1998 Jaskowski's Symposium の記録


6月中旬に, 突如 7月上旬に行われる国際学会で, 俺が発表する事になった. 学会は, はるばるポーランドであるという. ポーランドまで自力でたどり着き, 発表して帰って来る事ができるのか? しかも, どこからも援助が無いのだ. 飛行機代も宿泊も全部自費だ. しかし, こうなれば, 発表さえうまく行けば, どこをどううろつこうが, 誰に文句を言われる事もない. 俺は, この際だから, 「学会での発表を組み込んだ, ヨーロッパ貧乏旅行」 にしてしまうことにした. 旅行は, 金を使わない程面白いのだ. 飛行機は南回りの激安チケットにし, 行きはクアラルンプールで1泊, 帰りは ウィーンで1泊のストップオーバー. 予約したものと言えば, 飛行機だけ. どこへ行くのか自分でも判らない, 出たとこ勝負の旅に出た.
Sat Jul 11 00:13:31 JST 1998
大井町線の始発で上野へ行き, ケイセイの急行で成田に行った. 成田はあいかわらずわかりにくかった. 旅行会社のカウンターでクーポンを航空券に引き替えて, チェックインした. 搭乗開始は 10h なのだが, まだ 9時だ. 昨日の夜から全然寝てないので, 異常にしんどく, また, ろくなものを食って なかったので, 腹が減っている. うどんを朝飯に食った. めちゃくちゃ暑くなっ てまいった. 第一カンギンがやってたんで, 金を下ろす. これで, とりあえず金が足りなく なる事はあるまい.

飛行機に乗った. えらく狭い席だ. こんなに狭かったっけ. となりがデブだっ たりしたら, こりゃ目も当てられませんな. さいわい, 俺の隣は日本人の女で, そんなにデブではなかったのだが.

ペナンというところに一旦降りてから, KL に着いた. KL の空港はこないだ できたばっかりらしく, むちゃくちゃにでかくてきれいで判りやすかった. 入 国審査の人は, 女で, しかも親切であった. 市内に行く方法をここできいた. なんか, 直行バスがあるらしい. そのまま降りて行くと, それらしいカウンタがあったが, 金が円のままだった んで, 一旦両替する. ちょっと食ってから, バスのチケットを買った. 16RM だ. 1RM は 30円であるから, 500円だ. 空港から市街までは, 100km あり, バスで 1時間なのだが, これで 500円なら, 安いと言わねばなるまい. 5000円 を両替したので, 所持金は 150RM である. 今, 80RM だから, 70RM 使った のか. ホテルが 40RM でバスが合計 17, 飯を 10 食ったから, 計算は合うな. すげえぜ. 使ったかねと所持金があうのは奇跡だぜ.

バスが着いた所は, やや郊外の謎の場所だったんで, そこらへんのにいちゃん に市街に行く方法をきくと, "interkota" と書いてあるバスに乗れば行ける という. 値段は 1RM. 本当は 90c なのだが.

バスにのったものの, どこへ行くのか見当がつかんので, 困る. 前に乗ってる 信用できそうな奴に, 「今どこだ」ときいても要領をえない. はなしている内 に, 「じゃあ, ホテルを探してやろう」ということになった.

マレーシア人は, みんな非常にまじめで, 勤勉で正直であるようだ. 麻薬密輸 は死刑. というところにも, そのへんが現れている. やや息苦しい国ではある が, 治安は良く, 皆親切なのだ. わりかし良い国である.

ものすげえ発展のしかたをしていて, 高速道路なんか, 最低でも片側3車線で あり, 空港周辺や街の近所など, 混む所は 4車線だ. KL の街は, とんでもね え建てもんが, ぶっ建ちまくっており, 昔の日本の高度成長というのはこんな 感じだったんかねえと想像してみる.

ホテルは, chow kit market という市場の近所に見つかった. これで 40 は 安いかも. なんせ, ちゃんとクーラーついてんだぜ. 俺の家にも無いのに.

chow kit market は, 飯屋とかあるんだが, 飯の名前も値段もわかんないし, もう遅いのでやってる店も余りないから, 諦めて非常食のパンを食って寝るこ とにする. 部屋のコンセントを見ると, アダプタプラグが使えそうな感じだっ たんで, つっこんでみたら, 繋がった. で, 今, コンピュータが使えている. 便利ええのう. 明日はちゃんとした飯を食うぜ.

