最強伝説(2006/05/29)


巣立

種類にもよるが、そろそろ巣立ちの時期だ。

スズメ、シジュウカラ、コゲラ、カラスなどは既に巣立って親鳥と一緒に行動しているのが 見られる。

ちゃんと飛翔はできるのだが、姿かたちが幼くて振るまいも思慮と洗練に欠ける。 見ている分には非常にカワイイが、 彼等のうち来年の春まで生き延びるのはせいぜい2割だ。

近所のツバメの巣では昨年に続いて4羽ほど雛が生まれている。

週末

雨だったので何もできなかった。

唯一の行動といえば、雨のなか買物にでかけて、 材料買って来て、ギョーザを作った事だ。 肉500gかって来てギョーザ60個作った。 肉はひき肉じゃなくて、ちゃんとした肉買って来てみじん切りにした。 15個ほど食って、あとは冷凍した。 翌日もそれくらい食ったので、すでに半分に減ってしまった。 先週作ったローストポークもなくなったし。 なんてこった。

吉祥寺のケーニヒのホットドッグがうまかったので、 なんかそれっぽいものを作ってみた。 ケチャップがないので作り置きのトマトソースで代用した。 ホットドッグはそこそこ腹にたまる。けっこううまかったし。

肩のストレッチのやりすぎか、揉み返しみたいになって、 非常に具合が悪うござんす。 右肩の具合が右目の具合に直結しているな。

最強伝説

組織や生命に寿命があるように、 技術やその産物である製品にも、 幼年期や成長期、そして老衰期がある。

科学技術というと、 人類の他の知的営みとは異なって、 共有と積み重ねが可能であり、 それゆえ常に過去の産物よりも次の代のものが優れている、 という幻想を抱きがちであるが、 現実にはそうではない。 人間は忘れる動物であり、 世間の趨勢は変わってゆき、 鍵になった人物もやがて年老い死んでゆく。

刀の製造技術は鎌倉時代末期にそのピークを迎えたとされる。 そして、現代の科学技術をもってしても、 その頃の名刀を復元することはできないとされている。

実際にはそんな事はないだろう。 十分な予算を投じれば、 それは可能であろうし、 当時の最高の製品を上回る刀を作る事もできるだろう。

だが、そんな事はありえない。 そんな予算がこんな目的のために割り当てられる事はありえない。 それを許さぬ諸般の事情というものがあるわけだ。 だから現代の科学技術をもってしても、 当時の刀を超える事はできないという事態が発生する。 戦争をとりおこなう当事者にとって、刀のデキよりも優先すべき事項が幾らでも出て来れば、 刀本来のあり方に則った発展の動機は失われる。 刃物好きのフェチな愛情ごときでは、 いくら現代の科学技術をもってしても、 刀の性能が生死を分けたマサムネの時代の到達点を 超えるだけのモメントを生み出す事はできない。 できなくなって、800年が経ったのが現代だ。

自動車も毎年のように新型が出るが、 走行性能なんて1920年頃から全然向上していない。 燃費や安全性や意匠といった付加価値をめぐって、 ある意味萎える開発競争が続いている。

航空機の性能もSR-71をピークとして、 ステルスだの武装だの、 付加価値をめぐって適当なあたりをうろうろするばかりだ。 それ以上の性能をもつ航空機を人間が操縦する必然性が無いからだ。

しかしそれにしてもSR-71はケタ外れの機体だ。 これ以上の性能をもつ航空機を人間が操縦する必然性が認められる時代が、 この先来るのだろうか? 私にはそうは思えない。 つまりSR-71は当時の社会情勢込みで成立していた製品だ。 航空機のビンテージというわけだ。 極限のビンテージなので、 今となっては複製はおろか、作ったアメリカ自身にも、 退役したものを再び飛ばす事すら容易ではない。 つまりこの機種は、軍事技術の壁は別にしたとしても、 個人のフェチな愛情如きでは、 新規開発はおろか維持運航すら不可能というわけだ。 それが私には惜しまれる。

アナログ電気回路やフィルム写真というテクノロジーも、 一旦ノウハウが失われてしまうとおそらく回復は不可能ではないだろうか。 そしてせつない最強伝説が新たに誕生するわけだ。


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