みしまゆきお!


プロセスID がひとまわりしてしまう今日このごろ, 皆様いかがお過ごしでしょうか. Linux のプロセスID は 32767 までしか無いのです. ちなみに, ユーザ ID 65536 は root です(2.0.36).

最近, 全然小説を読まない. 読みたいと思わない. お話をよむというのは, 消費活動であり, 消費してしまったら終りなので, なんつうか虚しい活動であり, それゆえやる気が出ないのだ.

しかし, 昔はたくさんの文学書を読んだものだ. その昔, 俺は文系方面の教養が全然無いという引け目があり, それで, 手当たり次第に読みまくった時期があったのだ. 当時, 気に入ってた作家は,

とまあ, 要するにソレ系のものばかり読んでいたわけです.

三島由紀夫

このうち, 絶対お勧めの最高傑作は, 三島が自死のへ理屈を語った「太陽と鉄」である. 「太陽と鉄」は, まじでおもしろい. なかでも, 最高にうけるのが, 「エピローグ. F104 」だ.

これは, 三島が自衛隊で, 当時の最新戦闘機 F104 にのっけてもらう話なのだが, なんつうか, ノリノリのバリバリ, 三島節全開で, かなり読み慣れているわしも, 一体全体, 現在三島が地上に居るのか空を飛んでいるのかなんだか全然わかんな くなってしまうほどぶっ飛ばした作品だ. その実, 単に「ジェット機に乗りました」っつう体験記なのだが, ただそれだけであっても, 奴にかかれば, もう, モノリスが落ちて来たくらいの 衝撃度で語られてしまうのだ. やりすぎ.

F104 が, こんなに物静かに休ろうているのを見るのははじめてだ. いつもその 飛翔の姿に, 私はあこがれの目を放った. あの鋭角, あの神速, F104は, それ を目にするや否や, たちまち青空をつんざいて消えるのだった. あそこの一点に, 自分が存在する瞬間を, 私は久しく夢みていた. あれは何という存在の態様だろう. 何という輝かしい方埓だろう. 頑固に座っている精神に対する, あれほど光輝に充ちた悔蔑があるだろうか. あれはなぜ引き裂くのか. あれはなぜ, 一枚の青い巨大なカーテンを素速く一 口の匕首が切り裂くように切り裂くのか. その天空の鋭利な刃になってみたい とは思わぬか.
(中略)
日常的なもの, 地上的なものに, この瞬間から完全に決別し, 何らそれらに煩わ されぬ世界へ出発するというこの喜びは, 市民生活を運搬するにすぎない旅客 機の出発時とは比較にならぬ.
(中略)
何と 強く私はこれを求め, なんと熱烈にこの瞬間を待ったことだろう. 私のうしろには既知だけがあり, 私の前には未知だけがある, ごく薄い剃刀の 刃のようなこの瞬間. そういう瞬間が成就されることを, しかもできる だけ純粋厳密な条件下にそういう瞬間を招来することを, 私は何と待ちこがれ たことだろう.
ここで, 俺はてっきり, もう三島は F104 で成層圏をぶっとんでるものだと おもったのよ. 「旅客機の出発とは比較にならぬ」とまで言われりゃ, 誰しもそう思うだろうよ. どころがだ.

(中略)
私は久しく出発という言葉を忘れていた. 致命的な呪文を魔術師がわざと忘れよ うと努めるように, 忘れていたのだ.
がーん. いやー. こりゃ一本とられましたね. まだ飛んでませんでした. まだ, 滑走路の上を, 飛行機がうろちょろしてる段階です. やりすぎです. いいかげんにしてください.

しかし, かっこいいよな. 「私のうしろには既知だけがあり, 私の前には未知だけがある. 」 かっこいいです. こういう文句を思い付くのは, やっぱり才能です. 才能といえば, 早熟の天才です. 三島は早熟の天才でして, その早熟ぶりを見たければ, お勧めはなんといっても 「花ざかりの森」だ. 新潮文庫で, 「憂国」とセットになって出てるので, こいつはお買いどく. 「花ざかりの森」を書いたとき, 三島は 16 ですぜ. 16. まだ高校1年や. むちゃくちゃです. すげえっす. 高校 1年つったら, わしなんか, 感想文を原稿用紙に 3枚書くのがやっとでしたよ. というより, まじでこれを書いたのが高校生というのは, ちょっと信じられないっす. だから, 読め.

