こんなかんじ。右にヒヨドリさんが来たので、 一部は飛び立つが、大部分は居残っている。
鳥は好奇心が強く、学習も早く、遊ぶのが好きなので、 最初は恐がって逃げるが、数日でそれを面白がって遊ぶようになる。 たとえば、猛禽が来たら一旦全員が逃げるが、 そのあと少しずつ小鳥が戻って来て様子を見ながら同じ枝に止まったりする。 で、ちょっと猛禽が動くと、また全員がぴゃーっと逃げる。
ホームズのシリーズもあと一話を残すのみである。
主演の Jeremy Brett 氏は、 最後の数話は明らかに具合が悪そうで、 なんというか、 ちょっと見るのが辛いね。
アフリカウシガエルのオヤジはオタマジャクシの住む水溜りが小さくなって来ると、 大きな水溜りまで溝を掘るらしい。
泣けるぜ。
ホームズ全部見終った。 おかげで2ヵ月間、レンタルビデオ屋に一回も世話にならずに済んだよ。
しばらくアレがナニでした。スマソ
いまだ予断をゆるさぬ状況ですが。
ベランダの向かいの林に並んで、 羽づくろいしながらチャンスを伺う常連のスズメたち
製造プロセス開始。
とりあえず設計が終ったので、鋼を発注した。 それから、モックアップモデルっていうのか? 刃をプラスチック板で、画を杉板で実物大の模型を作ってみた。
第三斬鉄君は、全長220mm となり、現行よりも20mm弱長くなる。 主な変更点は柄で、15mm長くなる。
なぜ私は自分を理系と思っていないのか
それは、いわゆる理系ぽい真理 すなわち科学的とされる真理以外にも正しくかつ重要な事がたくさんある、 という事実を肯定的にとらえているからです。
たとえば、いちいち測定したり証明したりしなくても、 それが成り立つ事がただ判る、という事はあります。 ばかでかい迷路の正解が見ただけで判るとか、 どういう画を描けば画が動いて見えるのか判っていたり。 それは科学として共有されないものだけれど、 そういう事は実際にあるわけです。 ラマヌジャンとか。 それから、測定したり証明したりしない方が良い事もある、 という事を私は知っています。
私は測定や証明に関する専門的な訓練を十分に受けているので、 それらの技術を必要に応じて使う事はできます。 ですが、測定や証明の枠組からはみ出すものが常に存在するのだ、 という事実を肯定的に評価する事は 科学の徒として許されない事のように思えるので、 私は自分を理系だとは思わないのです。 つまり、正当な科学の徒にとっては、この事実は 肯定的な価値を持つものではなく、せいぜい中立か、 克服すべきものとして見えるのではないでしょうか。
ヤマにGPSを持って行かないのも、 自転車にメーターを付けないのも、 これが理由です。 測らなくても判る事や、 測ったら面白くない事というのが世の中にはあるんです。
レースでは「ゴールまであと何キロか」が重要なので そういうメーターは自転車に付いていますが、 私は心拍計その他の計器を使う事はありません。 そういえば引き算とか割算は脳へいく酸素が減って来ると厳しいね。 特に群馬CSC、一周6キロってやめてくんねーかな。 6で割算は難しすぎるよ。 修善寺はその点、5キロだから脳に優しいやな。