ファイルのタイムスタンプがおかしくなると困るんで, 時刻は変更しないでお こう. 地球一周したら一日狂うが, そんな時はどうするのであろうか.

ああ, よく考えたら, 時刻を変更しないなら, 地球を何周しようが関係ねえや.

Sun Jul 12 14:10:22 JST 1998
現地時間は 12日 午前7時である. Zurich に着いた. 空港はけっこう蒸し暑い.

chowkit から 鉄道中央駅まで, いろいろ見ながら歩いたが, なんつうか, む ちゃくちゃ暑いし排気ガスはすげえしで, かなりまいった. とりあえず, 朝飯を chowkit で食った. ナシゴランだが, 俺のマレーシア語 は全く通時ず, 一方屋台のおばはんですら英語を知っており, 食事はもんだい 無く終った. 紅茶も頼んだ.

金が大幅に余りそうなんで, 金の要る観光地にでかけた. でかい敷地に網はっ て, そんなかに蝶を放した公園と鳥を放した公園があるというので, 行ってみ たが, たいしたことなかった. それよりも, 途中の道が, 首都の 中心部分であるにもかかわらす, やや屋久島化しているのにぶったまげた. 周 囲は緑地の公園ということだが, そんな生優しいものではなく, 完全なジャン グルだ. 30m以上ありそうなでかい木の間に椰子だかシダだかわかんねえ巨大 な植物が生えていて, それぞれツルだかなんだかを大量にまとわりつかせてい る. それで, 集中豪雨のせいか何かしらんが, 歩道はぐにゃぐにゃに波打って たり, ちょっとした土砂崩れみたいなので塞がってたりするのだ. 落葉も A3 くらいのがどっかと落ちてたりしてな.

夕食は中華街で豪勢にくったろうとおもったが, なんだか高そうなレストラン は一切無く, ホテルで食うしかなさそうなのだが, ホテルは俺みたいな格好し てると追い出されそうな雰囲気なんでけっきょく屋台で食った. おかしと水と ラーメン(わんたんめん)を食った. これで結局10RM であり, またしても, 300円で食事は終ってしまった.

駅で空港へ行く方法をきいたところ, 電車で途中まで行き, そこからバスで行 くのが簡単らしいんでそれで行くことにする. 間違って, 電車の往復切符を買っ てしまった.

電車は, ずっとジャングルの中を走っている. 実は, 良く見るとジャングルで はなく, ヤシか何かの農園らしかったが, 左側はジャングルだった.

マレーシアという国は, 街以外でわしらの行けるところは, ジャングルの中を 高速道路がズバーと通っている国だった. 空港は, あいかわらずマジででかかっ た. どうもピア野廉蔵さんの作ぽいので, ディティールを何枚か写真に撮った.

国際電話をかけようとしたが, 失敗した. 国コード エリアコード 電話番号 とダイアルするらしいのだが, エリアコードというのが何か判んないのだった. 国コードは電話に書いてあったのだが. まあいいや. ボスに会ったら訊こう.

飛行機は, 隣の席が空いてたんで, 横になって爆睡だった. 前のディスプレイ でゲームができるようになっており, F-ZERO があったので, ちょっとやって みた.

Sun Jul 12 21:06:15 JST 1998
ワルシャワに着いた. local time で14h06m. 時差は 7h だ. 飛行機で飲んだビールに酔っ払って, ぐるぐる状態で空港を出た. すぐに金を 100$ 換え, バスのチケットを 5枚買った. 175系統でワルシャワ大前で降りる. 100$ は 300Zl だから, 1zl で 45円くらいだな. 空港から市街まで, 1.4zl だから, 65円で, バスは格安だ. 街の気温は 20度で, 湿度も非常に低い. 人は親切で, 日本人は珍しいらしい. そもそもワルシャワ行きの飛行機で, 東洋人は俺だけだった. ポーランド科学アカデミーは, 戸はあいてたが, 門番のばあさんが居るだけだ. 「Gasparski に会いに来た」といったら通じて, 「Nie ma, nie ma」と言われ た.

腹減ったんで, 飯食った. 間違って高い店に入った. ウェイトレスがばりばり に英語ができた. 頭も良さそうなんで, ワルシャワ大学の学生だろうか.

おお, ヨーロッパだから, 昼間に F1 やってるよ. ハキネンが間違ってたんぼ 走ったおかげでシューマッハが勝ったよ.

