僻みんぐ(2007/03/18)


島田英承氏のナイフ

どうせ用もないくせに、と思うんだけど、 あればあったで便利なのがナイフだ。 藤田といえば刃物ということが一部でささやかれていますが、 そんなわけで、いざというときに、 「なんだ〜持ってないのかよ!」ということになると場の盛り上がりに欠けるので、 なんか要りそうだな、と思ったときは、 できるだけ持って行くことにしている。

意外かもしれないが、 現代の登山活動においてナイフの出番は、ほとんど無い。 いや、全く無いといっても過言ではない。 包丁の方がまだチャンスがある。 過去において、登山でナイフがナイフっぽく役に立ったのは、 唯一、箸を忘れた時にそこらへんの枝を箸に削ったのだけだ。 包丁として役に立った事なら何度かある。 つまり、ナベに入れるネギを刻むとか、そんな感じだ。 私の作ったナイフの鞘にはハーネスから吊せるように、 カラビナをクリップするためのループが付けてあるが、 そんなの使った事一度も無い。 だいたい、三スラなんかでこのナイフ落したら、 それこそ俺は再帰(ママ)不能だよ!

むしろ下界でナイフは役に立つ。特に食卓に一本置いてあると非常に便利だ。 パンやチーズやハムを切ったり、果物の皮を剥いて切り分けたり。 それから、旅行でも役に立つ。 旅行にはナイフ必携といっていいだろう。

そんな、役に立つ、立たない議論とは全く別のところに、 ナイフはナイフ自体として存在意義がある。 美しく、よく切れるナイフには、それ自体に価値があるのだ。 まぁ、とにかくそういうことにして話を進めよう。

ところでナイフというと大抵は、 ラブレス型か、 キテレツな「僕の考えたエクスキャリバー」みたいなのか、 どっちかです。

そんななか、私が「お、これは使ってみたい」と思う唯一の例外が、 島田英承氏のナイフです。 彼のナイフの何が面白くて魅力的かというところをちょっと考えてみましょう。

現代のナイフが役に立たなくてもよい存在である、 というのを象徴しているのが、ステンレス素材への拘りです。 使えば錆びたり傷がつくのは当り前ですが、 それが皆さん、イヤなんですね。 大抵の人は、キレイなナイフを買ってもまず自分では研ぎません。 なぜなら、使わないから。 研げないというのもありますが。 使って切れなくなっても、研ぐとヘマったときに大きな傷がつくので、 それがイヤなんですね。 使わなければ傷がつくこともありませんが、 錆びはたとえ使わなくても付きますから、 もう、それを考えただけで発狂しそうです。 フロイト風に言えば、チンチンに黴が生えるような感じなんでしょうか。

使えばステンレスなんて全然切れないので、 そっちこそむしろ発狂しそうになるはずですが、 使わないのでそのあたりは判りません。 まぁ例外的に切れるステンレス刃もありますが。 とにかくそれより錆びだけはかんべんしてください、ってわけです。

ところが、島田氏のナイフは、いきなり新品の状態で、 何年も使い込んだような風合いなんですよ。 あるいは、意図的にヤスリ目や鍛造の槌目が残してあったりします。 いわばウェザリングされてるわけです。 もちろんそれは彼の演出で、実際に使用すれば、 そこからそれなりに「熟成」は進むわけで、 更に違った味わいになっていくわけです。 刃も錆びの来る材料ですので、雑に扱えば赤錆びだって浮くでしょう。

「いい感じになるように、使ってやろう」 そう思わせる、非常に憎い演出というか、 ユーザの魂をよく掴んでいる優れたデザインだと思います。 もちろん、こんな発想を持っている人ですから、 ナイフの意匠も非常に優れた独創的なものですが、 とにかく、完成された物体よりもむしろ、 自分がそれを使い込んでいく過程、時間的な奥行きを感じさせようという、 その立ち位置の違いが、 十年一日の如くラブレスのコピー品を作り続けている奴や、 「ボクの考えたえくすきゃりばー」のようなのと、 余りに鋭く際だっていて、 久々に店頭でみかけた「ナイフマガジン」は面白かった。

