結果をもらった。
べつにどこも悪くない。 腹の具合も血液検査でも、全く異常は発見されず。 好きなものを好きなだけ食うが、 それに見合うだけ暴れるという生活スタイルのおかげであろう。 血液の性能も普通だった。
ところで、一つ残念な事があった。 健康指数という点数評価があって、これが86点だったんだよ。ムカ! 俺様にそんなふざけた点数つけやがるとは、どういうつもりだ。
主な失点項目を見てると、 どうも、BMIの値がよくないのである。 なんでやねん、と考えてみるとどうやら 身長170cmに体重55.3kgは軽すぎるということらしい。
いいか、よくきけよ。 55.3kgだって、重すぎるんだよ。 俺の人生観にてらして言えば、 単に健康なだけじゃ生きてる意味なんて無いんだよ。 人間に許された最高の速度と持久力を獲得するか、 さもなくば死あるのみ、これが俺の生き様なのだよ。
なんちゃって。
最近、尻の肉の厚みが増大中である。 これが鳩なら猛禽に目をつけられ、 逃げ遅れて一巻の終り。 猛禽だったら食事できなくなって直ちに飢えるところだ。 まことに人間とは気楽でよきものなり。
アレルギー性鼻炎がひどくなった頃からだろうか、 天候と体調が同調するようになった。 天気が悪いと体調もまことに優れない。 無理して元気を出そうとすると、 多量の炭水化物、具体的に言えば単糖類であるが、などを摂取せねばならず、 これまた非常によくない。
ところで、天候が悪くなると体調まで悪くなる、 その原因は何であろうか?
ざっと検索して調べてみたところ、 「本当に天候が悪化すると体調も悪化するのかどうか」 みたいな調査が最近になって行われているところから見て、 どうやら原因の追求などは当分先のことになりそうな段取りである。 何か持病があると天候の影響が出るが、 そうではない人にはあまり判らないという事情があるようだ。 なるほどそれはそのとおりで、 わしも花粉症がひどくなるまでは、 天気が悪くなると体も悪くなるなんてありえない、 そんなの「失くした腕がやけに痛むぜ。こりゃひと荒れくるぜ」とか言う 引退した片腕片目片足の海賊だけだと思っていましたからね。 だが、そういう調査をする人に持病持ちが一人も居ないというのも ありぬはなしであり、 こんな自明な事をいちいち調べるというのもばかげてる。 医学生理学方面の方々は、もうちょっと気合い入れてくださいよ、 たのみますよ。
ちなみにアレルギー性鼻炎がひどいと、 天候に関係なく体調は悪くなる。 理由は簡単で、ハナから汁を多量にたらせば、 そのあたりの水分やらミネラルやらのバランスがおかしくなるのは自明であり、 そのハナは顔面の中心に存在しているために、 知能および認識に関係する各方面への影響は甚大にならざるをえないのである。 これが、鼻がヘソのあたりにあれば、 何かあるとしてもせいぜい腹を少々くだすくらいで済み、 ここまでの悪影響は決してあるまい、と憶測する次第だ。
もしくはクジラのように背中にあれば、泳ぐ時に息つぎも楽でいいね。 でも、それだと臭いの文化が発達する事はなかっただろうね。 重要なセンサは中枢と近いジオメトリのところにあるもんですから。
かつて 「来年最初のゼミまでに何か定理作って証明も付けて来い。 でないと、卒業させない。今日のゼミは以上。帰ってよし。」と言われて、 年末の八ヶ岳のテントの中でもノートと鉛筆持って、凍える手で修論書いてた時以来、 数学をまとめて勉強したように思うこの一ヵ月であった。
本当は、数学は知ってる奴に聞くのが一番良いのだが、 これがプログラミング以上に訊くのがおっかない奴が多い。 出来る奴にしょうもない事を訊いたら、ぶっ殺される。 その攻撃力は、もっとも恐ろしいといわれるハカー(RMSとか)ですらその比ではない。 可縮空間上の一点にホモトピー変形で間違いなく捻り潰されると思って良い。
