バナナの毒がまわってきた(2006/08/19)


辞書

辞書データの検索なんて、 人間がやるのは無駄です。コンピュータにやらせるべきです。 それはそうなのですが、 検索したものを閲覧するとなれば、 いまのディスプレイからすると、紙には侮れないものがあります。

紙の辞書なら隣の項目が自然にチラリと目に入ります。 これが意外と知見を広げる助けになったりしたものです。 これに対して、ヰキペディアのようなものを閲覧していると、 いまのところ、隣の項目が目に入ることはないわけです。 ただし、さすがにハイパーテキストだけあって、 記述に出現する項目や関連項目、外部の参考文献をクリック一発で閲覧可能ですが。 まさに百科事典の流し読みにはピッタリですね。

とはいえ、クリックしてしまうと、その項目を最初から最後まで ガッツリと読んでしまうので、チラリと目に入り、 記憶の片隅にとどめるというのとは、 かなり違って来てしまうのはしかたのないところです。 深追いして脳内スタックの戻りアドレスがとんでしまい、 そもそも何を調べてたのか判らなくなってしまうこともしばしば。

もりもとさんの大阪紀行

非常においしい大阪の楽しみ方。うらやましい。

ブラックレインというと、 なぜか思い出すのがこれで、 豊田商事の永野ナントカいうやつが、 わしが豊中に住んでいた頃、 衆人監視のなか惨殺された事件があった。 住んでた街のちょうど隣の駅で、 わざわざ現場を見に行ったりした。 わしの住んでたところは、そういうキチガイがけっこう普通に居るところだったので、 東京にきたときは、 なんと文化的で平和できちんとした街だろう、 と非常な感銘をうけた。

2006/08/19

昨日、朝までJack Higginsを読んでいた。 9時頃起床。 ゴハンにかぼちゃの煮物をぶっかけて朝食。

午前中、放置していて大変なことになってしまっている仕事を片付けようとしたら、 youtubeでしょうもない動画をぼーっとみてしまう、というあまりにもありがちかつ、 最悪の展開。

気を取り直して昼食。 ソーメン。ソーメンのダシもなくなっていて、 買いにいくのも面倒なので作る。ソーメン3束茹でる。 ちと茹でが固かった。 つけあわせは卵焼き。つまりプレーンそうめん。

表は強烈な日差しで、 地中海とか小笠原とかそんな感じ。 非常に暑そうだ。 これにあわせて、なんとなくバナナ盤を久々にかけてみる。 食事の後かたづけをしてから久しぶりにコーヒーでも飲むか、ということに。

もう面倒なのでコーヒーは熱いままでいいや。 茶菓子は隣で買って来たメレンゲ。 メレンゲうまい。 うまいけど、ちょっとシケてきたな。 ちょうどここで"Heroin"がかかった。 "Heroin"聴きながら良い天気の表をぼーっと見て、 冷房かけてないクソ暑い部屋で、 熱いコーヒーすすってちょっとシケたメレンゲ食う。 日向と日陰のコントラストが眼に痛い。 地面に転がった動物の死骸と、それに群がる緑に輝く蝿に、 同じこの太陽が遠慮なく光線を浴びせている様子を漠然と思いうかべた。

最近暑いせいか鳥も居ないな。 みんな山に行っちゃったんだろうか。

そして逆転のドラマが始まる!

怠け者とか、 根性無しとか、 ヘタレとか、 [ピー]とか、 [ピー]とか、 そういう用語で片付けられていた、どうでもいいような物事も 最近は立派なソレっぽい用語が割り当てられて病気扱いされるようになっていますね。

この流れに乗って、バクチにはまるのも最近は病気に格上げという風潮のようで、 おまえらええかげんにせぇよ、と思ってたのですが、なんとなくそれ関係のサイトを見てたら、 これがけっこう面白いわけです。 そこで認識を新たにした事が幾つかありましたので少し書きましょう。

私はそもそもバクチにはまる、という現象自体が全く理解できなかったのですが、 それが少し理解できたように思います。 バクチは、イカサマがない限り、結局のところは当たりハズレが確率ですから、 攻略だの戦略だのいっても最終的には無駄なわけです。 この、最終的には確率で、攻略も戦略もない、というところに関して、 私とバクチうちの間には、解釈、見解の相違があるというのに気づいたのです。

確率の前では誰もが平等です。 まぁユリゲラーはそうじゃないかもしれませんが、彼についてはここでは触れないことにして、 鉄火場では誰もが同じスタートラインに並ぶわけです。 何のスタートラインかというと、そりゃゲンナマがかかったスタートラインです。 わしみたいに最初から何でもできる奴とか、日々の積み重ねでのしあがっていく人には、 これはあまりありがたくない状況で何の魅力もありませんが、 そうではない人々にとっては、 つまり、守るべきものもなく、攻める手立てもない人々にとっては、 これがイイんです。燃えるんです。麻薬的な快楽に直結なのです。

ゲンナマ握りしめてホールのエントランスをくぐる彼等の脳内では、 「おっしゃー、今日は一発、大逆転じゃ。ドでかい花火あげたるでぇ」とばかり、 「プロジェクトX」のテーマがメーター振り切る大音量で流れているわけです。 一方、トバから一歩外に出れば、 「昭和枯れ尾花」がフェードイン、逆転もへったくれもない容赦ない現実があります。 この現実と、誰にでもわけへだてなく優しい笑顔をふりまく 幸運の女神との隔たりが大きくなればなる程、 逆転のドラマは妖しい輝きを増し、 「プロジェクトX」のテーマの音量は上昇するという仕組みです。 つまり一発逆転のスパイラル。

このモデルによると、 べつに一発大逆転が一切うまくいかなくとも、構わないということも解ります。 ゲームに参加するだけで、 マイナスの状況からゼロに戻す事ができますので、 これで既に目的は半ば達成されているわけです。 ただし、イカサマはだめです。 ギャンブルのキモになる、 逆転のドラマは確率として実装されていますので。

というわけで、大変勉強になりました。

ただ、これが病気かというと、それは違うと思います。 そりゃランス アームストロングみたいのを基準にすると、 わしも[ピー]か病人です。 ショボい坂で時速20キロ出したくらいでゼェハァいってるのは、 彼からすれば間違いなく病気でしょう。 5.10で墜落する私は、 パトリック エトランジェ(古いねわしも)からみれば[ピー]でしょう。 ええ、そうでしょうとも(←逆ギレ)。

こんなふうに、 何でも病気と認定してしまう最近の風潮は、 私は欺瞞的で好きになれませんが、 病気にするか他のカテゴリに入れるべきかはとりあえず差し置いて、 物事は名前がついて初めて存在するようになるというのもまた事実です。

む。なんだかワケのわからぬ結論でまことにあいすまぬことですね。ひひひ


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