サバイバル


わしは, サバイバルがわりと好きな方だ. サバイバルの何が面白いかと言うと, そこにあるものだけで, あるいは最小限の 装備で, なにがしかの文明を再構築したり, 危機を脱出したりする プロセスが面白いのだ.

無いとダメなものと, あった方が良いが, 無くてもいいものの区別というのは, 判断力と想像力を必要とする作業で, これを考えるというのはとても楽しい. しかし, 真のサバイバルにおいてもっとも本質的なものは, 知識や想像力ではな い. それは, 生きる意志 だ. わしがサバイバルにおいて師と仰ぐお方, ジョン= ワイズマンのお言葉で ある.

サバイバルが好きだというのは, 何か変てこな言い方だな. 「災害が好きだ」と言ってるのとおなじようなものだ. そんな奴居るわけがない し, 俺も災害は嫌だね. それに, サバイバルの経験も無いしね. だから, 好きだというのは正確な表現ではないし, 多分地球上に厳密な意味で サバイバルが好きな奴というのは居ないだろう.

ふがいない日常への反逆の狼煙として, そういう状況に憧れるという側面は, 確かに否定できない. だが, サバイバルを考え, それに備えるという事は, そういうガキのロマン主義 以外にもなかなか奥の深いお楽しみがあるのだ. それは, コンピュータの調子がおかしくなったときに, 破滅からデータを救い出し, 元の環境を復元するための, 最小限必要なプログラ ムとバックアップを準備するために, ノウハウと技術を習得する面白さと, 基本的には同じものだ. つまり, 無いとダメなものと, あった方が良いけれど, 無くても良いものを区別するという営みである.

サバイバルに最も必要なのは, 生きる意志である. いくら知識, 経験, 技術, 体力があったとしても, 生きる意志が無いとダメです. しかし, そこんところはある意味で, 言ってもしょうがないところですから 生きる意志は備わっているとすると, 無いとダメなものは, ジョン=ワイズマン によると,

である. これらはそれぞれ無いとダメなんですが, それでも極限のサバイバル状 況の中では, これらの中にも優先順位があるのだ. カーネルよりも BIOS が先な ように. もっとも, サバイバルでは, 状況によってその優先順位が激しく違ってくるところがコ ンピュータよりも面白い.

ジョン=ワイズマンというのはイギリスの SAS という特殊部隊の出身とかいう 人で, 確かにそれに相応しいノウハウの持ち主である. SAS は砂漠, ジャング ル, 極地, 山岳, 海, 空, とあらゆるところで活動し, しかも作戦の性格上, 味方の補給を受けられなかったりするので, その作戦は意図せずしてサバイバルになってしまうのである.

無いとダメなものだけを持って行くというのは, バックパッキングである. つまり, ザックで行動しないといけないので, 無くても良いものは一切持ちたくないわけだが, 一方, 生命が危険にさらされる ような事があってはならない. いわゆるサバイバルとの違いは, こっちはわざわざ娯楽としてそういうことを やるのに対して, サバイバルはそれを余儀なくされるということだ. ザック担いでアホ的なところへ出かける行為が, どうしてもアホらしさを拭う ことができないのは, そもそもが, わざわざえらいめにあいに行くという不合理な行動だからである. しかし, 状況としては非常に近いものがある.

何が必要で, 何が要らないかを見極めるのは, なかなか経験が必要だ. 俺の長年の経験からいって, 装備でもっとも重要なものは,

である. 服とヘッデンさえしっかりしてれば, だいたい世界中どこでも 安全なところまでたどりつくことができる. そして, 服はゴアテックスと新素材の化繊. ヘッデンは petzl でキマリだ. これらの装備で妥協すると, 実戦でえらいめにあうことになる.

ペツルのヘッデンは, 例えばナショナルのとかに比べるとやや高価なのだが, その設計の優秀さと, 作りの良さから生み出される絶対の信頼性の前には, 値段の違いなど全く意味を持たない. なんせ, ヘッデンが壊れたら, そりゃ失明したのと同じことですからね. 俺のペツルはこの4年間というもの, 全ての探検に同行し, その全てのシーンで信頼性を発揮した. 極端な低温と荷物が制限される状況では, 単3サイズのリチウム電池を使うと良 い.

要するに, 生死を分けるのは, 体温の維持と情報なのだ. 体温は高すぎても低すぎてもダメだが, 通常は体力との関係もあって, 体温の低下を防ぐところに重点が置かれることになる. 日常のヘボ服と, 探検用の化繊新素材の違いは, まさに驚異的だ. そして, ゴアテックスはその白眉である. なんせ, 完全防水なのに, 雨が降ってなければ普通のジャケットと同じ着心地. 全然ムレないのだ. マジで, 日頃着てるようなものを着て出かけたら, 命が幾つあっても, 指が何本 あっても足りないね. 地図は行動戦略を作るのに必要だし, ヘッデンは第3の眼だ.