「憂国」は, 三島の自薦最高傑作だ. ちなみに, かなりエッチです. しかも, 心中もの. 夜のお共にどうぞ.

三島は作品をたくさん書いたので, なかにはつまんないのもある. また, どっちかというと, 短篇に良いものが多い. 短篇なら, つまんないとおもったら, すぐ飛ばして次のを読めば良いから気が楽 だしね.

三島は, 戯曲も面白い. お勧めは, 3つある.

どれも面白い.

三島といえば, 心身 2元論だ. 三島の世界には, 精神と肉体 しか存在しないのである. 精神とは語り得るもののことであり, 肉体とは, 語り 得ぬもののことである. 語り得ぬものを題材にすることで, 一種の矛盾を発生さ せ, これを創造力の generator として用いるのが, 三島の創作の一つの流儀である. この, 三島 2元論が全開ブッチギリ, はちゃめちゃで最高なのが, 「癩王のテラス」だ. レプラで目が見えなくなり, 姿も崩れていく主人公, カンボジア王 ジャヤ・ヴァルマンの精神に向かって, 「俺はお前の肉体だ」 と王の肉体が言い放つ. こいつは, ミシマ 2元論が, リミッタ外れてメーター振り切りの, タレ流し状態だ! いわば, ボンネットのない自動車. マフラーの無いエンジン. コンパイルしてないプログラムである(なんじゃそりゃ). 読め!

一週間ほどヒマで, やることが無かったら, 「豊饒の海」 全 4巻だ. 「豊饒の海」と, 「太陽と鉄」を読めば, こいつが死ななきゃならなかったということが, 自明になる. しちめんどくさい考察など, 全く不要である. 自明にして平明. 三島は, 死にたくなったから, 死んだのだ. アフリカの狩猟民族にも, 「俺は, もう生きている理由が無くなったので, 死ぬことにした」と言って死ぬ奴がけっこう居るらしいが, それと似ている. 死ぬ理由がはっきりしている奴というのが, 世の中には居るものなのだ.

澁澤龍彦

澁澤龍彦からは, 俺はもっと positive なものを学んだ. まるで自分のことのように, イタリアルネサンスの画描きやロマン派の作家のこ とを描いた澁澤の随筆を入門に, 俺は彼が読んだであろう西洋美術史や シュルレアリスムの本を読むようになったのだ.

しかし, 泉から飲むことを覚えた者は, もうコップの水を欲しがらない. 展覧会のカタログの論文を読み, 実物の作品を観る方が, 澁澤を読むよりも楽しいのだ. 一般に言えることだが, 観客よりもプレイヤーの方が, 楽しい.

澁澤から1冊選べと言われたら, 「三島由紀夫おぼえがき」だ. 澁澤龍彦と三島由紀夫は, 常にツルんでいたというわけではないが, 非常に仲が良かった. 好みが一致するところが多かったからであろう. といっても, 澁澤がホモだったという意味ではないので誤解しないように. 澁澤と三島は年も近い. 同時代に生きた人として, 親しい友人の立場から書かれ たこの本は, すぐ側に居たリアリティと暖かさに満ちている.

一方, ニュータイプ的なテレパシーにまで到達した超絶の想像力が生み出すリアリティ に満ちているのは, ユルスナールの「三島, あるいは空虚のヴィジョン」である. これも, とても面白いけどね. 当然といえば当然なのだが, 澁澤の手によっ て,日本語に移されている.

澁澤といえば, 練達の翻訳者である. 彼の代表作は, やはり翻訳に求められるべきであろう. すなわちサド候爵の一連の著作である. 三島の戯曲「サド候爵夫人」の元ネタを提供したのが澁澤のサドの翻訳だった. 執筆中に時々, 澁澤の家に三島から電話で質問があったという. そこらへんのエピソードがとても楽しいので, 「三島由紀夫おぼえがき」は, 澁澤の本の中でもちょっと変わった魅力を持っている.

ニーチェ

ガンダムのセリフを使って遊べるように, 「ツァラトゥストラ」も同じ用途に適する. これを, 俺は「ニーチェいじり」と呼んでいる. いじれる作家はそう居ない. いじるのに適する奴は, モノリスを作った奴という よりは, 自分がモノリスになっちゃった奴だ. その点, ツァラトゥストラを書いて, 脳梅毒で死んだニーチェは, まさに西洋近代の生み出した, 硬いウンコである. そりゃ驢馬もいななくわ.

他の作家については, そのうちまた書こう.