悲しきスーパーコンピュータ


最近, 電車であるパソコンの広告をみた. `S' で始まって `Y' で終るアノ会社の製品だ. 金属外装と衝撃的な薄さでノートパソコンの新しい潮流を作り出して, 一躍, パソコン業界に自社ブランドをグイっと割りこませたあの会社は, インターネットを使う人なら名前くらいは知っているであろう.

その宣伝は, 据え置き型の製品だった. 最近は単体の計算機といえばノートパソコンのことで, 据え置きなんてよっぽど物好きなマニアが部品をかき集めて来てこしらえるもの となっているので, 存在感がかなり希薄になっているのは否めない.

据え置きがその存在意義を示す機会は唯一, 妥協無き高性能だ (それすらも 1年経たないうちにノートに追い付かれるのだが). しかしながら, 性能, あるいはスペックだけが製品のコンセプトなので, ほとんどコンセプトなんか無いのも同然なのだ. 建物を作るときの設計方針が「面積」とか「体積」しか無いのを考えてみれば良 い.

そのマシンのスペックは, ひと昔(ってどれくらいじゃ?)まえなら間違い無く 鍵のかかった空調完備の特別室に安置されて一生を終る, スーパーコンピュータ のものである. さすがにその会社は多少の独自性をもって知られたところだけあって, 自社の AV機器類との連係による囲い込み戦略がある. うさんくさい, ソレ専用の端子が付いているのだ. その機種は, これを介して テレビからの動画ストリームをリアルタイムで mpeg エンコードできるらしい. 要するに, ビデオをハードディスクに録画できるのだ.

下の主張の動機はヤッカミが 80% ですが, これ自体はやっぱり正論ですよね.
そういうことはビデオでやれよ
なんでビデオがあるのに, スーパーコンピュータをそんな用途に使うのか? それしかないのか?

とりあえずコンピュータで何ができるのか, 初心者は知りたいだろう. ビデオの代わりができる,ということが判れば, 安心し,親しみを感じるかもしれ ないな. そして, 徐々にコンピュータならでは,という使い方に進んで行くかも 知れない. だから, コンピュータがビデオの代わりをしたって,べつに良いじゃ ないの. という意見もあろう.

ちょっとまえに, わりと本気の 画像処理を個人のコンピュータでできるようになったように, ビデオ編集もできるようになる時代が来た. そういうことでもある. しかし, これは乏しい俺の経験からの結論なのであまりアテにはならないのだが, photoshop でアイコラならまだしも, コンピュータにビデオの代わりをさせるような奴がそのうち成長して, ハッカーになることは絶対に無いのである. SGI のマシンには, コンピュータをクリエイティブな分野でバリバリ使おう, という前衛の気概がある. Mac にも, かつてはそういう気配があった. だが, 俺には全然そういう見通ややる気が感じられないのだった. スペックがここまで来ちゃったけど, とりあえずやること無いから ビデオの代わりでもやらしとけ, みたいな.

そういうクリエイティブでニッチな人々に売り込んでも無駄だ, という意見は聞 きたくないね. 売り込むイメージと,実際の購買層がういうヘンクツな連中だけ になるかどうかは, 別だ. 先端のテクノロジーにはイメージも大切なはずだ. そして,俺にはそのマシンが家庭用 VTR とダブって見えた. 要するに, そのマシンはせいぜい「ちょいと便利なディジタル家電」としてしか 位置付けられていないなのであり, 全然コンピュータとしての夢がないのだ.

まあ,家電なら家電で良いではないかというものわかりの良さを発揮したいとこ ろだが,ここで「ま」の付く会社に出番がまわってくる. なんせ OS が ゐんどうづ だからな, こりゃちょっと「家電」 というわけにはいかないのである. ゐんどうづはその作者の人柄を反映してか, なかなかビデオを使うようには動いてくれないのだ. 「不正な処理」だとか, 「アクセスは拒否されました」とか,何か俺が悪いこと したみたいなイヤぁな気持になってくるのである. まあ,そのへんは, 私なんかよりも実際に毎日使っておられる皆様の方が,良くご 存知でしょうがね. そもそも `OS' だよ, OS. ファイルシステムを持ったプログラマブル マシンが家電だって? わはは. そんな馬鹿な! これはそんな中途半端でヘボな位置付けのスーパーコンピュータなのだ. 家電がユーザに「ファイル」を意識させちゃあ落第だ. 俺が思うに, 君は生まれる時代を 10年 間違ったね. 合掌.