Mon Jul 13 06:32:08 JST 1998
おお, フランス勝ちよったがな. つうか, ブラジルかなりふがいなかったなあ. ここに来て, いきなりジダンがセットプレーで爆発したのも何かあるのかな. ブラジルは自滅したな. 完全にフランスの手にはまってカウンターくらいまくっ てた. プティに決められてんじゃねえよ.

ドイツの番組で, Gunter Netzer という人が, スタジオの解説だった. タケシ なら, 誰か知ってんだろうけどなあ. 無論ドイツ語だから, 全然何言ってんだ かわかんないんですけどね.

今日の夕食はちゃんとしたポーランド料理だ. うまかった. 43zl.

ワルシャワでも, 騒ぎまくってる奴らが居る. うるせえぞ. 尋常じゃねえよ. 糞が.

強化人間ベルカンプがサッカーロボなら, 野獣人間ロベルト カルロスは, サッ カー動物である. 奴のプレーからは, 知能のかけらも感じられない. 知能の無 さが, あのプレーの源泉なのであろう. 多分, 奴は「オフサイド」というルー ルを理解していない.

今日は, 旧市街を観光した. 写真も幾つか撮った.

Tue Jul 14 05:57:24 JST 1998
9時に起き, 10時にホテルを出た. 科学アカデミーに行ってみたが, nie ma 一筋 30年みたいなおばはんが, 入口の所に居て, Gasparski 先生は 居ませんみたいな事を言ってた. しょうがないので, とりあえず朝飯食ってからワルシャワ大に行き, 日本語研 究科がどこか訊いて, 岡崎先生に会った. 日本語研究科には日本語ができる学 生がたくさんいて, 俺は驚いたよ. 事務のおじさんみたいのまでできるんだか ら(おじさんは, 英語は出来なかったが, 日本語はできた). 研究室には日本語 の本がたくさんあり, ポーランド人と日本語で話しているのは非常に奇妙な気 分だ. なんせ, いくら日本語出来るといっても, そのまましゃべっては判りに くかろうから, そこんところを考えながらしゃべってたんで, けっきょく英語 で喋るのとおなじくらい疲れた. 岡崎先生と昼過ぎに別れて, 俺はもう一かい科学アカデミーにでかけたが, ま たしても nie ma 一筋 30年に追い返された. 今日はどこに泊まるかのう. 昨日みたいにホテルに泊まってたんではいくら金 があっても足らんので, ユースに泊まる事にした. ユースのチェックインは 16時からで, それまで時間があるから, 公園でぶらぶらする. Saski 公園と いうのは, 無名戦士の墓というのがあって, そこを兵隊が守ってるんである. そこで, いわゆる一つのヨーロッパ軍隊の直立不動というのを見ましたよ. な んか, からくり人形みたいであった.

ユースは, 一晩 22zl で, 800円. ホテルの 1/8 だ. あほらしくてホテルなん か, 泊まってらんねえよ. 二度と泊まんねえぞ. ユースで日本人貧乏旅行者2人に会う. 一人はスキンヘッドで, ボスニアから. もう一人は人生にカツが入って会社をやめて来た奴で, バルト3ごくから. ス キンヘッドは, 自炊で野宿だ. 今日もワルシャワ中央駅で野宿だそうだ.

なんか, 今日は異常に疲れた一日だった. 知らない人と会ったせいであろう. もう寝るぜ.

Wed Jul 15 03:21:16 JST 1998
朝 8時に起きた. 枕の下に, 金を置いたのに, 起きたら無いのでかなり焦った. ベッドの向こうに落ちていた. なんつうこった!一瞬旅行保険の冊子を読んじゃっ たぜ.

朝飯を BAR で食った. 朝飯は, 5zl. マカロニスープとパンを2つ. 美術館に行き, キリス ト教美術と, ルカスクラナハを見る. なんか, やたらとしんどかった. 「便所 はどこだ」というポーランド語がちゃんと通じた. カフェテリアで紅茶とケー キを食った. 5zl.

隣は軍事博物館で, 入場料を払わなくても T-34 と T-34.85 と JS2 が見れた. 写真とった.

時間になったんで, 待ち合わせ場所の, コペルニクスに行ったが, 誰も居なかっ た. おやつを買ってたら, ボスが来てた.

