野生のほたるを自転車でみてきたよ(2005/06/18)


ほたる

やっぱ自然にわいてるのが見たいよな、 ってことで、 昨日、夕食後友達と立川で待ち合わせして、 高尾に見にいった。かなり衝動的に。

電車で輪行して、高尾駅から自転車。 どこにでも居そうなものだが、 意外とごく限られた場所にしか居ないもんだな。

蛍を探すのに、自転車は非常に都合が良かった。 スピードも遅いし、クルマみたいに明るくないから見付けやすい。 それに、歩くよりもずっと広い範囲を探すことができる。 カメラも持って行って写真もとったが、周囲が明るかったから、 ダメだろな。

夜中走るのも面白い。

俺チャリ

俺がどんなのに乗ってるのか、ちょっと紹介しましょうか。 え?興味無いって? まあそういうな、 見てけよ。

癒しの脱力系旧車風

こちらはベルナール イノー時代のロードレーサー風の外観で和む、 エレガントな脱力系。 日々の通勤(往復70km)に使用中。

初代 DURA-ACE クランク。 長さが170mmで、もう一台の 172.5mm と微妙に違うのが悩み。 ギアはスギノ鉄工所の52x39 9/10速用。 ペダルは PD-7750 (初代ランスペダル)。 夏になったら SPD サンダルに替えるかも。

こちらが旧 suntour の superbe pro のフロント変速機。 昔の設計なのでハネの間隔が狭く、踏み込むとすぐにチェーンに当たって カリカリいう。 ギア板には変速ピンが入ってるのとあいまって、 変速性能は素晴らしく、トルクかけたままでもズバっと一発でアウターにチェンジする。 それに、第一、カッコイイだろ? こいつは、世界に存在する一番美しいフロント変速機だ。 かの有名な「長谷川自転車商会」で買った。1500円だった。

通勤号のリア変速機はこれ。8s時代の DURA-ACE。 最高の堅牢さ、節度あるデザイン、 やや凝りすぎた作りなどで、今なお最高のリア変速機の一つといわれる銘品。 チェーンとギアは 9s 時代の DURA-ACE なので、 変速性能はほぼ現代の水準。 変速レバーには位置ギメ機構が無いが、 特に余計に引いてから戻す、というようなしょうもないワザを使わなくても、 ゴリゴリ踏みっぱなしで目的のギアにズバっと一瞬で変速する。 そういうところは、コアなファンには物足りないかもしれない。

前からみたところ。 ヘッドバッヂは極楽浄土に住むという 「からびんか」という鳥である。 赤白の胴抜き塗装もあいまって時代がかっているが、 作ってから1年ちょっとしかたってない新しいフレーム。 パイプはカイセイの 019E 。

ブレーキはシマノ フランドリアに供給されていた、 DURA-ACE EX のアーチである。 トラス状に肉が抜かれたサブアーチが特徴的な、へんてこな設計。 引きも軽く、非常に効く。 無論、今のデュアルピボットの水準は望むべくもないが。 実はこの性能には裏がある。 ブレーキシューが現行 DURA-ACE なんだ。わはは。 シングルピボットでも前転するくらい効くぜ。 最近のブレーキシューは昔のに比べると背が低く、タテに長いので、 昔のアーチだと寸法がいまいち合わないので、 フネとアーチの間にワッシャをかましてある。 チタンの。 笑。変速レバーも DURA-ACE EX だ。 これら DURA-ACE EX は全て、20年以上使ってる年期モノの部品である。 頑丈ですな。

乗ってる人の視点でいえば、こんな感じだ。 右ブレーキケーブルについてるへんな物体は、 cateye の白LEDライト。

ステムは当時存在した dura-ace 銘柄の、クランプ割りのないやつ。 12cmのノーマルステムとしては、なかなかスルドい剛性をもち、 かつ、エレガントな外観である。 かなり頑張って調整してもハンドルがきしむのがやまない。 注意深い人なら気づくと思うが、バーテープの巻く向きが逆だ。 久々にやったら考えすぎて却って間違えたのだ。ぎゃはは。 テープは bikeribbon の妙にシットリ系で固いくせに快適なやつ。

後ろからみたところ。

あんまり旧車ぽくないポジションだけど、 フレームの設計も含めて、もう一台の決戦用と揃えてあるんだ。

最近のやつ風に

こっちは手元変速の勝負用。マキノ製。

ヤル気一杯の外観ですね。いつでも勝負するぜ、という。 だいたい脱力号と同じ寸法だが、クランクが172.5mmだ。

フォークはフルカーボンの mizuno MR-20 車輪は campagnolo EURUS だ。 車輪は他に、いまからびんかについてる proton (峠練習用)と、 山岳決戦用に自分で組んだ、 formula20 の軽量チューブラホイールがある。 前変速は在来レバーであり、自転車雑誌などに紹介されている 「エース級」と同じ仕様だ。 もうすこし事情を知っていれば、こんな事はしなかったと思うが、 今となってはしょうがない。 それが若気の至りというものです。

溶接部はどこも尋常じゃない仕上りを見せているが、特に ヘッドチューブまわりの溶接は異常な美しさで仕上っている。 パイプは、当時存在した最軽量スチールパイプセットの コロンバス ウルトラフォコ である。薄いところは 0.38 mm だという。 指ではじくとポコポコいうし、ヘコむので、おっかないから触らないようにしている。 乗っていると、そんな不安は特にない。 荒れた道も滑べるように走る。 また、細いパイプにくらべると乗り味はだいぶ硬い。

