第三次伊勢ツアー(2007/08/06)


第三次伊勢ツアー

学校時分のサークルのイベントがあったので、 久々に顔をだしてみた。

近鉄特急に初めて乗った。 志摩磯部で降りて、磯部大王自転車道で目的地へ向かう。 ミサゴをみかけた。

かなり暑く、疲れた。この日は浜遊び。

夜は戦艦大和登場。出て来る時に、確かに「ゴゴゴ…」という音を聞いた。

しかし殲滅。

そのあともいろろ出て来たが、全て殲滅。

最後にスイカ。ここまではこっちも良いペースで展開していたのだが、 最後のスイカでこっちも撃滅された。

場所は紀伊半島東部在住の大物OB邸。 内部はこのようにブシツ状態全開。 すなわちメンバがそこらへんにマグロ状に転がって、マンガを読んでいるわけです。 学生時分と全く変化が無く、 まるで時間が止まっているようです。

花火です。

翌日の朝食。干物で朝食。

水族館に行きました。いろんなのが居て、面白かった。 生きて動いているオウム貝を初めて見た。

マンボウです。悟り切った表情が素晴らしい。

どぺどぺ めるど

なぜ tour de France ではドーピング騒動が起きたのか?

この「なぜ」というのが重要だ。理由が解ればこちらにも対処のしようがある。 それが解らぬうちは、いちいち「ショックだ」「またか」と苛立ちうろたえるだけだ。 だから、ひとつじっくり考えてみよう。

ドーピング騒動が起きたのは、ドープした奴が居るから。 たしかに、一見すると、おっしゃる通りだ。 だが選手は昔からドープしていた。 彼等は昔からそこに居て、 今もそこに居る、そして峠を登り、ゴール前で競る。 選手にできるのはそれだけだ。 つまり、ドープした選手が居るから騒動になった、 という説明は誤っている。 これでは、昔は今のようなドープ騒動が無かった事の説明がつかないからだ。

ここまで派手ではないが、他にも探せば似たケースがある事に気づくだろう。 たとえば、クルマにつかまったとか、バイクの後ろについたとか、 客に押されたとか。 昔はオッケーだったのに、今はダメだと言われる。

なぜか?

ルールの解釈が変わったからだ。 ルールとは書いてある事だけではなくて、解釈もセットだとすれば、 「ルールが変わった」と言ってもいい。

ルールを変えたら、これを周知徹底せねばならない。 さもなくば、控え目に言っても混乱を招く。 知られていない規則には規則の資格が無い。 知っていて破るから、罰則が意味を持つ。

この試合では残念ながら、 「昔みたいに他人のションベン持って来たりするのは、 通用しませんよ」というのが周知徹底されていなかった。 ところがこれは簡単ではない。 まず、そんな通達が存在する事自体がスキャンダルだ。 「なぜ」の所在の一つをこれで突き止めた事になる。 そしてこのような手詰りに陥った 組織的な問題が背景にあり、そこに残りの「なぜ」がある。 つまりこれは全て、レースを運営する側すなわち車連や主催者のマメジメントの問題なのだ。

だから、選手を何人槍玉にあげても問題は絶対に解決しない。 「ドーピングを根絶する」とか言ってる当の本人たちに原因がある以上、 全ての選手を24時間集中監視したって無駄なのだ。 その意味で、「他の競技でこんなに厳しくやってるものはありませんよ」 という栗村氏の話しは、それだけを見れば正しい。 実際、その通りであろう。 ただ、彼の意見にはマネジメントという視点が欠落しがちで、 そのためにこの問題に対する正しい指針を見出す事ができず、 「他は緩いのになんで自転車だけ」という愚痴になってしまっているのだが。

もうすこしドーピングから問題を広く見ると、様々なものがつながってくる。 レース主催者と車連が感情的に衝突する現状は、 お家騒動を起こした会社と同じだ。 少し前には、アワーレコードをめぐる騒動があり、 ボードマンの記録が消えたりした。 機材をめぐる変な規則もあった。 これらは全て、マネジメントの欠如を物語っている。 ドーピングでは、最初に騒動になってから9年経ってもこのざまだが、 それも当然の帰結といえるだろう。

つまり、次のように断言できる。 これからもドーピングスキャンダルなどの、 マネジメントの貧困に起因する問題は起きる。 起きて当り前であり、 無かったら、それは単に運が良かっただけだ。


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