今日は, ボスの友達の家に泊まるらしい. それで, 明日朝に torun に行くら しい. 今日はほとんど何もしてないので, あまり疲れてない.

Thu Jul 16 05:19:37 JST 1998
昨日のよるは zapisek さんの嫁さんの兄弟だか友達だかが大量にやってきて, なんか異様に盛り上がり, よる 12時まで喋って, 朝 8時におきた. 10時頃, Zapisek さんの車で, Torun まで送ってもらった. 出発する時に, 家族と, 藁谷研の皆さんで集合写真をとった. 300km を civic でぶっとばして 3時間半. しかも下道である. かなりの運転 で, 追い越しシーンでは, やや焦った時もあった. Torun の街は, ポーランドで, 戦争で全滅しなかった2つめの街だ. 1つめは, Krakow だ. Warsaw の旧市街は戦後の再建だから, ややディズニーランドじ みた感じがあるが, Torun のは, ちゃんと煤けている. 街は, たいへんいい 感じだ. 両替屋は日本円を扱ってなかった. 学会の参加に115zl 宿泊に 110zl 飯に 80zl 払った!! 一日の最高出費であ る. 合計 300zl であり, 15000円! まじかよ. もう出費が無い事を祈るよ. 発表を幾つか聴いたが, 英語だという事しかわかんねえ. つうか, 何いってん だかわかんねえ. なまりがひどくて. それに, OHPも字が小さくてな. 宿泊施設の学生寮は, けっこうナイスな場所である. なんと, ボスと同室であ る. 2匹の猛獣が同じ檻に入っている状態である. 会期終了まで, 何も無けれ ばいいのだが(爆笑). わしとボスは単身赴任で学生寮だが, シドリ新婚夫婦は, 旧市街のホテルだ. わしらは飯も学食だが, シドリ夫妻はホテルのレストランである.

zakopane にどうやって行くかを考えている. 18午後に暇になり, それから電車で行ったとして, 最短 19日朝. 登って, 泊まって, 降りて来たら, 20日夕方. それから電車にのって21朝に Warsaw に着き, 飛行機が 12h15m.

Fri Jul 17 05:33:44 JST 1998
明日は俺の発表だ. しかし, 全然緊張していない. 緊張する理由がないからだ. 今日は9時に起き, 10時から会議に出た. どの発表も全然わかんねえから, まじでつまんねえ. これじゃあ寝てる方がま しだよ. つうか, 寝てたけど. 昼飯食った後, 電波天文台の見学があった. ポーランドの電波天文学の草分け のおやじがいろいろ説明してくれて, おもしろかった. なんつうか, 典型的な 天文学者の一人で, 話がうまいのだ. そういう人が居ないと, 予算が取れない ので, 天文学が全然発展しないのだときいた事がある. 天文台では hp の ws に xephem を入れて, それで電波望遠鏡を制御していた. 波形のアナライザとかは, 自前か, それともどこぞの天文学者が書いたツール であろう. 環境は要するに unix だった. wm は mwm みたいなものを使ってた.

夕方から表で guarden party があったが, 疲れてたので, 草分けのおやじに ちょっと話をきいただけで, ゆっくり夕日を眺めていた. ポーランドの田舎の 夕暮れというのも平原だから悪くない. もっとも, 俺は高い山で見る天文現象 ほど好きなものは無い. それに比べると, 比じゃないがね. 使われてない電波望遠鏡が草木に埋もれており, それについて草分けのじいさ んにきいたんだけど, なんとその望遠鏡はじいさんが自腹切って作ったもんら しい. 太陽の観測をするためだったそうな.

なんか, とにかく今日は疲れた. 昨日糞したが, 今日も糞した. 毎日糞してるぜ. どうなってんだ. 食いすぎじゃ ねえのか. 腹が出て来た気がする.

Sat Jul 18 07:50:56 JST 1998
今朝は起きたら, 昼だった. 昼飯食いにいく準備してたら, ボスに宿の呼び出しがあった. 人が訪ねて来ていた. 昼飯食った. それから, テレフォンカードを買った. それで, 電話した. ちゃ んと通じたんで驚きだ. 発表は, どうという事は無かったな. わりと受けたようで, よろこんでくれた ポーランド人が何人か居た. まあ, こんなとこまで出て来た甲斐があったとい うもんだよ. 質問もけっこう盛り上がって, 良かったよ. 俺の発表は終ったんで, 街を観光した. 川で立ちしょんした. 明日も観光だ. なんか, 一日中大学から出ないので, 出来事が無いなあ.
Sun Jul 19 05:54:19 JST 1998
今日はボスの発表のひであった. うまくいったようであった. これで, やる事がなくなったんで, とりあえず最後まで会議に出てから昼飯くっ て, 街に観光に繰り出した. まちまでは Tobias Klaus 君が車にのっけてくれ た.

