絶対自我踊り


テクノの魂 18446744073709551616 まで

テクノと申しましても, ここでいってるのは 電気グルーヴ の奴じゃなくて, YMO の奴であります. ええ. 私, 電グルも好きなんで, 幾つか持っているのですが, 今回は YMO です.

なに! YMO を知らない? あー. もう, そんな奴は, あっちいけ!来るな!

今でこそ, コンピュータを音楽に使うのは全く当り前で, アホらしいくらいですが, 1980年当時は, そりゃあもう, 革命的ですげえかっこよくて, たまんなかったもんです. 今でこそ, なんやかんやといろいろ聞く私ですが, 当時はテクノ以外は聞かなかったもんです.

普通のロックでメインになる楽器はギターだが, テクノでメインになる楽器はシンセサイザーであった. シンセサイザーですぜ. 知ってる? 正弦波とか矩形波とかをまぜたりこねたりして, 「みょみょみょーん」とかいう音を出す, あの, シンセサイザーですよ.

当時のテクノロジで出る音といってもたかがしれていて, すげえショボいです. しかしながら, 小学生だったわしには, そして, 風でタンザクが揺れるとスイッチが入って「ぴよーん」とか音がする 「電子風鈴」とかいうアホなものを作ったりしていたわしには, それら超絶のテクノロジから放たれる音たちは, 強烈に新鮮で かっこよく, まさに未来からの福音だったのである.

1980年当時のシンセサイザは非常に不便で不自由だったが, それゆえに, シンセサイザを使用するだけで独自の新しい音が作れた. なぜなら, 非常にめんどくさくて, 誰でも使えるものではなかったからである. 当時のテクノな道具を使うには, 乗り越えなければならない技術的なハードルがあった. だから, 反抗的なろくでなしが, 「やってられねーぜ」とか吠えているだけの 従来のロックは, テクノの人々が繰り出すピコピコに比べると, アホで幼稚でどうしょうもないものに見えたものである. インベーダーやゼビウスのピコピコと同じもので作られた音楽は, それを聞くことによって, デジタル テクノロジのもたらす未来と, 自己が同一化するかのような幻想を持つことが出来た.

今にして思えば, 未熟なテクノロジの持つ拘束がもたらした即物性が, テクノの魂だった. 半世紀を経て甦った未来派だ. 今 CD で YMO の初期の音楽を聞くと, ショボい電子音をどうやって「楽器」にするか, という苦労と楽しみが偲ばれる.

急激に進歩し, 普及するデジタル楽器によって, シンセサイザという偉そうな用語とともに, 未熟なテクロノジに由来する即物性と新しさは失われた. しかし, デジタルマシンの都合に人間が合わせる事を楽しむという 精神習慣は, 容易に失われないのである.

高品質のビットマップディスプレイに, 高度な描画機能をもった グラフィックエンジンを実装した 32bit OS が 数百メガヘルツで動作する プロセッサ上から綺麗な画を描くようになってもなお, "日" の字型の数値表示が, 御丁寧に精緻なビットマップを使ってま で再現されている. マシンには, 普通の数字を描く事に関して何の制限も無く, また, その方が見やすいにもかかわらず, 人は "日" の字型のデジタル表示を読み取るという楽しみを, 忘れられないものらしい.

この精神習慣を, 俺は「テクノの魂」と名付けよう. テクノの魂は亡びない. 仙人と魔術師の昔から, テクノの魂は永遠にして不滅である.

そんなわけで, 最近毎日 YMO を聞いている. "absolute ego dance" が一番カッコイイかな. いや. "体操" かな.

hack の意味

一部 UNIX 者の間でハッカーといえば, フリーソフトの作者に対する敬称です が, 一般マスコミではネットワーク越しに悪さをはたらくロクデナシのことです. ハッカーとクラッカーを区別せよ. という主張をかつて私も吠えたりしたことが あったし, 今も「それは cracker というのだよ」と教育したりしてますが, 実質, hack のカッコイイ方の意味ってのは, これは FSF あたりが 勝手にこしらえたものなんじゃないか, と最近思うのだ.

プログラミングにおける自由というのは, プログラミングという営みが比較的新 しいものだけに, 多少やっかいな性質を持っている. 何でもそうだが, 新しいジャンルの仕事が発生したときに, どこまでが社会的に容認される自由なのか, という問題を解決するのは 時間と手間がかかる大変なプロセスだ.

自由なプログラミングを社会に認知させるために, FSF は hack というありふれた語彙に「 GPL でプログラムを書く」という 行為をその意味として割り当て, また, 不正アクセスに繋がる行為を意図的に除外した.

このように, 一般的な語彙に特殊な意味を割り当てることで, 「自由なプログラミング」というイデオロギーを効果的に宣伝することが できたはずだ. そのウラに暗い意味を押し込めてしまう事も, この語彙に独特の迫力を持たせる事になり(フォースの暗黒面だ!), ますます 「ああ, 俺も Hacker になりてえ!」と思う奴が増えたはず. 言うまでもなく, 俺もその作戦にすっぽりはまったクチだ.

不正アクセスだって, hack には違いない. 穴をどうやって攻略するのか, という技術的な課題に第一の興味があるかぎりに おいては, 間違い無く自由なプログラミングの偉大な業績の一つであろう.

自由という概念には, どうしてもこういう面倒な側面が 付きまとうので, エリック レイモンドさんは, プログラミングの自由を宣伝するよりも, 情報とノウハウの共有を宣伝する方が, 自由なプログラミングの普及に繋がると 判断し, Open Source という用語を使うことにしたのではないか. hack を特殊な意味として使うのは, なかなか強力な方法ではあるが, 厳しい限界も存在する. それよりも, commodity を推進する方が, 万人にも受け入れられるし, 自由なプログラミングの本質にも近く, Hacker と cracker という2元論の宿命からも逃れられる.

まあ, でも, Hacker という名詞を専らフリーソフトの作者の敬称としてのみ 使用するという約束も, そう不自然なものでもない. Hacker は hack するが, hack するひとが Hacker とは限らないわけだ. でも, 良く考えてみりゃあたりまえだよな. box する人が Boxer とは限らず, wrestle する人が Wrestler とは限らないのと同じである. これは山崎浩生さんの受け売り. 俺も必要に応じて hack するが, Hacker ではない.