最近御無沙汰だったこのコーナーだが。 つまり「とらぬヒグマの皮算用」であり英語では狸のところが熊なのである。 ヒグマじゃなくてクロクマかもしれんが、それではごろがよくない。 熊の皮の値打ちといっても想像つかないが、 寸法と凶暴さからいって、なんとなく一本とられた、負けた気分である。
そこで「とらぬミンクの皮算用」といってみた。 ちょっと景気がよくなった感じがした。
最近、 XEmacs をよくとばす。
XEmacs の問題ではなく、わしの使い方が荒いためで、 要するに、 irb で空間計算量が発散するような、 というとなんか難しそうだが、 メモリを喰い潰す事実上の無限ループになるコードを 実行してトバしたり、実行結果のサイズが入力サイズのexptだったり そんな感じ。 むしろやる前に気づけと。
XEmacsでは他に、チャットなどが動いているわけです。 プロセスが死ぬほどやってしまう事は少ないが、 反応できなくなって接続がよく切れることも頻繁なために 名前に尻尾が三つも四つも付く事も多い。
チャットとメールは別プロセスで実行すべきか? しかし一人で XEmacs を何個も動かすなぞ、 バチがありそうでできないでいる。
だいぶ風邪がよくなったが、まだ咳も出るので、職場でマスクをしている。 結局、丸4日も寝込んだわけだ。 どうなってるんだ。
しかしこのマスクというのが私の顔的には非常に具合が悪く、 というのはわしの顔はいわゆる空気抵抗が少なそうなデザインのために、 すき間が多くて全然意味が無いわけです。
さてマスクです。 こんな時はホゲりです。 机の上にあったパンの袋を縛るハリガネを、 マスクに仕込み、やや無理矢理ですが顔面に合う形にしてみました。 おお。 これならマスクの意味があるぞ。 喉がだいぶマシだ。
ルリビタキ(めす)が今朝も窓から見えた。 だが、撮影するまえに飛んで行った。
そのあとジョウビタキ(おす)が同じ枝に来た。
出勤途中にものすごい数のカラスが居た。 普通のカラス以外にミヤマガラスとかコクマルとか 居ないかな、と思ったがよくわからず。 上空を4-5羽のカラスが飛んでいるのでよく見ると、 ハイタカ属を追いかけている。
その後、その鷹はぐるっとたんぼの上をまわって、わしの頭上まで来た。 風切羽や尾羽が陽に透けて綺麗。
ウルシの実にやってきたメジロ。
ウルシの実なんて食べておいしいのかね。というこっちの心配をよそに、 喉が膨れるほど次々むしっては食べている。 この時期の野鳥は舌がこえていて、まずいものは食べないので、 きっとおいしいのでしょう。
窓から見える位置に柿の木があることにしばらく前に気づいた。
日当たりが悪くて、小さな実しかならない。 ヒヨドリが異様に大きい(柿に比べると鳩ほどあるように見える)のではなく、 柿が小さいのです。
近所でみつけた、鳩の巣。 ごらんのとおり、ヘビの大きな抜けガラがある。 わざわざここで脱皮したのか? それも変だが、そうではないとすれば、まさかこれが巣材なのか? いずれにせよ、かなり謎。
何か草の実を食べるエナガ
オオバン、ミコアイサ、オシドリ、カワセミ。
カワアイサは初見。アオサギ、カワウと一緒になって、 浅瀬で集団で魚を追い詰めるのが見られた。
ミサゴとオオタカはけっこう近く、翼や胴体の模様がよく見えた。
ミサゴが上空を通過すると、川で食事中だったカワウの群が 一斉に逃げ出した。 すなわちこの行動から推測すると、 ミサゴの主食は魚だが、 腹が減ったり隙をみたミサゴは、しばしばカワウを襲うのであろう。 このあたりでも猛禽がしばしば見られる季節になった。
猛禽の識別では飛び方が一番使えるかな? それぞれに独自の捕食のスタイルがあり、 それに見合った飛び方があり、 それに適した翼の形状と使い方がある。
大航海時代に世界の食材がイタリアの貿易国(ジェノヴァ ベネチア ナポリなど)に集まって来たからだ、という意見を どこかのブログで読んだ。
この理由は誤っている。
大航海時代にそうなっていたのはイタリアだけではない。 スペインやポルトガル、オランダ、そしてイギリスもそうだったはずだ。 だが、イタリア料理がこのなかでは圧倒的に豊かである。 そこを明らかにせぬかぎり、 イタリア料理がおいしい理由を述べた事にはなるまい。
しかも、上のように並べてみるとほぼその理由は明らかでもあろう。 同じ材料を持っても、できるものはかくも異なる。 すなわちこれは、民族が持つ美意識の違いに起因するのである。 イタリアのデザインが優れているのと全く同じ理由により、 イタリアの教会がカッコよく、 イタリアの絵画が素晴らしく、 イタリアの彫刻が感動的で、 イタリアの車がなまめかしいのと 全く同じ理由により、 イタリア料理はおいしいのである。
では、いかにしてイタリア人はかくも優れた美学を獲得するに至ったか。 これは、私にはよく解らない。 なんとなく「人は生まれながらにして知る事を欲する」ように、 これは生得のものなのではないか、という気もする。 生まれながらにしてセンスが良いという意味ではなく、 生まれながらにして美を求める、という意味だが。
コガモのグループが近所の干したため池で採食。 浅い溝状の箇所に水が残っていて、そこに入って食事。 頻繁に顔をあげて、警戒しながらであった。
なるほどそれも当然である。このあたりはこのように、オオタカが多い。 コガモは、よくオオタカに狙われるようだ。 カモ類は非常に飛ぶのが速く持久力も抜群だが、 オオタカの手口はその速度の差を無意味にしてしまう待ちぶせと奇襲なので、 これに対抗するには、常に群で行動して警戒を怠らないのが一番だからだ。
コガモはよく水に潜る。今日は潜って水浴びしていた。
オオタカは最初はよく模様も見えるほどの距離だったのだが、 天気が良くて、あっというまに帆翔して高度を稼いだ。
観察は用事ででかけるときに双眼鏡を首から下げているだけで、 特に鳥を見に行っているわけではない。平日だし。