教会を幾つか見た. それから, 俺以外はふたたび Zapisec さんちに泊まるら しい. 俺は, 明日早くに Krakow に着いて, 美術館に行くのだ. だから, 夜行 列車で Torun から Krakow に行く事にした. 寝台列車である. むひひ. 切符はボスが取ってくれた. クシェットつまり, 安い方の寝台だ. 電車までかなり時間があったんで, 街にバスで戻り, もうフィルムがあまりな いので, スケッチした. 広場にへたりこんで, 聖マリア教会をスケッチしていると, いろんな人が話かけて来る. ギター持ったアル中の浮浪者と友達になった. 「おまえが Torun に来た時は, いつでも電話してくれ」といって, 電話番号 をもらった. 俺も電話を教えてやった. それで, 広場で一緒にエリッククラプ トンを歌った. あと, ビートルズの へいじゅーど も歌った. 駅に戻り, 電車を待っていると, 若い衆がはなしかけて来た. I love you の 日本語を教えてやった. 奴らは, 隣の街から遊びに来たらしいが, 電車が無く なって帰れなくなっていた.

ホームに, 一緒の会議に出ていた人達が, 電車を待っているのを発見した. krakow の大学の人達だった. 俺の前に発表していたおばあさんが, いろいろ親切に教えてくれた. 降りる場所 を車掌に教えないといけない事. Krakow 中央駅で降りないといけないこと. 朝飯がつく事などである. またしても, 一人旅だ. 一人旅は気楽で良い.

Mon Jul 20 13:02:44 JST 1998
夜行列車で着いてから観光はかなりしんどかたな. 朝6時に着いても, 何も無 いし. とりあえず食糧は前の日に買っといたんで, 店がやってなくても困る事 はなかったが. とにかく眠かった. 荷物を駅にあづけて, うろつく事にした. ダヴィンチのある美術館を捜し出したが, まだ朝8時だし. 暇なんで広場で他 の貧乏旅行者や浮浪者と一緒にぼーっとする. あちこちに教会がたくさんあっ て, あさっぱらから, ミサやりまくっている. なんか, でかい(聖マリア)教会が広場のよこにあって, そこにたくさん人が入っ て行くので, 俺も入って行く. 祈っている人がたくさん居たが, とりあえずお となしくいろいろ見て廻ってたら, またしても来ました!パイプオルガン! またしてもローマのサンピエトロ以来, ひさびさにミサに突入してしまったよ うである.

今回は, 祈りの呪文も全部ポー ランド語なんで, 「てんにまします」はおろか, 「父と子と精霊」すら判んな いのである. 例によって, みんなと同じように立ったり座ったりしながら, わ かんない単語を辞書で引いていた. 終りの頃になると, 見習いの坊さんか, 地 元の衆かしらんけど, 衣装着た若い衆が篭もってやって来た. そして, 俺教の 信者である俺からも 1zl 取り立てて行った. もっとも原初的な純粋集金シス テムに触れる事が出来て, 光栄である. こういう場合の donation の相場が判 んないのであるが, 蝋燭が 1zl なんで, 1zl硬貨にした.

30分くらい, そうやって教会に霊的に拉致 されていたが, そのうちミサが引けたらしく, 人びとは立ち上がってうろうろ し始めた. 俺も主廊を見てないので, そっちを観察してると, 来ました!バッ ハです. バッハで皆さん退場です. 15世紀から建ってる教会でバッハです. 大 概音楽で感動する事など無い私ですが, こんときはさすがに感動しましたね. 終るまで聴いてました.

ミサが終ると czartoryskich 美術館がやってる時間だったんで, 出かける. ダヴィンチを置いてあるところだ. 他にもいろいろ工芸品が置いてあるのだが, 刀はやはり日本刀が断然美しいのであり, ケトウの刀は, ややアレであった. 茶碗やらエナメル焼きやら祈祷書やら教会の祭壇からひっぺがしてきた画やら 置いてある. ダヴィンチは別の部屋にあった. ポスターを俺への土産に買った が, 潰さずに持ち帰る事ができるだろうか?