たとえばこないだポアンカレ予想を証明したペレルマン。 彼の証明は本質的なところだけを詰めて、 そうでもないところは軽く流すスタイル。 それは彼ならでは、と言えるエレガントさにも繋がる配慮である。 だがしかし、「論文n本」で評価されるせちがらい憂き世の住人は、 そんな「証明のギャップ」を埋める記事を書いてしまう。 これは、「そんなところ、自明だからワザと書かなかった」 彼にとっては我慢がならない事で、 そんなしがらみが嫌で結局数学自体やめちゃったという彼だからこそできた証明ではあろう。 そして、そんな彼にしょうもない事を訊いたらどうなるか、なんて、 わしには到底思い及ばぬほどそれは恐ろしい事である。
そんな事するくらいなら、フルチンで氷壁登った方がマシだ。それくらい恐ろしい。
つまり、水準の高さとバカに厳しいのは比例するんだ。 偉い人は謙虚だなんて、ウソ。 そんなの朝日新聞が僻み風味をたっぷり効かせたでっちあげ。 もしくは、偉い人ならではの余った知能で実装された偽善エミュレータ(別名「良識シェル」)の 欺瞞を見抜けぬうつけ者のたわ言。
偉い人は、本当は恐い。 そして偉いほど恐ろしい。 これぞ真実。 バカが我慢できない彼等だからこそ、あそこまで偉くなったのである。
妻の両親と食事。
店は久々の Mars Lapin
大抵の店なら自分で作ったほうがおいしいし たくさん食べられるから うちはほとんど外食をしないのだが、 その数少ない例外がここだ。
これはとても私には作れない。 まず、食材の仕入れからして不可能である。 そして万一、食材があったとしても、 どうやって作ればいいのか、皆目見当もつかない。 また、必要な道具や設備も家にはない。
食器も、こんな良いものはうちには無いのである。
だから、これで4人で34K円ならかなり安い。 いや、安い高いという問題ではない。 そもそもうちでは無理なのですから。 そういうものにこちらが値段をどうこう言うのはおかしいでしょう。
食事が28Kにワインが6Kはちょっと格が釣り合わないか、と思ったが、 それはともかくとして、最後に頼んだチーズが勘定に載ってなかったように思うのだが、 どういうことだろうか。 あれはオマケか? オマケだなんて、おかしいよ。 だって、わざわざチーズは別に頼んだんだから。
今夜食べた、頬肉の煮込み。これこそ料理だ。
@奈良国。
大繁盛だった。
また、多いに自分の工作魂をゆすぶられた展覧会であった。 わしもああいうかっこいい箱を作ってみたい。
細工ものの箱の蓋の図案がヤツガシラだった。 「これ、ちゃんと実在する鳥のはずだが」と思ったのだが、図録の解説を見るまで解らなかった。 鳥見者としては不徳の致すところだ。 ヤツガシラ、見たこと無いのだけれど。
そういえば、ありがちな想像上の鳥(鳳凰とかkalavinka)以外は、 ちゃんと実在する鳥や動物が、その特徴をよく捉えて描かれているのも、 こういった古代の作品の面白さであり好ましさだ。 「何か知らんけど、とにかく鳥」 みたいなのが、よく現代の映像作品では見られるが、 古代の優れた作品では大抵、種類まで特定できる。 場合によっては生息する地域が限定されるような亜種まで判る。
ところで、「何か知らんけど、とにかく魚」みたいな描き方は、 私は嫌いだ。 特定の種類の生物は特定の環境に適応して生息しており、 それを個別に描く事は世界を適切に描く事にほかならない。 どういう場所で話が展開しているのか、 丁寧に考えていれば「何か知らんけど鳥」みたいな描き方にはならないものだ。
ちなみに鳳凰は想像上の鳥ではあるが、たぶんキジ目鳳凰科だ。 顔と脚が、雉だから。 想像上の存在を現実の存在を組み合わせて作る事でリアリティを出す、 というのはよくある造形上のテクニックでもある。 こういうテクニックで私がいつも思い出すのは、 ブリューゲルの「バベルの塔(ウィーンにある方)」である。 塔の上部がローマのコロッセオとゴシック教会の飛梁でできており、 これによって、架空の建築物の実在感を出すにあたって、比類無き成功を収めている。
鳳凰も、熱帯のジャングルのどこかに居る、 未だ見ぬキジ目の鳥という印象が無くもない。
ところで実在するものを組み合わせるといっても、 適当に実在のものを混ぜただけでは、 キメラとかヌエとか、いかにもでっちあげただけの うさんくさいものになってしまうわけで、 このあたりの匙加減はどこらへんに要点があるのだろうか?