一般に前提知識とか暗黙知などと言われますが、 言語による明示的な意志疎通の対象になりにくい情報があります。 たとえば「なにをやるのか」という情報は共有しやすいわけですが 「なにをやりたいのか」という情報は意志疎通の対象になりにくかったりするアレです。
違う分野の人々が共同作業をやる上で、この、暗黙知の共有が非常に重要になるわけですが、 暗黙知に含まれる非常に重要な情報であり、かつ、共有の難しいものに 「知らない事は何か」というものがあります。 知っている事、判っている事については、明示的なものであれ暗示的な情報であれ、 まだしも共有可能ですが、何が判らないのか、という話しの共有は非常に難しく、 なおかつ、非常に重要なのだそうです。
というような事を、Princeton の Piet Hut 先生が仰っていました。
では、その難しい目標を達成しうまく共有するにはどうすればいいのかというと、 宴会が良いのだそうです。 こういう事を言うと単に宴会がやりたいだけちゃうんか、という疑惑がもち上がりがちですが、 彼が言うと宴会の重要性も非常な説得力をもってきます。
論文を読んでいるだけでは、なかなか実力がつかず、 それなりの師匠について修行せねばならない本当の理由は、 この暗黙知の修得こそが重要だからなのです。 数学でいえば、論文に書いてある定理の証明に、 最初からその形で挑むなんていう都合の良い場合ばっかりではなくて、 むしろ、何を証明すればいいのか見分けるとこが研究上の本質です。 あたりまえですが、そんな事は論文には書きません。 そういう情報は建築で言えば足場や型枠であり、ひとさまにお見せするものではない。
最終成果物のやりとりは、 いわば前提知識を共有できるプロどおしの間のやりとりに 最適化されたコミュニケーションといえるでしょう。 意地悪く見れば、このコミュニケーションスタイルは 成果物から足場を逆アセンブルできるかどうかを試す、 フィルターでもあります。 職人どうしの間にありがちなやりとりですね。
だから、科学者たちが全員死滅してしまい成果物の論文だけが残ったとしたら、 おそらく科学は死滅するでしょう。 知の限界を拡大するための tacit knowledge が失われてしまうからです。 お。最後は何が言いたいのかよく解らん結論になったな。さすがラクガキ。
普通は、職種は同じだけど組織を移る場合が多いわけです。
おそらく、同じ会社であっても職種を替える方が同じ職種で別の組織に移動するよりも大変です。 だからこそ、技術者を営業に配置転換する、なんていうイヤガラセが成立するわけでして。 そういえば営業を技術に配置転換するイヤガラセって無いのかね。
そういえば私も望まずして何度か転職していますが、 その都度職種も変更しています。 これって普通に言うと人生設計を間違えてる、って事なんですけどね。 まぁ、私の場合はあらゆる思った時には終ってますから、 設計なんて言葉は使う必要がねぇんですが。
妻の実家からぎんなんが送られてきたので、 小腹がすいたときに火鉢で焼いて食っている。
なんとなくいっぱい食べるとヤバそうな雰囲気はありますね、ぎんなん。 いっぱい食べると鼻血が出るとかなんとかいう話しも聞いたことがあります。 こんなときはすぐ、教えてぐぐーるさん!
ぎんなんの成分の一つに、ビタミンB6とよくにた構造の物質があり、 これが体のビタミンB6処理機構に間違って取り込まれると、 ビタミンB6関係の機能がおかしくなって中毒症状が出るのだそうだ。
つまり仕組みはこういう事だ。 まず、椅子の数は一定だ。 そこに正しいお客と偽の客が殺到する。 正しい客に対して偽の客が多い場合、椅子の大部分は偽の客で占拠されてしまい、 その結果、中毒症状が出る、というわけだ。
この仕組みから導かれる対策はしたがって、以下の通りである。 問題になるのは常に、正しい客と偽客の人数の比である。 だから、やってきた偽客に対して十分多い数の正しい客が居れば問題は発生しない。 この場合であれば、正しいビタミンを十分量摂取すればよいことになる。 このように有限のリソースを取り合うことで、互いに反応を邪魔しあう現象を 生化学では競合阻害という。
摂取のタイミングは競合物質によって異なる。 もしお邪魔物質が、一旦結合したらちょっとやそっとで離れない、 という場合はあとから競合物質を投入しても何にもならない。
おお。なんという役に立つラクガキ。
久々に、西大寺の de Bois でケーキ食った。 私はいつもの卵型。妻はグランプリ。
そのあと、近鉄百貨店に行った。 いいね、百貨店。 断然良いよ。 普段、店といっては駅前のスーパーしか行かないもんだから、 百貨店に並んでるものがものすごく素晴らしく見えて、 なんかいっぱい買っちゃったよ。
本日の最大の収穫は、火鉢に載せるヤカンを買った事である。 いままでは土瓶を載せていたのだが、火鉢は御承知の通り火力が非常に弱い。 そして土瓶は熱効率があまり良くない。 だから土瓶で湯を涌かそうとすると、これ、ちょっとヤバくないか? というくらいの炭火にしないといけないのだ。 やっぱり加熱に使う容器は金属素材じゃないと辛いでしょう。
ここは普通に考えると鉄瓶になると思います。 だけど、いまどき実際に火鉢に鉄瓶載せたのが普通の家にあったら、 それはそれでかなりアレな感じです。 火鉢に鉄瓶が載ってても、まぁ床があって建て具が障子ならおかしくないけど、 そうなったらなったで、こんどは正座で、 おちおち床に寝そべることも出来ませんがな。
そこで、なんか戦前ぽい形のステンレスのやかんを買って来た。戦前にステンレスのやかんがあったかどうかは知らんけど。 無論日本製だ。新潟の青芳製作所の製品らしい。 形が古くさいので火鉢にぴったりだ。