今日は宴会の手前に, 若干渋谷に寄って用事を済ませてから行きました. 渋谷に用事があるといったら, そりゃ東急ハンズに決まってますがな. まあ, 昔はゲーセンという用事もあったりしましたが, 最近は全然です. 土人みたいな顔で, ラテン語の辞書みたいな靴履いた女が, 大量に歩いてたよ.
この時期になると, 交差点で「死後, 裁きにあいます」 「永遠の命を得るのです」 とかいってる団体があります. 私はこういう性格してますから 宗教とか大嫌いでして, 家に勧誘が来たらそれを撃退するのが 趣味なんですが, まあ, 街に居るおかしな奴の相手をすることは ありませんがね.
死後, 裁きにあう. か. じっくり考えてみると, 不思議な命題である. つうか, じっくり考えるまでもないよな. 裁かれてんのやったら, 死んでへんやんけ. なんやそれ. どういうこっちゃ.
ところで, 神の美徳と永遠性に対して, 不変の悪徳を誇るのが 悪魔である. 神と悪魔は共に天を戴かずという, なんつうか, ババとイノキみたいな関係にあるっつうことになっているわけですが, じっくり考えてみると, これ, 全然おかしいやん.
地獄の獄卒は悪魔長ルシファーのパシリでありまして, ナラクに落ちたロクデナシどもを痛めつけるのが仕事ということらしい. ダンテの神曲読むと, そうなっとる. ちなみに, 「神曲」じゃあキリスト教徒以外は全員地獄ということなので, なんと, アリストテレスも地獄に落ちているという爆笑な場面がある. アリストテレスはどっちかっつうと, 天国だろ. まあ, 会ったことないけどさ. あ. ソクラテスだったかも. どっちだっけ. あー, 神曲どっかいっちまったよ. 見付からん. だから, わかんねいす. すまん.
でもな, 極悪非道の海賊とか, そういう奴らはどっちかっつうと, 神の栄光にケチをつける連中であるから, 悪魔の味方だろ? なんで地獄で苛められにゃあならんのか? 悪魔が神に弓引くものなら, そういうロクデナシ共は, 大切な戦力のはずだが. (その点, 東洋の地獄はよくできていて, 獄吏はせいぜい, ただのオマワリって感じである. ) 神の栄光を汚す奴らを苛めてんなら, そりゃ単なる 権力のパシリじゃねえかよ. なーにが悪魔だよ. ダッセー. マジ最悪. これじゃあ俺は, 全然悪魔に sympathy とか感じないね. stones だ. 聞き取りにつき, 間違ってたらすまん.
I was around when Jesus Crist had his moment of doubt and pain. Made damn sure the Pirato washed his hands and sealed his fate. Pleased to meet you, hope you guess my name.
だめ. ゼーンゼン駄目. 悪魔は駄目です. 全然悪じゃないから.
話は変わるが, 「復活」が何故奇跡なのか? これは, 論理の問題としても, なかなか興味ぶかいことである.
事前の準備として, 死ぬとはどういうことか, ということを 少し整理しよう. 死んだら, もう生き返らないわけです. 整理はこれで十分でしょう. まだ生き返るかどうかで, 「死ぬ」という現象が定義されているわけです ね. 脳死とか, そうじゃん. もうどんなに頑張ってもダメだから, 死んだっつうことにしようってわけじゃよ.
つまり, 死んだら, もう生き返らないわけです. これが死ぬの定義なんですね. 言葉の使い方のルールです. 死ぬとか生きるとかが, 何を指しているかは, この際どっちかというと, どうでも良いことだけど, 死に, かつ, 生きるということはあり得ないという 事実だけは, これは言葉の使い方として常に尊重しなければ ならない規則なのであります.
マジで死んだんなら, もう生き返ることは定義から言って, ありえない. 生き返ったら, 矛盾です. 矛盾はありえないので, ここから背理法で, 「実は死んでなかった」という結論を導くのが 論理的態度というものです.
論理を超えるもの. 起こり得ぬもの. それが奇跡というわけですね. 単なる偶然とはワケが違いますぜ. みなさん, 軽々しく「これはキセキだ」とか言うのは控えましょう. ウヒヒ. つうか, 生き返ったら, そりゃ死んでないんじゃ! 背理法使えよなー. まじでせつない.