去年はあまり栗を食べなかったので、今年は食べるぜ、と意気込んでいたら、 実家がもらったというものが一部リダイレクトされて、 大量に送られて来た。
そこで、五十嵐大介のまんが「リトル フォレスト」に載っていて、 うまそうだった栗の渋皮煮を作る事にした。
まず、皮を剥く。 渋皮を傷つけないように剥くのがポイントで、 最初は、いまいちこのあたりがよく判っておらず、 5%くらいは部分的に皮を剥いてしまった。 皮に穴があると、次のアク抜きや砂糖で煮込むときに、 そのあたりだけ調理が速く進みすぎて、 栗が壊れてしまうのである。 つまり、それなりに力も必要な割に注意深くやらねばならず、 ここはかなり大変な作業です。 作業の性質上、具合の良い刃物があるかどうかで、だいぶ能率と疲労が違います。 巷には皮剥き用の道具などもあるようですが、 男子ならばここはひとつ、ナイフ一本で挑みたいところ。
剥いたら、重曹をとかした水につけておき、翌日煮込む。アクぬきである。
水を換えてまた煮込むが、この際、栗を壊さないように気をつける。 渋皮の頑丈さには、栗によって違いがあるので、 一個ずつ扱うくらいの注意深さが必要だ。 この際、皮の上を這う太いのや毛状の繊維なども除去する。 太いのはピンセットで除去すると間違いがない。 毛状のは歯ブラシなどがよいように思われる。
ピンセットが出て来るところからして、 この、繊維除去過程は皮を剥くのとはまた違った面倒さがある。 皮むきは机に向かって椅子に座ってできるが、流しにつったっての作業は腰にくるわけです。 皮剥きならば一個剥くのにかかる時間を測定して、 どれくらいかかるか見当をつけることができますが、 このステップはちょっと必要な時間が読めません。 なお、煮込み過程で栗が鍋の中を転がった鍋の底に付いたりすると壊れるので、 可能な限りの弱火にします。
栗によってアク抜きプロセスの回数は違うようですが、 あまり何回もやったら分解してしまいそうな感じもあり、 何個か食べてみると既に十分ウマく、渋皮も問題なく食べられたので、 2回アクぬき工程を行って砂糖で煮込みました。 webで記事をみると2-3回というのが多いようです。 回数は、調理の進行に応じたその場の判断で加減するとよいようです。 今回は皮剥いた栗 2kg に砂糖を 1.2kg を使いました。他のレシピをみると、 もうすこし糖が多いようです。 6Lの鍋半分強できあがりました。 小瓶に分けて保存します。
実は、この菓子はできあいのものを食べたことがないので、 本物がどういう味なのかよく判らないのですが、 とりあえずできあがったものを食べた範囲では、うまかった。 アクぬきの過程でもうすこし念入りに掃除すればよかったが、 そのためには渋皮を傷つけないように剥くのがポイントですな。 つまり、最初に皮に傷を付けると、そのあとでいじくりまわしたときに壊れるので、 掃除や砂糖煮込み過程でうまくないわけです。 デッサンがおかしいと、 そのあとどう頑張ってもちゃんとした画にならないのと同じですな。
お茶うけに良いのですが、 モリモリと3個まとめて食ったら鼻血が出ました。
NHKにエバタ先生が招かれていました。 しかし、電気屋の店頭でちらっと見ただけなので、 「本当に爆発する核爆弾を持っているか否かというのは、 戦略的に見ても、政治的に見ても、大きな違いがある」 というのが聞き取れた以外、 先生の発言内容はよく判りませんでした。
安全保障関係の情報をうまくwebで集めるのは非常に難しいですね。 ところで
当面、これが重要な焦点です。 ところで、これがきちんと判るのは、短い期間の間には、 どうもありえないように思えるのです。 なぜなら、 無かったと明白に判ってしまうと言うまでもなく北韓として非常に具合が悪くなります。 しかし、核爆発があったと第三者にも明白な形で判ってしまうのは、 保護者である中国やロシヤの立場上まずくなるので、 北韓としても望ましくない。
だから、私はこの問題は簡単には判るようにならないのではないか、 と思うわけです。 まぁ単なる憶測ですが。
純粋に軍事的な意味に限定すると、 兵器は所持していることが判らない方が有利ですが、 核というのは、政治的な文脈にどちらかというと重心があって、 あるのか無いのか、あるとすればどれくらいあるのか、 というような情報のほうが、 爆弾本体よりも重要な意味を持つ場合が多いのが、 なんとも気分の悪いものですね。
その後の展開としては、どうも、うまくいかなかったんじゃないか? という事のようですね。 爆発の規模が小さすぎるというのがその理由のようです。 ただ、「実は核爆発が無かった」ということになったとしても、 もう時計の針は元には戻らないという情勢ですね。 こりゃユギオですかね。
ここは「テスタ」ではなく、語尾をひっぱらせていただくほうでよろしかったでしょうか。
男子たるもの、テスターも持っていないとは何事じゃ! というわけで、先日、近所のホームセンターで買って来ました。 買って来てよくみたら電流計が無かった。 まぁ抵抗と電圧が測定できるので、電圧を抵抗で割れば電流なのであり、 それでよしとするか。え?ホントか?
