有限の宇宙(2007/06/08)


嵐山

久々に自転車乗った。 もうしこし正確にいえば、久々に自転車に乗るために自転車に乗った。

同行ならびに案内は、nkgwのm氏。行き先は嵐山とその周辺の峠。

まず川沿いに走る。 けっこう蒸し暑い天候だった。 止まっていると暑いが、乗っていればそれほどでもない。

木津川にかかる、流れ橋。 映画によく出て来るという。 この地点は、川だけが流れ、時間の流れは止まっているのである。

嵐山に到着。堰提にヤゴが羽化した抜けがらがしがみついている。

水がずいぶん濁っているのが残念だ。

嵐山から、ちょっと和田峠ぽい山道を登る。 そこから先は、ヤビツ峠の北側みたいな沢沿いの細い道を登ったり下ったり。 涼しくて、非常に気分の良いコースだ。

越畑のソバ屋。 そばがきぜんざいというものを頼んだら、こういうものが出て来た。 かなり驚いたが、それなりにうまかった。

帰りは八条通りの中村軒にて休憩。 座敷でわらびもちと麩饅頭をいただく。 わらびもちが手ぶれですんません。 京都といえば麩饅頭という刷り込みが小金井在住時分に行われた模様です。 店の奥には庭があって、金魚が居ます。 庭がこんな感じで、和菓子をいただきつつ座敷でぼーっとしていると和みます。 でも、金魚はちょっと酸素が足りてなくて、かわいそうでした。 金魚も手ぶれですんません。

帰りはわりかし向かい風でした。 向かい風の土手を走るなんて、何年ぶりでしょうか。

6時間42分で 156km

血糖が切れた状態で面倒な事を考えていると、 血がキナくさくなってきます。

こうなると、自転車レースのシーズンがやってきた!という感じがします。 わしだけ?

n体問題

空間に、互いに重力などの力を及ぼしあう物体が何個か存在し、 適当に運動している、というような問題のうち、 物体が3個以上あったとき、 この振舞を数学的に表現するのは非常に困難であることが知られています。

数学的に表現するというのはどういうことかというとですね。 たとえば力が一定方向で一定の強さだった場合、 物体を投げると、tを時間として、 その座標は(at, bt^2)とかなんとかそんな風に表現できます。 この表現の凄いところは、 tが任意って事です。

tが任意というのはあんまり凄くないと思った人も居るかもしれません。 こう考えてみてください。 この表現は、永遠の過去から終り無き未来まで、 全ての瞬間における物体の振舞を完璧に、 過不足なく表現しているわけです。 神の視点といっていいでしょう。 天体の運行でいえば、軌道の種類と要素を指定すれば、 その天体の位置や速度が永遠の過去から終り無き未来まで、 そこに完璧に詰まっているということです。 たった一行の数式に詰まっているのです。 そう言われるとちょっとビビるでしょう。 おそる巾情報密度です。 数学というのは、そういうもんです。

一般解は無理ですが、特殊な場合についての解を使って、 スペースコロニーが配置されているというのは、 皆様にもガンダムなどでおなじみでしょう。

ところで、くりかえしの高速計算を厭わぬ頼もしいマシンができてから、 事情はずいぶん変わりました。 数学的表現は神の視点であり、そこには余りにもすげぇ情報が詰まっており、 わしらの如き哀れなパンツを履いた猿(しばしば脱いでいますが)の手に余る パワーがあります。 わしらが必要とする情報ならびに取り扱い可能な情報は、 たかだか有限の精度で、たかだか有限の時間分解能です。

というわけで、たとえ一般的な関数形はわかんなくても、 必要とする精度の範囲内で、 それぞれの時点におけるいろんな値を計算する、 というアプローチが近年、とられるようになりました。

数値演算というのは、 哀れなパンツを履いた猿であるところの我々が、 神の視点をソロバンで真似る、その技量ならびに成果です。 いかに速く、いかにケチなリソースで、いかに精度を出すか。 そのために本物のプログラマが血の汗を絞るのです。 一方、言うまでもありませんが、 神が全てを完全な精度で知るのに必要な時間はゼロです。 もっとも、神はとっくに死にましたが。


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