どっか東南アジアの政府の人が、 英語でインタビューに答えているのをみて、 妻が「立派だねぇ」といったので、 「これは彼等が過去に植民地支配を受けた悲しい歴史があったために そうなっているのであり、それは立派な事でも誇れる事でもないのだよ」という趣旨の事を 私は言った。
だからといって日本語で外国のメディアに出て来る日本の政治家が エライということにはならないのは、事の理屈からいって当り前でもあり、 また、事実としてはせつなくもあるわけですが。
文化の高い国ではその国の言語が大切にされていて、 外国の優れた文学なども自分の国の言葉に直して味わう事になっているものです。 だいたい、読むに値する文学があるようなところでは、そういうふうになっているように 思いますね。
高級ホテルや大学、首都近郊の空港以外では 英語なんか通じる必要ないだろ。 それで便利が悪けりゃ毛唐が日本語を勉強すればいい。 わしは久々に「平家物語」を読みながらそう思った。
意志疎通の道具として以外に、 自国の文化なり体裁なりを相対的に見る視点を養う上でも、 外国語というのは非常に有用なものである。 しかし、その有用さは疎通させるための意志なり意見なりがある、 という前提のもとになりたつ話だなぁ、 日本語でも解らないし言えもしない事を、 英語で挑戦なんて無理に決まってる。 と思う今日このごろ。
いくらおもしろくても、ずっとそればっかりやってると飽きると思うんだけど、 毎日イクサばっかりしてて飽きたらどうすんだ。
そんなヘタレはお断りってことなのか? でも毎日同じことやってて飽きない奴ってそもそも、 「勇敢に戦って死ぬ戦士」って感じじゃないけどな。
奥多摩にハイキングがてら鳥見にいってきた。
25000図で見当つけたコースの記事をwebで検索して、 沢ぞいで自然林のあるコースを探した。
武蔵小金井でサンドイッチ買って、魔法瓶2本にお茶詰めて、 ホリデー快速に国分寺から乗車。10時半に奥多摩着。
沢に降りて弁当食ってたら、非常に長く複雑で美しいさえずりが聞こえる。 弁当食べたあと、その主を探すが、なかなか見付からない。 どうにか見付かったら、ミソサザイだった。
ミソサザイは何度もみたことがあり、さえずりもきいた事があったけれど、 これが長くて複雑なので憶えられません。
全長10cm足らずの小さな茶色の鳥で、 地面ちかくの低いところに居ることが多い。 完璧な保護色になっていて、非常に見付けにくい。 ちょっと翼を下げてシッポを立てた独特の姿勢だけれど、 さえずっている最中はシッポを立ないようだ。 また、光の加減で眉斑がよく目立つ。
地面付近の、木の根のすきまや岩の割れ目のような、 洞窟状の場所がお気に入りのようだった。
図鑑によると、ヨーロッパでは比較的一般的な鳥のようで、 公園なんかにも居るという。ホントか? 台湾にも居るらしいが、分布は標高の高い山岳に限られるようだ。
帰りの電車は乗車してから間もなく気絶し、国分寺まで気絶しっぱなしだった。