イタリアルネサンス


イタリアのルネサンスが, みんな画がうまくて, しかも幸せな感じだから, 俺は ファンなのだ. だから, 外国行ったときも, わりかしイタリアルネサンスを捜して観るようにし ている.

そうそう外国ばっかりいってらんないので, 日本でそういうものが観られる時は, 見逃さないようにしているつもりだ. といっても, イタリアルネサンスならなんでもいいというわけではないが.

新装された西洋美術館で, 3/20 から ロシアの美術館(ロマノフ王朝がかきあつめた美術品だ)所蔵のイタリア ルネサンスをやっているので, 会社さぼった嫁さんと見に行った.

学生証作ってなかったので, 1300円も取られた. ちなみに, ウィーンの美術史博物館は 1000円である. ウィーンに行くことを考えると安いかな. この展覧会をやるまえには, ドラクロアの馬鹿でかい画が来てたらしい.

平日の昼間だけあって, けっこう空いてた.

イタリアルネサンスというのは, 有名で古典でメジャーな気がするが, じつは日本ではそうでもないようだ. 日本で人気があるのは, なんといっても印象派だ. 印象派の展覧会なんか俺は行かないが, 行った奴の話によると, オバさんの化粧の臭いがすごいらしい. これに対して, イタリアルネサンスは, じつは若干敷居が高いのだ. 理由は後述.

最近, オバさんも目がこえてきたのであろうか, 会場にはけっこうオバさんが居た. 良いことだ. オバさんであれ誰であれ, 良いものは良い. 是非観ていただきたいものだ.

俺は, ルネサンスの, どこが好きなのだろうか. だいたい, 好き嫌いに理由を考えるのはナンセンスだとおもうんだが, この問題は, ちょっと考えてみる価値はあるかもな.

まず, イタリア ルネサンスの画家は, うまいです. 身も蓋もないですが, うまいのです. 技術が優れているのです. むちゃくちゃにうまいです. どんなに新しくても, 気合いが入っていても, 俺は, へたくそは評価できない. 現代ゲージツ方面の, 俺でも描けそうな落書きは, これらスゴウマの巨匠たちへの皮肉 と反抗でもある. なんつうなさけない貧弱な動機であろうか. 俺がバロック以降の西洋絵画が嫌いなのは, 動機が貧弱だからだ. 俺が POP アートが嫌いなのは, へたくそだからだ. これに対して, イタリアルネサンスは, コンセプトは明快で, 技術は優れており, しかも新鮮だ.

この時代, イタリアの芸術家が, 芸術分野における 元祖近代なんですね. 西洋美術史に於いて, アイデアの重要性を意識し, 論じ始めたのがこの時代で す. たとえば, dessin と designate と design は, 同じ単語ですが,

素描というものは, ただ自然の作品のみならず, 自然の作るものを超えて限りな いものを追求するほどに立派である. (*)
素描は, 作品の設計図であるとともに, そこに作家の意図が直接に表現されているがゆえに, 重要なのだ, という考えを最初に表明したのは, レオナルドであろう. 完成品ではなく, 作家の意図と着想にこそ作品の本質がある, という発想は, ひとりよがりでヘボだけど口だけは達者な作家を擁護する可能性のある理屈だが, この時代の一流は, 例外無くうまいので言い訳は一切必要無い. だから, これら の言葉をその作品と照らしてみると, 非常に説得力があるのだ.

一般に, 素描の重要性は, 15世紀に活躍した画家にとって, 自明なものだった. その, 訓練の方法などが, マザッチオの絵画論にくわしく書かれてある. 15世紀に一般的だった素描の画材は, 表面を石膏や骨粉で処理し, 薄く着色した紙や板と, 「シルバーポイント」と呼ばれる銀筆であった. 銀筆というのは, 要するに 銀の棒であり, 表面を処理した紙をこれでひっかくと, 銀の粉が削れて定着する. これがしばらくすると酸化して, 線画になる. ハイライトは鉛白だった. 当時, 鉛筆とケシゴムという便利なものは無かったのである.

