奈良盆地を自転車でぐるぐる。
山間のたんぼで、キジのオスをみかけた。 こっちに気づいて走って逃げた。 キジってものすげぇ走るの速いのね。 途中で止まって、こっちを見てからゆっくり薮の中に消えていった。 無駄足は一切使わないということか。
ケリの雛をみかけた。親が「ケリッケリッケリッ」と 怒っていたので早々に通りすぎた。 ケリは顔が恐いんじゃ。顔だけだったらハヤブサより恐いわな。
科学において一番グっと来る瞬間は何かというと、 いままで科学ではなかったものが科学になる瞬間である。
その敷居の高さについてはいうまでもないだろう。 単に「間違っていない」というだけでは、 科学の王国に入る事はできない。 「間違っていない」事と「正しい」事の間には 無限の隔たりがあり、 なおかつ、単に「正しい」というだけでは 科学として認められることはまずないのである。
今までは科学の対象となりえなかったものが、 厳しい関門を乗り越えて 新たに、科学の対象となる過程こそが科学の真髄である。
この構造はエロと全く同じである。 すなわち脱がす瞬間が最もグっとくる。 最初から素っ裸では、まぁそれでも中学生とかはグっとくるのでしょうが、 ダメであり、それは萎えである。 しかも、その敷居が高い程に萌えである。 ミニスカのパンチラに熱くなっているうちは厨房であり、 真実は膝丈のスカートに存在する。 こちらは同じ破壊力が膝上まで裾がめくれただけで出せるのだ。 更にその上までめくれた状態など、 格調高いこの落書では到底扱えない領域である事は言うまでもない。
この、状態の遷移こそがエロ的本質であり、 同様に科学における真実の瞬間でもある。
ならばエロにおけるフェチは科学において いかなる位置を占めておるのか、 という点が直ちにキビシク問われてくることになるわけだが、 これはエロと科学を探求してやまぬ我が同志である皆様のために、 余興として残しておくのである。
サングラスといえばメガネの一種でして、 メガネといえばツルのところが折れ曲がるものと相場が決まっているわけです。
ところで私が使っているこの製品は折れ曲がらないんですよ。 ビョエーンと突き出したまんま。そのまんま。 わし、もう一歩も退かんけんね、的に メガネだけで空でも飛びそうな形したまんまです。 最初、これをカタログで見掛けた時は笑ったよ。 これ考えた奴はアホだろ、とすら思いましたよ。
そこで初めは折り畳める奴を買いました。
しばらくして、結局、折り畳めないこいつを買い直しました。
この、折り畳めない奴は、頭の後ろをより強固につかまえてくれるため、 ズレても顔をしかめるだけで元の位置に戻るのである。 しかも頑丈である。 単なるプラスチックの棒だから当り前だ。 今使っているのは2003年の冬に新調したやつで 何度か落車したり氷を食らったりしてキズだらけだが 5年に渡って当初の形状及び精度を保っている。 また、ツルが折れないのでヘルメットや帽子などをかぶったまま 片手で容易に着脱できる。実に素晴らしい。
この「折り畳めない奴作ろうぜ」って言った奴は、 本当に凄いと思うよ。 アメリカ人がマジメに作ったもので、私が持っている数少ない製品である。
Aktuelle Bologna 泉大津では既に飛んだ。
Rochester のKodak は今年はなんと5羽もうまれた。
Derby は4羽だが 3+1 という感じで、4日遅れで生まれたやつが あまり栄養状態が良くない印象もある。 単に4日分、成長が遅いだけだろうが。 しかしこういう事があるから心臓に悪いよな。 ともあれ、この4羽めがどんなに優秀な個体だったとしても、 食事が少ないと餓死する運命である。
こうやって遺伝子を洗練させてきたのが、ハヤブサという生き物。 その厳しさは比較になりませんが、 ちょっと最近の世の中っぽい生きざまですね。
近所とは言えないが徒歩5分ほどのところに郵便局がある。 郵便局では、ごぞんじ「ゆうぱっく」をやっている。 そこで、先日、富士山でスキーするための機材を送ろうと思った。
係のおばさんたちが、いろいろと調べてくれる。 所詮、荷物を運んでいるのは日本通運であり、 その事業内容も郵政側が定めた物ではなく丸投げである。 だから、いちいち書類を調べないと判らないのである。 窓口に問い合わせようにも、 (運転手は24時まで働いているが)窓口だけは17時で終りなのである。 そこで判った事は、「送り先がスキー場にあるホテル」じゃなきゃダメだって事だった。
そのまま解釈すると、 スキー場からの帰りにはこのサービスが利用できないことになり、 普通に考えて不都合なことで話が通らないし、 たったそれだけの事が判るまでに10分ほどを要したのにもげんなりしたが、 根っからの役人である彼等にそんな事を言っても始まらない。 そのまま荷物を自宅まで持ち帰り、 ヤマト運輸に電話して荷物を取りに来てもらった。
X-60の修理を依頼したら見積りが自宅に届いた。 値段は、まぁ、落してディスプレイを壊したので新品を買える程ではないが、 かなり高い。
ところで見積りだけを見て発注する奴は居ないわけです。 普通は、発注まえに納期を確認します。 すると、「部品がいつ来るかわからないから、判らない」 と、御ぬかしやがりになるわけです。 とにかく「判らぬ言えぬ」の一点張り。 だが納期も判らないものを頼むわけにはいかない。
ここで「おーそうかい。もう来ネーよ」 とかいってキレても何の解決にもならないわけで、 ぐっと粘って納期を聞き出そうとしました。 その結果、普通はだいたい2週間という答えを引き出す事ができました。 ほなら初めからそない言えよクソが! とマジで頭に来ましたが、 「そういうときは、『約束はできないが目安としてこれくらい』 って答えると良いと思いますがどうですか?」と教えてさし上げた。
このように、何のために人間(天然知能)を配しているのか判らない、 という場面に最近ときおり遭遇する。 相手の全うな天然知能としての動作を引き出すために、こちら側にテクニックと 心理的なポテンシャルが必要なのであり、しかも、 それは必ずしも成功するとは限らない。
信頼が社会のコストを劇的に低減する。
せめて近所でやるTour of Japan 奈良ステージのスタートだけでも見に行こうと思ったが、 クソ眠くて起きられず。
Dylan Casey 氏は現在 google 勤務だそうだが、 かつて USポスタルでランスのチームメイトとしてグランツールを走った仲だそうだ。 んんんなんという勝ち組み(←誤用)!! これより上というと、あとは、 ツールで総合優勝してフィールズ賞とかそういう感じでしょうか。