キョーツケ!敬礼!!(2008/08/30)


2008/08/24

昨日は一日じゅう雨だったが、仕事した。 雨でもスズメは元気にやってきた。

web日記をみていると案外オリンピックを見てる人って居るもんなんですね。 当家としてのオリンピックとの関わりは唯一、NHKの集金のオジサンが来た事である。 「こいつら、払わずに見やがって。現場を押えてやるぞ」くらいの勘定だろうか。 以前、品川に住んでいた頃に、サッカー世界選手権の時にも来た。 「アンテナ繋いだら呼ぶから来てくれるか?」って言ったら さっさと帰ったけどな。

そういえば、古代ギリシアの元祖オリンピックの他によく 「なんとかオリンピック」とかいって その子孫がそこそこ繁栄しているオリンピック一族ですが、 日本には他に「なんとか甲子園」というのがありますね。

この場合、私としてはどっちかというと「〜甲子園」の方がガチンコぽくて、 「〜オリンピック」はおチャラけぽい印象があるのですが、 皆様におかれましてはいかがでしょうか、 ってどうでもエエわ、そんな事。

料理の腕前

もうぶっちゃけ言って、まずは食材ですよ。 何を仕入れるかで決まる。これがほとんどですよ。 うまいものを仕入れてもうまくいくとは限らないが、 アカンものを仕入れたら、どうしょうもありませんな。

次は包丁がどれくらい切れるかで、決まりますね。

ということで、妻がパンを焼く時に使う、 切れ目を入れる刃物(小包丁)を改造した。 刃先の厚みを砥石で削いで薄くしたのである。

これがよく切れないと、もう、全然お話にならない。 テクニックとか段取りとか、どうこう言っても無駄で、 ナマクラでは絶対うまくいかない。 改造の結果は上々だったようだ。

刃物の性能上もっとも重要な要素は、やはり用途に合わせた刃角の幾何学である。

パンの切れ目以上にシビアなのが魚で、 魚料理なんて、マジ包丁の切れ味次第です。

あと、肉ですが、うちではベーコンはブロックで買うわけです。 スライスは味がすぐ落ちるんで。 これをうまくスライスするのはちょっとした技術もなんですが、 やっぱり刃物の切れ味次第でして、 この時活躍するのが斬鉄君です。 こいつでスライスすると、市販の「薄切」なんてメじゃないです。

ところで、これくらい思い通りに切れると、なんかこう、 切ってる時にゾクゾクと変な気分になってくるんですよ。 ヤバイ気分です。 何ですかね、これは。

2008/08/25

ばった

アレですわ。眠みを解消するのは、俺の場合、 カフェインというよりむしろ血糖。 血糖値が上昇するとハイになる。 愉快な気分になり、 あらゆる見通しが楽観的になり、 世界とその構造に意味が与えられ、 人生における救済と弁明は自明のものとなり、 空気は爽やかに、空は晴れ渡り、月は東に陽は西に。

カフェインが入っても血糖が減ると、かえって非常に眠みが深まる。 しかもやばい感じに気絶する。

以前から読みたかったのだが、 近所の図書館にあったのでスカンクワークスの本をかりて来た。 スカンクワークスの2代目所長が書いたという本で、 表紙がポリゴン戦闘機のアレである。

訳はけっこうおかしいところもあったが、 そんな細かい話はおいといて、この本は面白かった。

なんといっても、SR71の開発のくだりがやっぱりその白眉か。 あれがもう飛ばないというのはなんとも悲しい事であり、 引退飛行の場面では、ガラにもなくグっときた。

あと、とんでもねぇ根性第一主義も良い。 「できません。無理です」というと、 プロジェクトを侮辱した事になる、とかさ。 むちゃくちゃだよ。まぁでもこういうのは難しいよな。同じ事をやっても 「大本営発表。本日帝国海軍は…」になる場合もあるわけで。

べつに難しくはないか。 それでなければうまくいかない事というのはあるが、そうやったからといってうまくいくとは限らない、 というだけの事か。

そういえばノイマンもフェルミもファインマンも癌で死んだんだったな。 昔の人はえらかったよ。命がけだからな。

2008/08/29

だいぶ生えて来た。そろそろ植えてやんないとな。

仕事で東京に来た。

久々の母校である。母校でのグワッカイ発表である。

母校、すげぇ様変り。様変りしすぎ。本館に教務課無くなってるし。

恩師にバッタリと会った。

キョーツケ!敬礼!!小島先生っお久しぶりですっ、サー!!!

ぐわっかい発表は好評のうちに、無事終了した。

長年、東工大に居たので出身研究室といってもたくさんあるわけでして(笑)、 もう一つの出身研究室にも顔をだしてみた。 そっちでも俺は、「冬山にアリストテレスの形而上学を持って行く奴」として 伝説の先輩となっているらしく、 それなりに旧交をあたためたりして。

そういえば、俺が「数学」という意味と他の人が「数学」という意味はかなり違うという事に 今日気づいた。

俺が数学的というのは、こういう意味だ。

こういうアプローチをとるものはたとえ、一行も計算しなくても数学的である。 そして、そうでないものは、たとえどんなに高度な内容をもっていようとも、数学的とは言わない。


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