これは俺が改造した DURA-ACE のクイックシャフトレバー。 漢のロマソ、肉抜き加工である。糸ノコによる加工だ。 カッコイイだろ! でも、こういうことをすると壊れたりして危険だから、良い子は真似しないでね。 多分、1gくらい軽くなってる。

前からみたところ。 アヘッドステムの ITM millennium の先端キャップはフレームと同色に塗ってあり、 その上に切り文字でロゴが貼ってあるのだ。 切り文字は牧野さんがパソコンで作ってくれたものである。 左に見えるヘンテコな物体はアナログ表示のスピード/距離/タイマその他メーター。 その他ケーブルなどの細かい部品の色をマメに合わせてある。 当時出始めだった、 ヘッドチューブにヘッドパーツが内臓される、インテグラルヘッドとかいう方式。 内臓のベヤリングはシールがヘボくてすぐ錆びる。

ライダー視点で見るとこう見える。 ハンドルに付いてる丸いのがメーター。

シフトケーブルの赤いのは、グレーの dura-ace のケーブルにアキバで買って来た 赤い熱収縮チューブをかぶせてある。 9s 用のギア表示器をつけている。 ハンドルバーは軽量アルミの定番 ITM の "the Bar" リーチが短くコンパクトで、アナトミックデザイン。

こちらはシートステイの完璧な造作。 ちなみにシートステイはデダッチャイの14.5で、シートパイプは ピスト用のカイセイの 8630 である。 こういうブレンドされたパイプセットになっている理由は、 「その方が軽いから」であり、牧野さんの選択によるもの。 俺は難しい事解らんから、「とにかく軽くて登れるやつ」 ということでお任せした。 2001年のサイクルショーの展示に使われたあと、納車された。2002年の 「ニューサイクリング」誌の表紙にもなった。 部品は当時としては無難な選択の 7700 系 DURA-ACE で、 脱力号と違い、 特に拘った面白いものは付いてない。

マイケル ジャクソンさん無罪勝訴記念ライド

として奥多摩の峠を幾つか串刺しでゴガーっと走り回る企画。 BR-1で走る今年の TOJ 完走者なども参加したりして、 かなり濃いメンツが集まった。

100kmちょっとしか乗ってないのだが。 以前の家からだと、アプローチの往復だけで200kmをはるかに超える内容なので、 ずいぶん効率的に走れた。 おかげで平均時速は22km とかだけどな。

奥多摩駅で自転車を組み立て、早速神戸林道入口へ。 タイム測定。 前回測定したときは36分だったが。

今日は25Tつけてきたので、ギアは問題ない。 これからどえらい坂をどえらい剛脚共と一緒に走らねばならないので、 オールアウトしないように注意して登り、31分。 5分詰めたね。 いきなり5分詰まるってのもなんだかな。 まえの記録は一体何だったのかね。 たった2週間やそこらで 25Tで登ってたのが21Tになった相当のパフォーマンス向上です。 むちゃくちゃやがな。 このままいったら 優勝間違いないね!がっはっは!

ってことにしとこう。もう来週試合だし、たいしてできること無いから。

風張林道の入口でぼーっと待ってたら、五日市から入山組みがやってきた。 スドーさんとは初対面。 アマンダスポーツのカーボン車である。 それから、俺と峠を一緒に走るのは初めて、という人も何人か居たが、 そのうちアキヤマさんは和田峠TT14分台の記録をもつ超剛脚。

ぼちぼち風張林道に入る。 殺人的傾斜区間を過ぎ、俺、スドーさん、アキヤマさんの3人から 23Tで来てしまったスドーさんがギアが合わなくて脱落し、 俺とアキヤマさんのサシの勝負に。 まぁ後ろは絶対に追い付いて来ない(追い付けるくらいならチギレない。 ここはそういうコースだ。)から、二人でじっくり行こうぜ、 って感じで淡々と登るが、スタイルは違うものの、 両方とも地脚系なので、お互い一定のペース以下には絶対に落とさない。 ほどなく「首締め合って先にオチた方が負け」、という状態に突入。

彼は立ち漕ぎ系。俺は時折立ち漕ぎをまじえつつ、 基本的に座って登るタイプ。 双方ともアタックを何度か応酬するも、決まらない。 このアトも峠は幾つもあるのに、お互い、ほとんどここで死ぬ覚悟で加速の応酬である。 しかし、この坂では結局勝負は決まらなかったのである。 てっぺん着いたらゲロ吐きそうになった。

小菅の「ちゃーちゃんまんじゅう」で水、補給食を追加、 鶴峠へ向かう。ここはスドウ氏が先着。 そのあと蕎麦食って、甲武トンネルへ。ここは下りで先行した 内池さんが先着、続いてスドウさん、アキヤマさん、わし。 わしはもう食っても消化が追い付かず、ややハンガーノック気味で パフォーマンスが出ない状態に陥ったので、後続を待って一緒に登り、 ちょい差し。笑。 このあとまだ神戸林道があるのかよ! と考えると若干憂鬱だが。 五日市入山組みと役場前で分かれ、またしても登りに赴く俺であった。

最後の神戸林道はかなりぐるぐる状態だったがなんとかクリアし、 奥多摩駅で速攻、電車乗って帰宅。 むちゃくちゃに追い込んだ割りにはしんどくないな。


過去の落書きリスト