いつも思うが, ダヴィンチの画のスゲエ所は完全なディティールと完全な構図 である. 両方備えた画は, なかなか無いものだ. 全部に焦点が合っており, か すみはあってもボケは無い. 完全なディティールと完全な構図なので, やや CGがかってみえる. なんせ全部に焦点があってるし.

さすがにしんどくなって来たんで, ちょっとユースを探すが見つかんないので しょうがなく公園のベンチで寝た. 起きて, 昼飯にピザ食って, collegium maius にいく. universytate jagiellonska は 1364年の創立で, コペルニク スの出身大学だそうな. 当時の校舎が残っているのだ. まあ, 校舎が残ってい るおかげで, なんか当時の雰囲気を想像してみたが, 要するにゼミをやってた んであろうから, やってる事は 500年変化無しだ.

どうもユースが見つかんないし, 安宿も日曜でやってないみたいだから, しょ うがなくホテルに泊まった. 金が無いので両替した. 日本円を潰した. ホテル は朝飯付きで 120zl. ワルシャワよりはかなり安い. 風呂とテレビはあった. テレビはつまんなかった.

良い飯屋を見つけたんで, 明日も行こう.

Tue Jul 21 04:33:52 JST 1998
朝 10時に起きた. 昨日は結構しんどかったな. 今日はあまり何もしなかった. Warszaw 行きの切符を買ったら疲れてしまい, Wieliczka 行きの切符を手に 入れることができなかった. つうか, もう街はいいや. ヨーロッパの街はもう飽きた. 美術品は, イタリア ルネサンス以外は見なくていいし, 街はどこも同じだ. まじで, 今後街は用事 以外では行くまい. 用事でヨーロッパ来たら, 街には用事だけで居り, 後はア ルプスに居よう. 街なんか世界中どこでもおんなじさ. くだらねえ. 金はかか るしな.

ヨーロッパには, 日本に紹介されない変てこなモータースポーツがたくさんあ るようだ. 今日は, トラックのレースとトライアルというのを見た. トラック のレースはベンツのトラックがサーキットを爆走しており, 運転手はトラック の運転席で, レーシングスーツ着てハンドルをトラック廻ししているのだ. トラックのトライアルは, 凸凹の土地を, 改造4駆(あるいは 6駆)トラックで 走り回るというもので, 所々に細い棒が立っててそれに触れたり倒したりする と減点という競技. カテゴリが7つ(!!)くらいある. ツアーがあって, ヨー ロッパを転戦しているらしい.

今日は wawel 城に行った. ヨーロッパの城というのに行くのは初めてで, お もしろかった.

それより, 今日午前中にうろうろしてたらカメラを道に落し, そのショックで 蓋があき, それまで撮った写真が消えたのだ. なんてこった. ムカツク事ばっ かだぜ. もういいや. 尋常じゃねえよ. ウィーンも, もうどうでもいいや. 美 術史美術館以外は, どこも行かねえ. ユースがあればそこに泊まるが, ホテル でも一番安い所に泊まるぜ.

しかし, 今日は宿も見つかんないし, 暑いしで最悪の一日だった. おお, テレ ビでツールドフランスやってるぜ.

駅でスペイン人にスペイン人と間違われた. そのスペイン人は, 日本人といっ てもおかしくない顔をしていたが.

ワルシャワ行きの切符は意外と簡単に取れた. しかし, それでかなり疲れた. お土産も買った. ダヴィンチのポスターと, こはくの耳飾り. 明日は 7h12m の電車なんで, 早く寝るか.

Wed Jul 22 15:19:04 JST 1998
久しぶりに日記だ. 6時半に起きたが, 風呂に入ってたら電車にぎりぎり だった. 電車は krakow から warszawa まで止まらないのだった. 駅のホームから Zapisek に電話してお礼を言った. 飛行場にバスで行き, そこで朝飯食った. 金をオーストリアのに換えようとし たが, 両替できなかった. むかついた. これで 5000円くらい屑になった. まあいいや, 今度来た時に使おう. チェックインして, 出国手続きしてから, 出発ゲートが変更になったりしやがっ た. しかも英語のアナウンスはほとんど聞き取れないのだった. 相変わらずむちゃくちゃ暑かった. 飛行機では昼飯がでた. vienna にはすぐに着いたんで, 金を両替してから, 案内所でちょっときき, バスで市街に向かった. よく見たら電車でも行けるら しく, 多分電車の方が安かった. 金は 1万両替した. 1シリング 12円くらい. 市街に着いたら速攻で kunsthistorisches muzeum に行った.

