いい天気。
昨日は職場からの帰りに、職場の裏山(小さな登りが4-5本ある)を 通って帰った。 街灯が全く無いので帰りでは春夏しか通れないが、 田んぼと民家が散在する、 なかなか良い感じのコースなのだ。 関東のポピュラーな自転車コースでいえば、 ちょうど、和田峠の藤野側から甲武トンネルまでの区間みたいな感じだ。
小さいとはいえ、平日の帰りに全開でかけられる峠があるのは良い。
しかも山を降りて来て、帰る途中に地元密着型な 良い感じの小規模スーパーがあるんだ。 この店は使える。
今朝は出勤途上の長い登りで、ロードが前に居たので、 あまりゆっくり走れなかった。 この場合、ここで「ので」はおかしいのではないか、 と思う読者もあるかもしれない。 ゆっくり走らないのはオマエの勝手ではないのか、と。 だが、実際はこれでいいのだ。
55.8kg
近所の池でバンが繁殖している件だが、 先日観察していると、ずいぶん小さな雛を2羽連れている親をみかけた。
雛は、スイレンの葉を互いにたてかけあったような、 屋根状の場所に潜んでいて、親から食事をもらっていた。 アタマがはげていてちょっとナサケナくもかわいい。
去年のラクガキをみると、 5月の連休あけに井の頭公園でバンの親子を観察しているし、 その池には親と変わらないサイズになった若鳥が何羽も居るので、 この一家は、あまりに時期が遅い。 一度繁殖に失敗した一家ということだろうか。
このあたりは池が多いので、池の鳥をよくみかける。 池の鳥というのは、サギ類、ヨシキリ、バン、カイツブリなどだ。 居てもよさげだが、実際にはあまりみかけないのが、 カワセミとシギ類。 カワセミが生きていくには、このへんの池はちょっと水が濁りすぎなのか、 もしくは巣をかける場所が無いのか。 古墳がたくさんあるので、 巣をかける場所が無いというのは違うような気もするが。 シギをみかけないのは、万一、居ても気づかないからだろう。 タシギとか、ちょっととおりかかったくらいじゃ絶対わからんけんね。
実家に居た頃、家の上空を夜中に「くわっ」とひと声鳴いて通りすぎた、 謎の鳥はゴイサギで、 これを今もたまに聞く。
10進表記で200桁の数値の 13乗根を暗算で解く。しかも77秒で。
記事の、どうやって計算を実行するのか、というプロセスに関する記述が非常に面白い。 数値を別の構造物、たとえば映画や風景などに変換して憶えるんだそうな。
素因数分解はどうだろ?と思ったら、同様のコメントが付いてるな。ははは
いや、マジメな話、 記憶力って重要なんですよ。 知らない事は考えられないのです。 だから、知能に及ぼす記憶力による制限は非常に大きい。 暗記教育への非難にありがちな、 「憶えてさえいればいいというわけではない」というのは確かにある。 だが、その一事をもって暗記をバカにする奴は、知能の本質が解ってない、 と言わざるをえない。 知らなきゃ読めばいい、検索すればいい、ってものではないのだ。 なんせ、考える事ができるのは、憶えていられる事だけなのである。
知能における記憶力の重要性に気づいたのは、 家庭教師のバイトで数学(まぁ高校だから数学というより算術ですが) を教えている時に、生徒に次のような質問をうけたのがきっかけだった。
先生は、なぜこんな解き方を考え付くんですか?
こいつは単純だがグサリと本質を突く質問だ。 そういえば、なぜだ? 彼とわしは、何が違うのだろうか。
本質的には何も変わらない。 単に、わしの方が、速くたくさん記憶しておくことができた、というだけの事だ。 わしは普通の解法をまるごと全部、脳内の一時領域に詰めることができた。 そこでこれを検討して更に最適化できるところや、違った切口を探る。 これに対し、彼は、手で書いた数式の等号の右側か左側のどちらかだけが、 記憶に(しかも時々間違って)入っている。
だがしかし、結局のところこの量的な差異が、質的な差異に繋がる可能性はある。 容量が半分で速度も半分だと、手間は少なく見積もって4倍、間違う危険も4倍。 したがって、やる気の減退も4倍だ。これでは結局片方は目的地にたどりつけない、 という事はありうる。
こうなれば、突破口は自明だ。 まず、数式の変形、次に簡単な代数方程式を暗算でやる、 という特訓をやってみた。 計算速度と一時領域の容量を改善するためだ。 結果は言うまでもない。 他人の知能は知らんけど、少なくとも自分の知能に関して言えば、 神秘なんてべつに無い。 知ってる事だけを考えることができ、 知らない事は考えられない、それだけのはなしだ。
脳内に必要なものを全部詰め込むのに成功すれば、大抵の問題は解けたも同然なのである。 つまりむしろ神秘なのは「知ってる、憶えてる」って事の方だ。 こいつは本当に謎な現象だ。暗記を侮るなかれ。
かつて mnemonics という技術があった。 憶えたいものを場所や風景に関連づけて記憶していくのだ。 memory theatre といって、記憶対象と同型な劇場を脳内に生成するのである。 この用語を最初にみたのは、高橋鮎生のアルバムタイトルだった。
今日も良い天気。
今日から8月。