べつにペカペカに光ってなくたって、 正確に刃どりされてさえいれば、 ナイフは美しいのですよ。

そういえば、私も「別に錆びたっていいや。切れれば」 と思った瞬間に、ラブレスの呪縛から脱却したように思います。 脱却して2本作って、それきりですが。

2007/03/17

探検コーナーの記事も、けっこう検索でヒットしているようなので、 どんなキーワードでヒットするのか、ちょっとアクセスログを調べてみた。

富士山 スキー 巻機山 スキー 大同心大滝 八ヶ岳 アイスクライミング アイスアックス などのキーワードで、 各所の検索サービスで上位ヒットする模様。 あと、たまに見掛けるのが樹海。

アイスクライミングの記事は、大同心大滝で、 あおむけに墜落してチンチンをハーネスに挟んだやつなので、 どれくらいのアクセスがあるのか知りませんが、 「大同心でチンチンはさんだフジタくん」として アイスクライミング界ではそれなりに認知されているのかもしれない。 どうでもいいけど。

探検コーナーの記事を検索して来る人が使う検索サービスには、 google 以外にグゥとかヤホゥが多いようです。

「神戸屋キッチン 食べ放題」で検索して来たひとが居た。 ヒットするのは、 奥多摩に自転車で行ったら腹が減ったので 神戸屋キッチンのパン食べ放題で山盛り食ったとか、 そんなような記事ですが。

それから、「ニイタカ山」でヤホウで検索すると、 イノクマと中山と3人で富士山日帰りした記事がトップに来るというのを発見。 ぶは。

2007/03/18

今日はうちで引っ越しまえの宴会だ。

上はビーフシチューの肉。

当日の朝、へんなかっこうのさーやさん。

いま終って(ゲェプ)昨日借りたビデオを返して来たところだ。

いや〜 皆様ごちそうさまでした。おかげで愉快な会になりました。 ありがとうございました。 関西に来る事があったら、ぜひ寄っていってください。 といっても、かなりヘンピな田舎ですけどね、今度の住居は。

Google

アタマの賢い人は google に行くのが常識となった今日この頃ですが、 ちょっと残念に思う事があるんですよ。

そこで、一体どんな愉快で凄い事が行われているのか。 どんなすげぇ事が達成されたのか。 わしら一般民衆にはほとんど判らないというか伝わって来ないんです。 なんというか、こう、吸い込まれた切り、 片道切符のブラックホールみたいな感じですよ。 なんとなくそんな感じ、無いすか?

外野のヒガミみたいなもんかもしれませんが。

それにしても立花タカシのこの記事は、何が言いたいのかね。 彼は日本のトップの論客のはずだが、それが、口頭で出まかせに喋るならともかく、 文字になる記事で優秀な人材がgoogleに行くのと、 算数ができない馬鹿が増えた事を二つ並べて、 「あー困った困った」で終っているというのは、あんまりではないか。 一見すると算数ができないい馬鹿をなんとかすれば、 アタマの賢い人が google に行くのを阻止できるかのようにも見えるが、 そんなわけはないし、現に本人もそうは思っていないだろう。

作文の先生に「テーマは一つに絞りましょう。書き直し」 と典型的に言われるような文章だと思った。

日本のトップとされる論客がこんな文章でまかり通ってるから、 優秀な人材の google 行きが止まらないのではないだろうか。 そんなわけはないし、現にこれを書いている私もそうは思っていないわけだが。

つまり、 google って「カッコイイ Microsoft」なんですよ。 マイクロソフトって、商売はうまくいってるけど、 たとえば「あそこの製品を使ってる」ってアタマの賢い人や、 カッコイイ人に言うのって、 ちょっと勇気要るでしょ? でも、 google ってそういうのがないわけよ。 もう、文句なく頭よさそうでカッコイイ上に、商売でも成功していますから。 最強ですよ。


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