みんなで(総計8名!)はやぶさ観察。
もう、御子たちは上の岩棚に登ったり、 下に降りたり、はばたき練習など、ドタバタと大騒ぎである。 成長の早い雌(F1)、 同じくらいの成長度合の、雄と思われる小柄な個体(M1)、 それらから1-2日遅れの雄と思われる小柄な個体(M2)、 そして綿毛が背中にたくさん残っている、まだらちゃん(性別不詳)の 4羽である。
これが、一羽だけ白い羽がたくさん残っているまだらちゃん。 左の貫禄十分の不敵な面構えのやつはM1(年長の雄)で、 こいつは今週中に飛ぶと思われる。
生まれたのはおそらく4/23前後であり、 Gulf Tower とほぼ同時期である。 幼い一羽以外は順当な成長だが。
まだらちゃんに何があったのか? 食事が少くて、一番幼い雛にまで行き渡らなかったのか? 単に年長の雛から一週間遅れて生まれただけなのか? いずれにせよ、これら4羽の雛たちは今年の冬には苛酷な試練に直面するのだが。
そのあと、珍しくイタリヤ料理なぞで食事して帰宅。 左のパンはピザ生地をピザ釜で焼いたもので、 店のオリジナル食品。 出てくるのに多少時間はかかる(on demand で焼くそうだ)が、 それだけの価値はある。 大変おいしい。
右のニョッキ(イタリア風すいとん)は、チーズのソースがうまかった。
全体的に、非常に満足できる内容で、 場所柄、観光地価格のサイゼリヤみたいなものを覚悟していただけに、 これは嬉しい誤算であった。
店の名前は忘れた。
子供の頃、近所に鈴木さんという一家が住んでいて、 鳥に詳しかったのがそもそものはじまりです。 その家には、直視型と傾斜型のコーワのプロミナーが1台ずつありました。 月や土星も見せてもらいました。
その後、ツバメの雛を拾って来たりもしましたが、 特に熱心に鳥を見たり分類したり記録したり、といったことは、 ありませんでした。 再開するのは、大学生だった20年ほどまえに、 なんとなく双眼鏡を買ってからです。
科学博物館友の会の会員になって、目黒白金の自然教育園というところに 毎週行きました。 そこではよく都市でみかけるシジュウカラ、カワラヒワ、コゲラなどの他、 シメ、オシドリ、カワセミ、カイツブリなんかもみかけました。 特にカワセミとカイツブリは繁殖していて、その展示もありました。 品川に住んでいた頃は、妻とよく行ったものです。 「フィールドガイド 日本の野鳥」を買ったのもこの頃です。
その後、自転車に乗り始めてからは、これを足がわりにして 羽田の多摩川河口にも時々行きました。 こちらは水辺の鳥が目当てです。 セイタカシギやイソシギ、コチドリ、タシギ(それ以外のシギチドリは見分けられない)、 セグロカモメ、ユリカモメ(それ以外のカモメはわからない)、 鴨類を見ました。 しかし、そこで会ったオジさんに、そのへんでハヤブサが見られるという話を聞いても、 ちょっと信じられませんでした。 当時は、ハヤブサといえばどえらい辺ぴなところに居る、 孤高の猛禽という認識でした。
小金井に引っ越したら、立派な庭があったり、 具合の良い公園が近くにあって、多くの小鳥類だけでなく、 猛禽もしばしばみかけるようになり、毎週、鳥を見に行くようになりました。 そこで、しばらくして双眼鏡をもう一本買いました。 やはり一人一本でないと、非常に便利が悪いのです。 「もうちょっと右、そのちょっと下3本めの白い枝。 わ。飛んじゃった」 という事が多いので。
「フィールドガイド 日本の野鳥」は暗記してしまい、 ヨーロッパと北米のフィールドガイド、 いろんな文献やweb記事を読むようになりました。
当時は会社も大変で心が病んでいたので、 鳥が(種類は問わない)飛んでいるところを見ているだけで 非常に気分が良かったものです。 とにかく何が何でも飛んでいるところを見たくて、 wataridori の DVD を買ったりしました。 そしてカツオドリが上昇気流に乗って停空飛翔している場面を、 コマ送りで見たりしたものです。
終身在宅勤務権限を持つ従業員になってからは、 毎日、庭のメジロにミカンをやって、 あちこちの鳥見ポイントで、 退職したおじさんたちと一日じゅう鳥を見ていました。 見通しの良いところで猛禽類などを見るようになると、 やはり双眼鏡では具合の悪い事もあり kowa の 88mm プロミナーを買いました。
もうこうなったら行くところまでいくでしょう。 BBCの「鳥のくらし」全10巻に、洋書の猛禽図鑑、 毎月出る雑誌「Birder」、 各地のハヤブサの web cam 画像は1分毎にダウンロードしたものが 10GBytesになり、 その他写真集やら何やら。 「Isle of Mull にイヌワシでも見に行くか」 などと妻と相談する日々である。
今年4月25日に行われた Aktuelle の雛の標識作業の様子。 正面の扉はこのためのものだったというわけ。