すずめ観察日記 (2008/06/08)


しけんにでない

すずめ 2008/06/07

だいぶ育っているらしい。声がよく聞こえるようになった。

父ちゃんが蝿をつかまえて持って来たところ。直接に家には入らず、必ず一旦ここにとまり、周囲の安全を確認してから入る。

父ちゃんが俺様謹製の鳥住宅から顔をだしたところ。 恥ずかしながら蝶番の打ち損ねが露呈していますな。

右足の指の爪が欠損しているのが判ると思う。 いまのところ、これでこの個体を識別している。

レースのカーテンを隠れ蓑にして撮影した。 レースのカーテンの中に居れば窓が開いてて 怪しい望遠鏡や三脚が出ていてもあまり気にしないようだ。 至近距離なのでピントには苦労したが、 撮影は原則的に楽勝だった。 なんせ自宅だから。

近所のいつも世話になっている米屋「すずめ」にこの話しをしたら、 すずめの食事にということで割れ米をくれた。

2008/06/07

梅田に買物に行った。

買物といっても買ったのは本だけだが。

確率論の教科書2冊も買ってどうすんだおれは。

ある程度経験があれば、 こっちの方が伊藤さんのよりも読みやすいかもしれない。 しかしこういうのは、読みやすさはあんまり関係無いよな。 だって、どう書いても、書いてある内容が難しいからな。 ランダムなビット列は圧縮できないのと 似たような話しで、 本当に難しいものは、簡単に説明できないって事さ。 むしろ余計な事をしないでそのまま書いてくれた方が、 読む方も覚悟が決ってありがたいのではないだろうか。

だから最近の「萌える微積」みたいな風潮を、私は実は良く思っていない。

「もの思う鳥たち」は非常に面白く愉快な本だ。 この本は科学の本ではない。 天才の科学が無いのと同じ理由で、喋る鳥の科学は存在しない。 科学は個物を対象としないのだ。 また、この本が更新を迫っているのはキリスト教的な人間中心の世界観であり、 科学的法則や事実ではない。

だがしかし、それはこの本が誤りであったり、 くだらない、ということを意味しない。

思うに、野鳥観察は種としての鳥を相手にしている分には、 それなりに面白くはあるが、趣味としては必ずしも深みと広がりを持っているとは言えない、 というのは私なりに控え目に言ってみたまでのことで、 実際にははっきり言って下らないと思っている。 登山方面には、百名山コレクターというのが居るが、 それと同じだ。 100個登っちゃったらどうすんの? 地上の鳥、全種類見ちゃったらどうすんの?

個体の違いを識別し、同じ個体が様々な状況でいろんな行動をとるのを観察する方が、 ずっと面白いし、 更にその個体が人間と生産的な関係性を結ぶ事ができれば、 それに優る豊かな経験は無いだろう。

私がみかんを取り換えているその横で、メジロの夫妻が小さな声で 何か話しをしていた。 私が10mほど立ち去ったらすぐに彼等はみかんにやって来た。 これで私は確信したのだが、 そんな状況証拠をいちいち集めなくても、 彼等の話題の少なくとも一部が私に関するものだという事くらい、 あの状況に置かれれば誰でも判る。 そんな事も判らないニブい奴は一生腹筋してればいい。

2008/06/08

みやけくんと自転車で峠を越えてハヤブサを見に行った。

前回、見に行った時は私の方がちょっとだけ峠で速かったが、 今回は彼の方が断然速かった。完敗である。 反省した。

4/11 に見に行った時はまだ卵だったはずで、 同じ時期に繁殖していた泉大津が、巣の周りで大騒動になっているので、 きっとそういうのが見られるだろうと思ったのだが。 ところがハヤブサは巣立って、もぬけのカラだった。 親も子もどこにも見当たらない。 午前中は親が多少うろうろしていたらしいが、 昼頃出払って、それっきりだそうだ。 まさに野鳥の勝手状態。 ガックシ。

オオルリ、セッカ、オオヨシキリ、ウグイス、センダイムシクイ、ヒバリ、ケリ、アオサギ、ホオジロ


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