妖しげな安ぶしんの手帳のようなビニールのカバーがついており、 その中にテスト用接点と共に格納されている。 開いたところはいかにも工作好きの理系男子風で好印象。 表示部は近頃のこのテのものは液晶日の字型の数値表示なのであり、 目盛萌えの私としては若干残念です。 レンヂは勝手に切り替わって適切な表示が得られるようになっていて、 なかなかアタマは良いのですが、 使う方は、ただ接点を問題の箇所に当てるだけでいいので、 全く頭を使う必要がなく、アホになりそうでややナニです。
早速、壊れた電気製品のどこがどうおかしいのか、 これで激しく追求してゆく俺様であった。
結論は、モーターが壊れていました。 どっかハンダづけすれば直るんじゃないかとおもっていただけに、がっかりです。 なんてこった。
ブリスベーンのはやぶさくんは、見始めたときは真っ白だったのに、 今じゃすっかり黒くなりました。あと1週間ほどで飛べるようになるでしょう。
飛行場のチョウゲンボウの食糧はもっぱらバッタのようです。 尖ってる大型のやつが居ますが、アレです。 あれでいいのなら、まじで楽勝な人生ですな。 奴等、地面歩いて餌とってますよ。 あれなら羽なんか要りませんがな。 昆虫をとった猛禽ではありがちですが、 食べながら飛んでいる場合もあります。
もっとも、彼等が風に乗って帆翔しているところは 非常に優雅で痺れます。 地上ですらよろけるほどの突風が吹いているのに、 風上を向いて、時々わずかに羽ばたくだけで、 空中の一点に静止しているのはどういう魔法なのでしょうか。 そして、何か見付ける度に脚をニュっと下に降ろすのが面白い。
ハヤブサの鼻の穴には円錐状の突起があって、 これで高速飛行時に呼吸を調整するんだそうな。 ジェット戦闘機の吸気口の円錐が、これにヒントをえて作られたんだってさ。 wikipedia に書いてあった。
先日、時計の雑誌を立ち読みしていた。 例によって小牧先生の記事だけを読むためである。 今回も非常に面白かった。
近年、力学フリコを使った時計が、 そのアクロバティックなからくりの面白さから(私に都合のよいように世情を歪曲して捉えています) 再評価され、 それに伴ってメーカーも開発費を投入する、という状況になっているようです。
力学フリコを使って時間を測定する機器ですから、 そのフリコの精度がそのまま測定精度になるわけで、 結局のところ、これをいかに高精度に作るか、という一点に技術的課題は集中しています。 他のものは、あれば面白いという程度の存在といっていいでしょう。
フリコの精度は軸およびその円周に存在しているオモリがうまく加工されている、 というのが前提条件ですが、それくらいはきちんと作れるようになって、 もう何百年も経ちます。 問題なのは、それについているバネであります。 これがフリコの回転軸にくっついているわけではない事、 機械本体側が固定されているので、ばねの巻き込みや、ほどけが、 キレイに同心円にならない事、 バネ定数が温度によって変化する事などを主な原因として、 フリコの周期に変化を生じます。
このうち、非常に難儀なのが温度によって弾性率が変化する事で、 これを解決する恒弾性材料を発明した人物が、 ノーベル物理学賞を受賞した件は以前にも書きました。 最初に発明されたのは、ニッケル基合金で、 これを改良した恒弾性材料の系譜が二つあるそうな。
一つは、スイスのニヴァロックス社が製造するニヴァロックス。 名前のとおり、オリジナルな恒弾性材にヴァナジウムを添加した材料だ。
もう一つは、コバルトを添加したコエリンバー合金の系譜であり、 日本で製造されているのはこちらの材料なのである。
力学フリコ時計機械の核心部を担う材料が、 このように日本製とスヰス製では違うのである。
ところで、このようにニッケル基合金によって温度による弾性率の変化を 克服したかに見えるわけだが、そう都合よく弾性率の変化がゼロになるわけではない。 合金なので、全部一様な組成にはならず、ムラも出るし、不純物もあるし、 そもそもこの合金の仕組みからして、 温度全域で弾性率がゼロになるわけじゃないのだ。 補正が効いているところでも完全に弾性率の変化がなくなるわけではない、 ということだ。 わずかに残る弾性率の変化による振動周期の誤差を吸収するために、 George Daniels 博士などは、小さなバイメタルをフリコに付けるなどの 対策を盛り込む工夫をあみだした。
最近では、非金属材料でバネを作ってしまい、 温度による弾性率変化をなくしてしまう、という方向に技術革新が進んでいるようだが、 この流れは、やや安易ではあるまいか。 金属素材のうちもっとも新しいコエリンバーにしても開発されたのは戦前で、 いくらなんでも放置しすぎではないのか? というのが小牧先生の意見であった。 わしも、なるほどそういうものかもしれぬ、と思った。