日本が必要とする電力をまかなうことができるのは、 現状、火力発電と原子力発電だけだ。
だから、地震によって原子力発電設備に危険が及ぶとしても、 原子力発電はやめられない。
火力発電は、地震のリスクは原発ほどではないが、 石油の分布は非常に偏っており、これに依存する事には、 やはり大きなリスクがある。 また、これはかつて、日本を戦争に駆り立てた背景でもあった。
しかし、原子力もまた、その資源は非常に偏って分布しており、 なかでももっとも重要な点は、石油同様に国内に埋蔵が全く無いという事だ。 石油一本から、エネルギー源を分散する事はリスクをいくばくか減らす事にはなるが、 つまり、原子力への転換は事態の本質的な解決にはならない。
これはとうの昔から判っていた事だが、 全く対策のなされぬまま今に至っている。 そもそも有効な対策が存在しないからこうなったのは当然のなりゆきなのか、 それとも政府と国民の怠慢故にこうなったのか。
私には、対策が無かったとは思えないのだが。
無論、担当した当事者は「どうしょうも無かったんだ。無理だよ。」 というだろう。 そういえば、そんな奴は、まえの会社にも居た。 ある種の課題は、達成する以外の選択は無いのだ、という事が解っていない奴等だ。 「無理です、できません」というのが通用すると思っていやがる。 俺は自分がとりわけプロフェッショナルだとは思わないが、 とにかく、そういうブったるんだアマチュアには我慢がならない。 だから、この件では久々にカチンときた。
具体的に説明しようか。 たとえば当事者に権限が無い事は、失敗する理由にはならない。 権限が無ければ、権限を持つ者と交渉する。 交渉材料が無ければ探し、 探しても見付からなければ作る。 当事者の無能すらも理由にはならない。 能力が無ければ身につけるか、能力を持った者を連れて来るんだ。 どんな障害も、失敗の理由にはならない。 なぜなら、エネルギー問題は国家の死活に直結し、 いうまでもなく、生存は全てに優先するからだ。 蓋をあけてみたらダメでした、というのはありえない。 もしそうなれば、 あとは歴史の渦に呑み込まれて消えるしかないのだ。 人知れず死んでいく無数の野生動物のように。
とにかく、こんな簡単な事が、当事者にも、 そして結局のところ、国民の皆さんにも解っていないということだ。
戦争に負ける国や、失敗する会社なんて所詮そんなもんか。
現在の Virtual は、「勝ち組」「負け組」に似て、 本来の意味とかけはなれた用法が広まってしまっているようにみえる。
従来であれば、 imaginary とか nominal などが使われるべきところに virtual が使われている。 これは日本の愚民放送だけじゃない。 ちゃんとした英語の放送、といってもわしが聞くのは BBC くらいだが、 そのBBCで今、ちょうど virtual が imaginary とか fantasy という意味で使われている ところだ。日本のフェティッシュ特集だそうだよ。 まさに virtual が、最近ありがちに使われる場面ですな。
virtual というのは「事実上の」という意味で、 「名目上の」とか「想像上の」とは対極に位置する意味がある。 ありもしないものをバブル的に吹聴するという意味ではない。 virtual がコンピュータ方面で最初に使われたのは、 virtual memory だそうだが、 これは、ユーザプロセスにとってみれば、 実際に、連続したそれだけのアドレス空間が自由になるということだ。 ハードウェア上ではそうではないのだが、ユーザプロセスからはそう見えるような、 メモリ操作システムを Operating System が実現している。 「俺の脳内ではこんだけメモリがあるつもり」 という程度の意味ではない。 virtual と real の違いを掴むためには、モーフィアスの赤いカプセルを選び、 解脱する必要がある。 そして、そうしないと決して real と virtual の区別はつかない。 それが virtual というものだ。
おそらく virtual reality 以後だと思うが、 「ありもしないものを吹聴する」とか 「脳内限定」という意味で virtual が使われるようになった。 初期の virtual reality はショボかったので、 「あれが virtual で通用するんならこれだって virtual だろ」 となったのかどうなのか、事情はよくわかりませんが。
しかしこのBBCの「日本のフェティッシュ」特集は痛いな。 論外問題外のクソだ。Virtual にそびえたつクソ。本来の意味で。
私の会社はダメだったが、 その原因の多くは自分にあった。 つまり、組織がダメなのはリーダーがダメだから。
私はおおむね自分の能力と、それを示す事にしか興味がなく、 他人をバカにすると自分が偉くなったような気がする、 そういう奴なので、他の人間がやる気を出さんのです。 当然ですよね。 そういうのを簡単に言うと「人望が無い」というわけですが。
ヒヨドリの巣立ち雛をよくみかける。
昨日は自宅の前の森で、例のぴぃぴぃ鳴く声が聞こえたので、 どこに居るのかな、と双眼鏡を構えていたら、 枝から金網の枠に飛び移ろうとして、枠でスリップしてそのまま落ちて、 地面の薮に突っ込んでいた。
先日のマンガのとおり、翼が短く、尻尾もほとんどないので、 事情を知らないとヒヨドリだと判らない。
それから、昨日はエナガの今年生まれた若鳥の群れが、 うちの前に大挙してやってきた。 顔の模様がうすぼんやり。
うちから一番近所のレンタルビデオ屋まで、3.7km ある。
今日はそこまで歩いて入会してきた。
途中に大きな池のある公園がある。 この池ではカイツブリの他、バンが繁殖しているのである。 バンの親子。右がこども。 バンは地上を歩いているのと泳いでいるのしか見た事が無かったのだが、 長い足指を使って睡蓮の葉の上を忍者のように歩きまわるのだな。 これは非常に面白い。
オオヨシキリも居た。
ベンチに生えた謎キノコ。
ビデオ屋はかなり大規模で、書店、古書店、ゲームなども扱っており、 このへん一帯の文化を全部まとめて面倒みてる感じだった。
おまけ。自宅のアロエに生えた謎キノコ。
今日は奈良の国立博物館に行った。
夫婦で入ると半額の日だったのだ。 オニギリとお茶を持って、自転車ででかける。
奈良公園といえば鹿ですが。 さっそく、俺様のオニギリを狙ってやって来ました。 ツブラな瞳で、ものすげぇ厚かましいです。 厚かましいのもむかつきましたが、そもそも腹がへっていたので、ひと粒たりともやりませんでした。
帰りにまたしても、 Gateau de Bois でケーキ食った。