シルバーポイントは, その画材からいっても一発勝負だ. undo 無制限の GIMP や photoshop 5 からは考えられないほどの気合が必要である. レオナルドは, 「形を憶えろ. 憶えてから描け」と言っている. 画材の性質からして当然であろう. しばらくすると, ペンとインクが使われるようになって, スピード感のある線を生み出した. ラファエロ・サンツィオは, 鵞ペンによるデッ サンの達人だ. また, その頃, 木炭も使われるようになった. 木炭は, パンで消すことができた. ジョルジョ ヴァザーリの「ルネサンス画人伝」には, 貧乏な画家が消しゴムのパンを食っちまう話とかが出て来る.

シルバーポイントで修行した画家のデッサンは, 全く驚異に値する. 消せるようになってからは, はやりその迫力は減ってくる. 近代の, うるさいへ理屈が目障りになって来るのと, これがだいたい一致するの だ.

ルネサンスの魅力は, 他にもある. 絵画というものが担っていた役割が現代と非常に違うので, そこに, このギャップを想像力と知識で補うというゲームが発生するのだ. これが, 非常に楽しいのだ.

何が違っていたのかというと, たとえば風景画だ. 現代の風景画というのは, どういう役割なのだろうか. 最近までは, 風景を写実的に写し取ったもの, というイデオロギーが支配 的だったりした. あるいは, 「印象」を画面に写し取るとか, そういう感じ? この辺は, あんまり詳しくないのですんませんねえ.

当時の風景画というのは, 窓の代わりなのだ. 「窓からこういう風景がみえたらええのになあ」という客の注文に応じて, 画家は客の好きな風景を描いた. 「お, そこらへんに, 城がほしいなあ」といわ れると城を描き, 適当に人物を配置した. 当時の風景画には, 画家のサービス精神がみられる. 何がサービスかといって, 風景画は世界をうまいこと閉じ込めたものになってい て, 必ず岩山と, 川と町と城(あるいは教会)と海が描いてある. そんな都合の良 い風景なんか, どこにも無いがな.

画面の構成は, 風景画にかぎらず, なにかにつけて人工的だ. 人物画は, 人物のポーズが, たいてい何らかの思想的, あるいは政治的なニュア ンスを持っている. また, その服装は社会的, 政治的なメッセージを担う媒体で もある. これは, 人物の周囲に配置された物体や建物にも当てはまる. 美術史には, こういったメッセージを解読する研究のジャンルが存在する. 図象学(iconology)という. 図象学は, 20世紀になってから発生した新しい分野 で, アーウィン・パノフスキーやルネ・ホッケ等の研究が先駆けだ. (**)

登場人物たちは, それぞれ特徴的な持ちものによって, それが誰であるかが 判断できる. たとえば, ライオンを連れている, みすぼらしい身なりのオヤジは, 聖ヒエロニムスである. それは, 彼が, ライオンが足にトゲが刺さって難儀しているのを助けてやったと いう伝説から来ている. キリスト教的慈愛の勝利というプロパガンダは, ヒエロ ニムスによって表現できるわけだ. この伝説は, 当時は当り前の知識だったので, ライオンを連れた隠者を見れば, だれでもそれがヒエロニムスであるとわかった のである. それから, 油壷を持っている金髪のセクシーダイナマイツは, マグダラのマリア だ. 宗教画に, ヨロイを付け, 剣を持ったオヤジが出て来たら, 聖ゲオルギウスである. 彼は, ドラゴン退治で有名なのだ. 言うことを聞かない度し難き異教徒は, 剣で こらしめるというわけだ.

画面に出て来る物体は, それ単体で何らかの思想を象徴する場合もある. ガイコツはそのまま「死」である. 切り花は, すぐにしおれるところから, 「はかなさ」だ. 切り花と宝飾品の組み合わせは, 「現生と虚栄のはかなさ」となる. 砂時計は「限りある人生」だ. 若い女性の後ろで, しばしば死神が, 右手に鎌, 左手に砂時計を持ってたりする. 17世紀にスペインからオランダにかけて大流行する静物画は, ほとんどがこういう思想的なバックグラウンドの下に描かれたもので, 単なる装 飾品ではないのだ. いわゆる一つの, Memento Mori あるいは Vanitas というやつである.

