序章 むげんとわたし (2008/02/09)


連載企画 むげんとわたし(序)

私がまだ、小学校にあがるまえのはなしだ。 多分、保育園か幼稚園でのできごとだったと思う。

当時、子供どうしの間に存在した序列の一つに、 「大きい数を知っている方が偉い」というものがあった。 「知っている」の定義は、その数値を指すとされる名前を発話できる、 という程度の意味で、 1から始めて(その年頃で0から数え始めるような子供の人生に lambdaの祝福がありますように!) その「大きな数」まで数えていける必要はない。 「きゅうじゅう きゅうまん きゅうせん きゅうひゃく きゅうじゅう きゅうおく…」 言えれば十分なのである。

「ひゃくせんまんおく」など様々な数値とされる名称がとびかうわけだが、 なんせ知っているのは数の名称だけで、 それがどれくらいの数値なのか、 あるいはどっちが大きいのか比較するにはどうすればよいのか、 知らぬ我々は、 「ひゃくせんまんおく」と「きゅうじゅう きゅうまん きゅうせん きゅうひゃく きゅうじゅう きゅうおく…」 のどちらが大きいか、 誰も決める事ができないわけだ。 いきおい、数値ではなく声がでかさの比較になったりしがちだが、 それではすぐ飽きる。

そのうち、ちょっと気が効く奴が、こんな事を言い出した。 「実は数には一番大きな数というものが存在し、 それがひゃくせんまんおくにほかならない」 というのである。 もしそうなら、「ひゃくせんまんおく」を押えられてしまったら、 もうおしまいである。

だがしかし、それは私の直観に反したので、 私は「ならば ひゃくせんまんおく ひゃく」はどうなるのか。 と言った。当時、私の知っていた一番大きな数は 100 だった。 また、当時から私は直観主義者だったので、 構成手続きの与えられないものの実在性を 認めなかったのだ(嘘です)。 ここで 100 ではなく 1 加算する、としていればもっとかっこよかったのだが、 残念ながらこのあたりが私の限界である。

すると彼は、「そんな数は存在しない」というのである。 彼によると、 ひゃくせんまんおくに、100を加える事は、もう不可能なのであるか、 もしくはその数自体が存在せぬか、いずれの事情によるものかは判らぬが、 とにかくそのような数は存在しないのである。

私は当時から口先や計算よりも手が早かったので、 最大の自然数が存在するという彼をぶん殴り、 彼は鼻血を出して泣いた。 やれやれ、だ。 曲がりなりにも数理科学でメシをくってる人物の過去とはとても思えませんね。 論理では結論が出ぬ場合、世の中、大抵こうなるという見本ではあろう。 すなわちこれは 彼の鼻血の贖罪を今になって果たそうという企画である。

長くなりそうなので、連載である。

おんなかいぞく

伝説やものがたりでは、たまに登場する女性の海賊ですが、 実在した、と聞くと少し意外な気がしませんか?

実在の女海賊は、凄かったらしい。 剣をとっても銃をとっても、男に一歩もひけをとらず、 勇敢にして獰猛無比。 船が軍艦に襲撃されたときも、先頭に立って戦い、かつ、最後まで諦めなかった。 だから、捕まって始めて女性だと判ったときは、 捕まった海賊仲間も捕まえた軍隊もびっくり仰天した。

裁判になって、いろいろな事情があったり無かったりして、 情状酌量の余地があるかも、という状況になったとき、 裁判長が彼女に助命を希望するかどうか尋ねた。 すると彼女はこう答えたという。

「是非死刑にしてもらいたい。これは絶対に必要な事である。 海賊の一生は戦って死ぬか、死刑のどちらかで終るものと決まっているのだ。 もし、海賊が捕まっても死刑にならない、ということがあれば、 陸(これは「おか」と訓むように) の臆病者のちんぴらが大挙して海に押し寄せて来るだろう。 もしそんな事になったら、本物の勇敢な漢たちの商売はあがったりで、 彼等は飢えてしまう。 言うまでもなく、決してそんな事があってはならない!」

この弁論により、裁判長は死刑の判決を下さざるを得なかった。 しかし、彼女の死刑が執行されたという記録は残っていないという。

多機能、使いこなし

いろんなものがプログラマブルになった昨今は、 機能をいっぱい詰め込んだために、 かえって何が何だか判らず使いこなせないという話を良く聞く。 マーケティングがヘボいせいで、 総花的になんでもかんでも盛り込んでしまう、 という話もよく聞く。 そういうのって、作る方も使う方も大変な割りに、 便利でもなければ面白くもない。

そこで、そういった風潮に逆行する、 馬鹿的マーケティングをここで試みてみたい。 ジャンルはポータブルセルラーフォンである。

鳥見さんぽ

ルリビタキ(おす)をみかけたが、残念ながら撮影に失敗。

閉鎖されたつりぼりで休むコガモたち

その隣の池に居たゴイサギ

うちの近所のジョウビタキ。まんまる。

メジロがつかまって食事をした跡が残る花。 メジロは足の力が強く、このようにガッシリと花を掴んで食事をすると、 花びらにはっきり跡が残るのである。 このため、一部園芸家の方々はメジロを憎悪してやまぬときく。

この花はうちのアパートの一階に咲いている。 この時期になっても花がたくさんあるので、 メジロはうちのミカンなんか完璧無視である。

対面販売の専門精肉店でもらってきた、うまい牛脂を食堂に置いたら、 速攻でシジュウカラ殺到。 なんともはや、グルメですこと。


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