すげえところだ. まじですげえ. ヴァチカンよりすげえ. とりあえずイタリア, スペインの作品を集めた2階の右翼だけで, こんなのがある.

ティツィアーノ

イザベッラ デステ
ヴィオランテ
毛皮を着た少女
ヤコボ ストラダ

マンテーニャ
セバスチャン殉教図

パルミジアニーノ
凸面鏡の自画像

ラファエル
庭の中の聖母

ブロンズィーノ
聖家族と洗礼者ヨハネ

ミケランジェロ(帰属)
ガニュメデ

ジョルジョ ヴァザーリ
医師 Petrus Martius の肖像

カルロ サラセニ
ホロフェルネスの首を取るユディエト

カラヴァッヂオ
ゴリアテの首を取るダヴィデ

ヴェラスケス
マルガリタ テレジア 3枚
フィリップ
Baltasar Carlos

さらに, アルプス以北では

ブリューゲル
冬の狩り
スケート
Bauernhochzeit
農民と木登りする子供
バベルの塔
その他有名な奴

ルカス クラナハ
肖像数点
楽園追放

デューラー
若い女の肖像
聖母子 2枚
最後の審判みたいな祭壇画(実は三位一体らしい)

あと, フェルメールもあったな. 要するに, ルネサンスで重要な作品の大部分 がここにあるのだ. なんて楽勝な美術館なんだ. ここだけ行けばいいのだ. 「これが無いな」とおもったのは, ダヴィンチがみあたらない. 受胎告知の良い のが無い. それくらいかのう. ここに挙げたの以外にも, 要するに展示してあ る画でしょうもない奴は一枚も無い. しかも, なんつうか, 部屋の造作もすげえのだ. 入ってすぐ, もう, 建てもん がぶっちぎりですげえ. カフェテリアもあるが, そこに入るとなんつうか, 王 様になった感じ. しかも, ドイツ系らしく, 建物のどの部分もものすごくちゃんとメンテナンス されていて, 昨日出来たばっかりの新品みたいな感じだ. カスパー デビッド フリードリヒの特別展をやってたんで, 入場料は 100シリ ングだったが, 余裕で元取れるぜ. ヨーロッパ来た時は, 絶対ここに来よう. ウィーンなんて, ここ以外は存在意義無しと見たね.

美術館で日本人が「歩き方」見てたんで, 見せてもらった. それに, ユースが 幾つか紹介されてたんで, そのうち「一番安い」という評判の所に泊まること にする. 地下鉄を降りてから歩いてると, またしても日本人貧乏旅行者に会っ た. 自炊の食糧を買い出しに行った帰りらしい. 俺が泊まろうとしているユー スの客だった. 予約も何もしてないんで, 泊まれるかどうかわかんなかったが, なんとか泊ま れた. なんと, 俺の部屋はビルの 11階で, エレベータの類は一切無いのだ. しかも, 8人部屋のうち 6人までは出稼ぎナイジェリア人なのだった.

自炊で夕食食ってたら, そのナイジェリア人と話をする. 「ハシモトはぼけな すだ, 日本経済がずっこけたおかげで, 俺の商売あがったりだ」と嘆いていた. 「ナイジェリアは軍事政権で独裁者でろくでもないのでとんでもねえとこだよ」 と嘆いていた. そのわりには黒人特有の明るさがあり, そんなの全然悲しくな い様子である. 今も部屋で勝手に歌を歌っている. 全員が勝手な歌を勝手に歌っ ている.

全く, 奴らなんとかしてくれよ. パンツいっちょでボリボリとチンポかいてる し. ずっとドジン語で歌ってるし. ベッドが暑いらしく, 気がついたら床で 寝てるし. 部屋にソタが 6人居ると思えば良いだろう. まじでずっと歌ってん だぜ. 奴ら, 歌ってるか, しょうもない冗談を言ってるか, 寝てるかだ. なん つう民族だ.

むちゃくちゃ暑いんであまり寝れなかった.

