かつて、Paul Grahamは「普通のやつらの上をいけ」でこう語った。 プログラミング言語にはその抽象化能力において相違があり、 それらの違いを平等に見渡すためには最も抽象化能力の高い言語を 使える必要がある。 プログラミング言語を抽象化能力によって数直線上に並べた時、 自分の知っている言語よりも下の方を見るとこの関係を理解することができるが、 上を見たときには何の事やら解らないからだ。
彼はこうして言語を抽象度によって線形に並べたものを「スペクトル」と呼んだ。 いうまでもない事かもしれないが、実はこれはプログラミング言語に限った話しではない。 あらゆるところに出て来る問題だ。
身近なところでは、組織における人間関係スペクトル問題がある。 どっちが上かは、単純に「上司 部下」で考えてもいいのだが、 より厳密には「誰が誰に愚痴をいうか」で測定するとよいだろう。 愚痴を言う方が下で、聞く方が上なのは言うまでもない。
ヒラは通常、序列の一番下なので、常に愚痴を言うだけの存在だ。 主任はヒラの愚痴を聞いてやり、課長に自分の部下の愚痴を言う。 部長は課長の愚痴を聞いてやり、専務に課長の愚痴を言う。 社長は専務や部長の愚痴を聞いてやるが、通常、愚痴をこぼす相手は居ない。 じゃあ社長はどうすりゃいいんだよ?! 社長だって人間だ。愚痴の一つもあるはずだ。
実は社長にも愚痴を言うチャンスは巡って来るんですよ。 スルドい方ならもうお気づきでしょう。 経済界からしばしば出て来る、「こんな事は民間に任せてどうこう」みたいな意見。 これです。 これが、彼等が実はトップでもなんでもなく、まさに人間関係スペクトルの まんなかへんに位置しているという事実をよく表しています。 「こんな事は民間に任せて」などと主張しているときには、 彼は自分たちの部下が似たような意見、つまり、 「あれこれ言わずにおれらに任せてくれれば、 もっとうまくいくのに。上は何もわかっちゃいないんだ。」 と思っている事については、 都合よく忘れているか、意図的に無視している。 もちろん、社長は部下のそんな意見は知った事じゃないし、 そんな事をしても絶対にうまくいかないということもよく知っているわけです。 それなのになんでそんな事言うのかねぇ。
既におなじみの風景だが、このスペクトル問題の面白いところは、 スペクトルの下を見ている時にはそれが判るのだが、 上を見ている時は、まずその事に気づかないというところだ。 そして、海千山千の社長さんも、つい愚痴をこぼす。
ところで抽象化の話しは学芸においてもそのまま成り立つ話題ですね。 かつて、Andre Weilはある講演で書棚を指し、 「そこにある本は、読めば私は大抵理解できる、だが、それらの本の著者には、 私の本を理解することはまず無理だろう。これは愉快だ。」 と言ったそうだ。 これが私が数学を選んだ理由というわけではないのだが、 結果的にいろんな場所で、論理学と位相空間論の訓練の経験には、 ずいぶん助けられたものです。 このスペクトルの下のほうに何が位置するか、 については言わぬが花というものでしょう。 Grahamも、口にできないことを見付けたら、口にするな、 と言ってるしな。
そして今日もカーネルはライブラリの愚痴をきいてやり、 ライブラリはユーザプロセスの愚痴をきいてやり、 ユーザプロセスはユーザの愚痴をきいてやるのだった。 こうして一日が無事おわる。
わしが鎖骨を折る10日ほどまえに、 ツール ド フランスで落車して鎖骨を折った選手。
こないだ、サンセバスチアンというスペインはバスク地方で行われた、登りが厳しくて プロの一番上のカテゴリのレースで8位に入りました。
おそるべし。
今日で骨折からちょうど一ヵ月である。 前回よりは、治りが遅いな。 寄る年波には勝てぬということか。 折れたところが前回よりも端に寄ってるしな。
早食いはデブの元らしい。
だからなんだってんだよ。あ?
本当の原因から目ぇ逸しても腹はひっこまないぜ。はっはっは。
俺は食いたい速度で食うぜ。 速攻でかっこむこの高揚感は、なにものにも替えがたいからな。
おっと腹が。速く食いすぎたかw
馬鹿と闘うと馬鹿になるとは名言だが、 誰かがそれをやらねばならない事もある。
「マイナスイオン」とか言ってる馬鹿を捻り潰すのが、 どれほど大変かというと、 なにしろ彼等、知能が少ないので、こっちの言う事が解らない。 正確で、順序だっていて、優しい説明をしてあげても、内容にある程度の知的成果が詰まっている場合は、 それが決して越えられない壁になってしまう場合は多い。 なぜか? それが越えられるものなら、そもそもそんな馬鹿にはならなかったわけだから。 「いまさら追い付けるもんなら、最初からチギレたりしない」というのは、 あらゆる場合に成り立つ市川マサトシ先生の、まこと名言である。
困難に立ち向かうにはある一定の心理的なポテンシャルが必要になる。 解けるかどうか判らない問題に立ち向かうのに必要になる勇気に比べれば、 自分に理解可能かどうか判らないが、既に解決されている演習問題をやってみたり、 証明を暗記したりするのに必要な心理的ポテンシャルなど、 ハナクソみたいなものだ。 それゆえ、 ニセ科学撲滅運動に身を投じてなお業績をあげるとは、本当に素晴らしい。