先日、妻が発注した耳飾りができあがった。
妻は耳たぶがほとんどなくて、 挟むタイプのイヤリングは完全に使用不能であるのはいうまでもなく、 ピアスも吊下げるところが長いと、 着用したときになんだかちょっと変てこ間抜けな仕上りである。
そこで、フックの寸法を詰めてもらってたというわけです。
よほど気に入ったらしく、毎晩眺めてニヤニヤしている。 ほとんど新しいアイスアックス買ってきた俺状態。
むかし、庭園美術館でやったヨーロッパの宝飾品の展覧会の図録を、 なんとなく見直した。
いやまじいいっすよ。コナン。
コレとカリオストロ以外、日本のアニメなんて無くていいんですよ。 わかってくださいよ。
昨日はオープニングを最初から最後までコマ送りでみた。
先日、書店をうろうろしていたら、 日本に来て大活躍中のアメリカのオタクが書いた、 アメリカのオタク事情を紹介する本があって、 たちよみしたらけっこう面白かった。
そこででてきたうち、特に面白かったのが、 いま現在、アメリカのオタクの間で最大の未解決事項とは何か、という話し。
何だと思いますか?
それは、「萌え」概念の習得である。
アメリカのオタクの間では、とにかく日本発のものは無条件にクールなのであり、 たとえ「萌え」にピッタリ相当する語彙が英語にあったとしても、 英語なんか使うのは許されざるダサい行為であって、 とにかく何がなんでも「萌え」を習得して使いこなす必要があるらしい。
しかし、そもそも「もえ〜」というのがうまく発音できないとか、 ロリコン地雷など、 いろんな事情があって、 ヒマと才能と気合いとリビドーほとばしるアメリカのオタクの人々も、 萌え概念を習得するに至ってはいないのだという。 ホントか?
あと、nerdとgeekはどう違うか、 という説明も面白かった。サイエンスが好きか、サイエンスフィクションが好きかで、 nerd属性かgeek属性かが分かれるんだそうだ。 読んだ瞬間は「ふーんなるほど」と感心したが、どっちがどっちだったかは忘れちゃった。
「坂の上の雲」の文庫8巻だけがうちにあるんですが、 またこれを読み直した。
勝って兜の緒を締めよ。
シバリョーのあの文体というのは、 私はあまり好きではないのですが、なんだか麻薬的な魅力がありまして、 たまにどうしょうもなく読みたくなります。 他にも読みたくなってしまった。 しかし、うちにあるシバリョーの本はこれ一冊。 そこで塩野先生の出番です。 もっとも、塩野先生はもともとそういうスタイルじゃなくて、 「チェーザレ ボルジア」の頃はもっとこう、普通の文章ですが、 「コンスタンチノープル」なんかはシバリョー節全開です。 むしろ、本人よりもシバリョー。
環境といえば「UNIXプログラミング環境」これです。 今にしてみれば考えられない贅沢な話しですが、 これをテキストにしたUNIXの使い方演習みたいな授業の、 先生が大野浩之師匠でした。
もうこの本、絶版なんだってね。 まじですか。がっかりですね
SICPは和訳なんてあのザマだし、 わしがコンピュータについての基礎的な知見を養った古典的著作は、 いまや壊滅というわけだ。
apacheなんてshellです。若いヒトにはそれが解らんのです。
大佐といえばシャア大佐ですが、わすれちゃいけないのがカダフィ大佐です。
よく知りませんが、たぶん、リビアはカダフィ大佐が一番偉いわけです。 ところで、リビアにも軍隊はあるでしょうから、 そこには将軍なんかも居ると思うんですよ。
どうなんすかね。 こう、一番偉い人の階級が自分より下なのは、 将軍としてはけっこう気まずいんじゃないすか? 先にカダフィ大佐に敬礼されちゃったりして。 いやーこれはかなり気まずいでしょう。余計なお世話ですが。