まあ, 戦車で近所のタバコ屋にでかけても, そりゃそいつの勝手だからべつにいいんだけどね.

それでどうしろと言うのでしょう. 文句ばっかり言ってんじゃねえよ. そうですねえ. 俺としては, 単に性能を上げるよりももっとやることがあると思うんだ. 例えば, AT 互換機に限れば, 最低でも Mac のようにメディアを入れたらそれ を ハードウェアが検知してOS に通知し, 自動的にマウントする仕組みを追加す るとか(*).それから, もっといろんなドライブから起動できるようにすること. ブラウン管は暑いので止めて欲しい.

ああ, 徐々になんで悲しいのかわかってきたぞ. コンピュータだからいけないんだ.ファイルシステムを持つ, 汎用プログラマブ ルマシンだから,ビデオとして使われると悲しいんだ. なぜなら,汎用プログラマブルマシンは, プログラミングするためのものだから. ショボいポケコンもわしらのパソコンもスーパーコンピュータもプログラミング 可能なマシンとして同一直線上に存在する. しかし, 電卓やゲーム機やら は,作られたときから用途が決まっており, 与えられたものを消費するだけだ.

コンピュータの魅力は, プログラム可能だというところに存在する. たとえ買った人間のうち 99.99998% の人間が,プログラムを一個も書かないとしても, その驚くべき汎用性自体が, 汎用プログラマブルマシンの魅力だ. パソコンの魅力は, 今も昔もそこに存在するのである. 「汎用プログラマブルマシン」を「個人」が「所有」するというところに 「パーソナルコンピュータ」の存在意義がある.

「如何に使うか」が鍵なのだ. 白い箱に力を与えるのはメーカではなくユーザだ. すくなくとも建前あるいは幻想もしくはお約束上はそうなのだ. なぜなら, コンピュータとはそうしたものとして生まれたから. だからこそ, コンピュータを使う人には「俺ならこう使うぜ」という拘りがあり, 雑誌などでもカスタマイズ特集などが組まれることになる. パソコン業界において, 執拗に「使いこなす」がキーワードであり続けるゆえんだ. コンピュータの魅力は, その比類無き処理能力ではない. そこにある自由こそが魅力なのであり, 「使いこなし」を発見すること自体がユーザの 真の目的である. Linux が伸びるほんとうの理由はここにある. 「ソリューション」はアリバイか,せいぜいオマケにすぎない.

プログラミング可能な, 「電子頭脳」だからこそ, それを VTR がわりにする. つまりそこらへんに転がってるものを使い方のモデ ルにするという白痴的な解決が寂しいのであり, そのブッチギリの性能がさらに その淋しさを否応なしにかきたてるのだ.

ディジタル家電でいいから, コンピュータという体裁に拘るのはやめろ. OS はプログラマのオモチャなんだから OS とかファイルとか使うのやめろ. そうすりゃ中身が ペンティアム III だろうが G3 だろうが俺は悲しくも何とも ないぞ.ありゃただの石だからな. だいたいオブジェクト指向とか, タッチおじさんの知ったことじゃねえよ. とかいってタッチおじさん, 実はウィザード級のハッカーだったりして.


(*)あ,でも, これ,実は りんご のOS がやる仕事じゃあないそうですね. そのときたまたまフォアグラウンドにいるアプリケーションが, メディアの挿入 イベントを処理するそうで. そういう話を聞くに付け, Mac OS てのは unix でいう ウィンドマネージャみた いなもんですか? じゃあ OS の仕事であるいろんなリソースの管理は誰がやってるの? という疑問ないしは確信が.