3連休の報告(2007/02/14)


yet another hokushin

うちにある北辰はこれで4本め。自費は2本め。

昨日のうちにドリルで穴をあけ、 リストループ「クリッパー」の取り付けをやっておいた。 今日はピックを念入りに研ぐ。 これを明日から大谷不動で使うのだ。 いつもお世話になります。すみませんね>村井さん

クリッパーは6000円くらいするので、 こっちはもう一本買うのはやめといた。

2007/02/09

残高証明を銀行に頼んだら、一週間かかるというんです。 ぶったまげて、おもわず叫んでしまいましたよ。「一週間?!」

そしたら違う支店の口座だからそっちに連絡してどうのこうので しょうがないんですとか ヘゴモゴぬかしやがります。

こうなるともうかんべんなりません。 「御社の内部の事情は存じあげませんが、 それが私を待たせる理由になると本気でお考えでしょうか。 この対応も、その理由も間違っています。 到底受け入れる事はできません。」 と自分なりに丁寧に申し上げた。

そうしたら2日で発行できるって言うんですよ。

これはいわゆる一つの「やればできる子」というアレでしょうか。

大谷不動

JECCで大谷不動にいった。

メンバーは溝淵さん、吉川さん、小川さん、わし。 溝淵さんは、JECCの元代表にしてMIZOの創業者でもあり、 とりわけ今回でいえば、大谷不動というエリアの開拓者でもある。 ガイド本に掲載されているように、このエリアのほとんどの滝に 初登攀者として彼の名が残されている。 開拓当時のこのエリアには当時の日本の氷壁登攀技術の最先鋭を担うルートが揃い、 登攀技術の先鋭化においても、また道具の開発においても、 大いに貢献のあったエリアなのである。

隣の沢には米子不動があり、そちらは100m以上の垂直の氷柱が一本、 ズコーンとぶっ立っているルートばかりで、登ったあとの退却すら並大抵ではなく、 現代においても容易にとりつくことも許されないというレベルを維持している。 それに比べるとここは、50mが2本とか、50m + 30m などの構成のルートが多いので、 わしのようなヘタレにもまだ手が出せる、中級者向け(米子不動比で)のエリアである。 近年、アプローチ状況が改善されたこともあり、 腕におぼえが多少出てきたくらいのレベルの比較的多くのクライマーを迎えているようだ。

大谷不動に行こうと言い出したのは小川さんで、 彼は去年から「行こう行こう」としきりにわたしにささやいていたのだが、 このほど機運が満ち、この面子での、飽食宴会兼、大谷不動登攀パーティーとなった。

大谷不動はすげぇです。 八ヶ岳あたりの氷など、ここに比べるとまことにショボくて泣けてきます。 久々にシビレる氷のリード登攀を満喫しました。


過去の落書きリスト