ところで, サバイバルやバックパッキングには生活という要素が結構 本質的なものとして含まれているが, そこから真に危機的な状況だけを抜きだして, それに極めて専門的な立場から技 術的に解説した本が存在する.

登山の医学 (J.A. ウィルカースン 東京新聞 ISBN 4-8083-0375-2)である. これは登山で遭遇するかもしれない, 直接的に死ぬ可能性のある ケガと病気について, その予防と治療を医者が解説する本だ.

普段暮らしてて何か体調がおかしくなったとする, そして「ひょっとするとこれって重大な病気なんじゃない?」と心配になったとしよう. そんなときも, この本見れば大抵の場合はひと安心だ. ひと安心じゃないならば, それは一刻を争う緊急事態である. なんせ, この本で解説されている状況は, 即時に呼吸を確保しないと, 死ぬとか, 出血を止めないと死ぬとか, 体温を下げないと, あるいは保たないと死ぬとか, 酸素をくれてやらないと死ぬとか, 体液を補給しないとしぬとか, ショックで死 ぬとか, そういうのばっかりなのである. そして, 日常的, 常識的なセンスからいって, かなりヤバい状況に陥ったと思っ てこの本を見ても, その症状に対する説明と治療はたった半ページで しかも治療が「安静にしてればそのうち治る」みたいなものだったりするのであ る.

だいたいこの本に出て来なければ, それは取り上げる価値も無いような, 瑣末な ビョーキなのである. ちょっと嫌かもしれないけど, 別に死ぬようなことはない ものについては, この本には書いてないのだ. 逆に, この本で真剣に取り上げられるようなのに該当したばあいは, それは一刻 を争う緊急事態に他ならない. つまり危険の評価基準が, やや日常とずれているところがこの本の魅力の一つ なのだ. たとえば, 骨折といえば普通はひと括りにして重傷だということになるのだが, この本の想定している緊急事態のレベルからすれば, そんな分類は全然ダメなの だ. この本によると, 骨折には 2種類が存在する. それは,

である. 前者を開放骨折といい, 後者を閉鎖骨折という. 開放骨折は感染を免れないが, 医者まで 2日以上かかる場合は, 抗生物質を十分 投与し, そうでなければ損傷した組織を清潔に保つだけで良いそうだ. 骨が飛び出してんのに? いやあ, 骨が飛び出したら, こりゃ知ってないとどうしょうもないですよね. 普通, かなり焦るよな. 骨が出て来たら. どうしていいか, わかんなくなっちゃ うよね. でも, 大丈夫. 近くに医者があれば傷口をきれいに洗い, 固定するだけでいいのです. これでひと安心だね.

骨折は, 固定するだけにし, 整復しようとしてはならない. なぜなら, しろうとが折れた骨をいじくりまわすと 周りの筋肉, 神経, 血管を損傷するからだ. しかし, 整復を試みて良い例外がある. それは, ちゃんとした治療をうけるまで, かなりの日数(1週間とかね)がかかる場合と, 骨折が原因で末梢への血流が途絶 している場合である. 血流が止まると, 組織が壊死して切断するしかな くなるからね. 骨折した場合, 固定は必須なのだ. なぜなら, 骨折したところがぐらぐら動いてると, さらに破壊した骨が筋肉 や神経を損傷するからだ.

まあ, この本で扱われている状況は, 一時が万事この調子なので, 捻挫やむちうち, 下痢や発熱程度は, 1ページも貰えないのだ. 昔, 富士山から帰って来て雪盲になったことがある. 涙が止まらない, 目が開かない, 開いても見 えない. それにグリグリ痛いし, もうたまらん. 一生失明じゃー. もう死ぬー! と思いつつ寝転がってたが, ふと思い立って 見えない目を無理に見開いてこの本のその項目を見たら,

治療:冷やすと痛みがマシ. 2ー3日で自然に治る. 目をこするな.
で終りだった. アホらし. 焦って損したわ.

ただし, 雪目を侮ってはならぬぞ. 山中で雪目になったら, 全く行動できなくなる からな. 俺の居る山岳会に, これで吹雪の壁にクギづけになってしまい, その結果指を何本も無くした人が居る(正確に言うと, 居た. その後遭難で亡くなった).

これにたいして, わりとよく見る疾患でも重大な扱いをうけているものもある. 高温による疾患は, この時期(この記事を書いているのは7月の末です)ならば けっこう一般的だが, 登山の医学では, bold font で 熱射病は早急な処置を必要とする緊急疾患の一つである これを怠ると脳障害のため死亡することがある. とある. 気を付けよう.

