっている状態。 そこに、前面にあまりにも大胆にあけられた穴から、 時速40kmで流れ込む深夜の小金井の空気。 帰宅したときには偏頭痛で意識モウロウとしておる(ちょっと大げさ)。 洗面所でみる顔には死相があらわれるありさま。
atomos はそんなことはなく、俺のアタマの形状にぴったりである。
ただ、若干アレなのは、これをかぶって oakley の Mフレームをかけたら、 まるで某Armstrongと同じカッコウになっちゃうことなんである。 同じなのはカッコウだけで、脚は言うまでもなくおはなしにならぬところが、 非常にせつないわけですが、 ハネをつければそんなコスプレ疑惑も多少は薄らぐというものです。