Thu Jul 23 18:33:41 JST 1998
朝起きてから, 荷物をまとめて, 他の日本人貧乏旅行者と, 再び kunsthistorisches にいった. 持ってた金をほとんど全部ミュージアムショッ プで使った. 空港までのバス代だけ残して全部使った.

ウィーンから乗った飛行機には, れいによってゲームとかがついてた. 初めに座ってたら, いきなりダブルブッキングでもうひとりマレーシア人がやっ てきた. その問題が解決しないうちに, 東欧の親子がやってきて, 俺の隣には オヤジが座った. オヤジが心臓病もちだから, 息子が俺と席をかわってくれと言う. ダブルブッキングが解決してからかわってやった. 後から来たマレーシア人のおやじは, ビジネスクラスの席をもらっていた. く そ. 俺があとから来ればなあ.

kl の空港でテレフォンカードを買い, 電話をかける. テレフォンカードは, ICカードじみた立派なもので, おどろいた. 全部使ったが, 立派なので捨てず に持って帰って来た.

飛行機では夕食と朝食が出た.

KL ではぶらぶらしてるうちに, 搭乗の時間となった. 搭乗しても, ちっとも 出発しない. 1時間ちかく遅れて出発した. 離陸の時に異常な振動があり, や や焦った.

帰りは zurich -> KL も KL -> 成田 もかなり気流が荒れて揺れた.

成田に着いた. いま, 電車に乗っている. 吊広告とかが, 異様にむかつく. ドルをすぐに円に戻した. ボケナスな日本の政治のおかげでまたドルが上がっており(というより円が下 がっており)日本国内に限って言えばやや(200円ほど)儲かった状況. 今回は KL Zurich Warszawa Wien と 4つ空港をまわったが, 成田がぶっちぎ りで判りにくい. 馬鹿的親切表示と平面図のわかりにくさのせいで, 日本人の 俺ですら, わからんのである. 入国の行列もあいかわらずだった.

出発が日本時間で 22日の 20時. kl 到着が 23の 6時. kl から 成田への飛行機は1時間遅れて出発し, 10時 東京に 18時 に着いた. 22時間だ. 南回りは疲れるのう.


結局, 今回の旅行で使った金は, 6万円. そのうちホテル代が2万だから, やはりホテルは絶対泊まるべきではない. だいたい面白くないし. ユースはいろんな奴が居て, 面白い. 今回の旅行で英語が通じなかったのは, ポーランドだけであった. マレーシアに至っては, 道端の屋台のおばはんですら英語を知っているのである. これは, 悲しい事ではあるが, 英語しか知らんわしみたいな旅行者には, 大変ありがたいことだ. ウィーンでも, 英語はたいていどこでも問題無く通じた. さすが観光地だ.

しかし, ポーランドは良い国だ. 豊かだし, 人の性格も良いし, 文化も高い(それは, 本屋に行けば判る), それに食いものはうまいし安い. しかも, 美人が多い. 出会ったどこの国の旅行者も, 口をそろえて 「ポーランドの女はきれいだ」という. 女が 10人居たら, そのうち 1人は金髪のスーパーモデルである. 俺はスーパーモデルに欲情する趣味は持ち合わせていないのであるが, 美しいものは眺めるだけでも満足するのである. 実は, 話をすると, 良い奴というか, そこら辺のねいちゃんなのだ. なぜなら, そこら辺のねいちゃんだから.

マレーシアも良い国だ. みんなまじめだから, 目を三角にして周囲を警戒しなくてもいい. ヨーロッパでも, たまにマレーシアの旅行者に会った. 「おお, 頭良さそうな精悍な日本人がおるのう」と思って声かけたら, マレーシア人なのだった.

ウィーンは, 相対的にろくでもなかった. 美術史博物館が無ければ, あんなとこ絶対行かねえぜ. クラシックも興味ねえしな. ものは高いし. でも, 人は, みんなけっこう親切だったよ. スキンヘッドのネオナチ風と, 一度睨みあいになったが. 日本人旅行者もたくさん見かけた. そういえば, 今回の旅行で俺は「日本人か?」と訊かれた事は一度も無かったな. 美術史博物館の案内書を買った時も, 最初に英語版を手渡されたし. でも, クラクフ中央駅で俺をスペイン人と間違えたスペイン人は, 間抜けだと言わざるを得ないだろう. そんな事だから, 決勝出られねんだよ.