また, 低温による疾患で有名なのは凍傷だが, じつは他にもっと重大なものが存在しているのは, ひょっとするとあまり知られ ていないかもしれないな. 低体温症だ. これは熱射病の低温バージョンともいう ものだが, その破壊力は熱射病に比べていささかも劣らない上に 発生する環境の都合上, 極めて治療が難しい. どういうことかというと, 体温が高い場合は水ぶっかけるとかすれば下がるわけだが, 体温が下がる場合は暖かいところに移動しないことにはどうしょうもない. しかし, そんな場所がそこらへんにあればそもそも低体温なんかにはならないわ けでして. しかも, これは凍傷など他の全ての「有名な」低温障害の基礎となる疾患なのだ. 一般に「凍死」と呼ばれているものの多くは, 実は低体温による心不全なのだ. 人体の凍結が死因ではない. 「登山の医学」で低体温症にさかれているページは, なんと10ページにも及ぶ. 火傷には 4ページだ. その重要性が伺える.

他に掲載されているのも, 例えば胸部外傷の項目ときたら「肺に穴があいて空気が洩れてる場合」とか 破滅的なものばっかりだ. 普通, 肺に穴あいて空気が洩れてたら諦める? だって, 空気洩れてんだぜ. 一体どうすんだよ. しかし, そこに記事が書いてあるわけだからそれを何とかしよ うというわけだ. 肺に穴が空いたらどうすればいいのか?正解は, 「空気が全部洩れないうちに穴を塞ぐ」である. 穴はとにかく何でもいいから塞が ないとダメなのだ. ゴアテックスのジャケットを丸めて突っ込んでも良いし, ガムテープでもいい. なぜなら, 塞がないと呼吸ができないので数分で死んでしまうからである. 何で肺に穴があくかというと, 滑落したときに持っていたアイスアックスが刺さっ たりするからだ. ああああああ!アイスアックスが, シャルレのパルサーが 俺のどてっぱらに!ぐはああ!たまらん. かんべんしてちょうだい.

「生きるか死ぬか, という厳しい状況のもとでは薬は全く役に立たない」 などといった示唆に満ちた記述もあり, この本は何度読んでもおもしろいぞ. 「家庭の医学」よりも「登山の医学」である. サバイバル状況では, 知識と生きる意志の他に 極限状況に於ける決断力が要求される. 極限状況に於いて決断を下すこと. これくらい人間のポテンシャルを試される場 面は無かろう. 全ての潜在能力を発揮して活動せねばならない状況. これこそが, サバイバルが持っている魅力の本質なのだ.

ところで, 若干装備の話を書いたが, サバイバルというと軍用品というイメージがある. しかしそれはじつは間違っておる. SAS の装備はわしらクライマーが使うものとほとんど同じだ. すなわち, 全身ゴアテックスで, 縦長のクライミングザックを使い, クライミングハーネスと登攀具でロープを扱い, シルバのコンパスを使って地図を読むのである. 軍用品は数を揃えるためにコストで妥協しなければならないが, わしらクライマーが使う道具は, そういう制約からはかなり自由だ. SAS のような特殊部隊も, 予算上の制限からある程度自由なので, 彼等も最高の装備を揃えることができる.

そりゃゴアテックスとフリースの方が暖かくて快適に決まってるじゃないですか. どう考えても普通の軍隊のザックって, あれは背負いにくいよ. それに, 軍用の方位磁石って, ランド=ナビゲーション つまり地図で方角を測って進行方向を決めるのには, 全然使いにくいし, だいい ち分厚くて重たいし, 壊れやすい. シルバのコンパスは本体がポリカーボネイトで岩にぶつけても平気だし, 透明で, 地図の上で使いやすい. 軸受けにはルビーが使ってあり, ちゃんとオイ ル制動されてるし, ダイアルの精度も必要十分だ. それになんといっても軽い!

一般的に, クライミング用品は, 民生品と違って非常にすぐれたものが多い. 手袋も, 中にシンサレートとウールのものをはいて, 外にゴアテックスのアウター シェルグローブを付ければ, 濡れないし蒸れないし, 非常に暖かい. しかし, 同じような性能を必要とするスキーの手袋で, そういうレイヤーシステ ムを採用しているものは, ほとんど無いのだ. 帽子も, 間にゴアテックスをはさんで強い風も通さないようにした製品がある が, そんな便利なものは, クライミング用以外ではなかなかおめにかからないの だ. もっとも, 最近はゴアテックスのウェアは非常に普及してきているのだが.

わしがもっと普及して良いと思うのは, ヘッデンだ. 普通の懐中電灯なんか, 俺に言わせりゃ存在意義ゼロ. 天体観測に, 洞窟探検に, クライミングに, 夜間の読書に, コンピュータの分解 と組み立てに, 車やチャリの整備に, もう, それこそライトが必要なあらゆる場 合で, ヘッドランプは極めて便利です. 両手が自由になるということは自明に便利ですが, それ以外に目玉とおなじくらいの場所から光が出るので, 影ができないというのが非常によろしいのですよ. もう, まじでこれが無ければ死.