こういった, 現代では失われてしまった当時の常識をほじくりかえして, 今では隠れてしまった絵画の意味を発見するのが, イコノロジという分野である. 風景画のところでも説明したように, 当時の画家というのは 注文に応じていろいろ画面を構成して画を製作した. だからその構図は, 何らかのメッセージを含んだ作為的なものだ. もちろん, 偉大な画家はそれをバランスと展開力でまとめあげることができたわ けだが, いずれにせよ, それら構図や図象は, 何らかの概念や出来事を表してい たわけだ. しかしそれらの持っていた意味を解読する手段は, 今となっては失われてしまったものも多い.

ここらへんの謎めいたところがおもしろいところなのだが, イタリアルネサンスを若干, 敷居の高いものにしているのも事実だ. キリスト教思想とか, なんかそういう当時のヨーロッパに関する 全体的な知識が必要だし, それに加えて画描きの師弟関係とかの知識も重要だ. 新約聖書のいろんなエピソードや登場人物を憶えているのが最低ラインだ から, 普通の日本人の読書経験には, あまり期待できない. 見ればそれで終りという印象派に比べれば, 確かに垣根は高いと言わざるを得な いかもね.

こういった, 探偵的なおもしろさもあり, かつ, 画家が, 近代人としての 自意識が芽生えたばかりの熟練の職人であったという時代. これがイタリアルネ サンスなのだ. それに, なんといっても, みんな抜群にうまい!めちゃめちゃうまいですよ! マジで. 絶対真似できん. どうです. おもしろそうでしょう!

イタリアルネサンスだけを取り上げたが, 当時は, アルプス以北にも, 見るべき画家は多い. アルブレヒト・デューラー, ピーター・ブリューゲル, ルカス・クラナハ, マル ティン・ショーンガウアー, ヒエロニムス・ボシュ, アルチンボルド などがいる. カトリックとルター派の争いなどの知識も仕入れて, イタリアの作品とこれらア ルプス以北の作家の作品を見ると, またおもしろいものだ. ウィーンの美術史博物館は, これらの作品の最高のものがいっぺんに見れるとい う, 非常に楽勝で楽しい場所だ. 今回でかけた展覧会は, ロシアのエルミタージュから借りて来たものが主だ. エルミタージュは, やはりすごいのだろうが, ハプスブルグ家には, その鑑識眼や所蔵量で, やや及ばないかもね.

とはいえ, 日本でこれだけまとまってイタリアルネサンスが見られる機会という のは, そう頻繁にはない. それに, 展覧会自体も, よく組織されており, なかなかコンセプトも明快だ. 図録も充実している. 図録といえば, 出品されている画が本体に見えるが, じつは, 俺が行くような展覧会では, 画は挿絵でしかなく, 本体ではないのだ. 本体は, 図録に載っている論文と解説であ る. 西洋美術館は日本では, まず一流のスタッフが揃っている. その彼らが組織し, 執筆し, 解説してくれるのだ. なんせ, 収録されている論文や解説が間違ってるというアホ丸出しの展覧会も, 存在するんだからな. それから考えると入場料 1300円と図録 2400円はお買い得であろう.

そして, 買って来た図録を, 寝床でじっくり読むのだ. これこそが, 実は, 展覧会の最大の楽しみだ. ひととおり読んだら, 優れた展覧会には, もう一回出かけるのである. この展覧会は6月までやってるので, 多分, また行くだろう. 本当は, 専門家と一緒に行くのが一番良いのだが. なんせ, わかんないところをすぐに聞けるし, ラテン語で何か書いてあるのとかも, ただちに読んでもらえるしね.


(*)レオナルド・ダ・ヴィンチ `レオナルド・ダ・ヴィンチの手記' p. 192 岩波文庫 1954
(**) Panofsky, E., `Studies in Iconlogy', NewYork, 1939.