精密なもの、というと 普通に考えると取扱注意である。
だから精密なものはドツくと壊れるように思われる。
しかし、じつはそんなことはないのである。 それよりもむしろ、精密だからこそドツいても壊れない、という事が ままあるのだ。
もし、部品の隙間が大きかった場合、 ドツくとそこで部品が動いてしまう。 動くと部品どうしがぶつかる。 ぶつかると、変形する。 変形すると余計隙間が増える。 隙間から砂や水が入って錆びたり摩耗したりもする。 すると、余計にぶつかるようになる、 というポジティブ フィードバック状態となり、 あっという間に壊れてしまうのである。
これがもし、十分に精密に作られていた場合、 部品どうしが動くということはなく、 したがって、こんな原因で壊れたりはしないのである。
他にもある。
精密に加工された構造部品は、各部分にかかる力をよく考えて、 一箇所に力が集中することを避け、負担が均等になるよう 考えられた形状になっている。 たとえば生物の骨なんかは、中央部分が細く、 力がかかる両端は太く緻密な組織になっており、 かつ、その形状も滑らかで洗練されている。 まぁ骨格は加工されたものではありませんがね。 これをさぼってテキトーでええかげんな形のまま放置していると、 不要な重さを背負って性能が悪化するばかりか、 特定の箇所に力が集中して、破壊や変形が起きるのである。
だから、頑健であるためには精密でなくてはならないのだ。 無論、精密だから頑健ということにはならない。 しかし、ええかげんな作りのものはすぐ壊れるのである。
半端な理系モンがよく、「その確率は低い」なんて言いますが、 確率なんてそんな簡単に使っていい言葉じゃないんですよ。 なんせ確率測度が定義されて初めて確率ですから。
とか言い出すと、また面倒な「そもそも」みたいな話しが延々と 続くんだろ、トバして次の話しでも見るか、 と思った人は甘いね。 この話しはこれでおしまいさ。
今週は疲れた。
なんで俺はこんな事やってんだ、って気になって来たので、 これは危険な兆候である。
魂が折れるとかね、心が折れてどうこう、ってのは かくいう私もしばしば経験するところで、 しばしばどころか、 根性無しの私はちょっと難しそうな事はすぐに嫌気がさして 速攻で放り出してしまうわけですが、 今日はそれとはちょっと違う感じがあります。
つまり、嫌な事、面倒な事は放り出すのが俺ですが、 それはとりかかるまでの話しで、 一旦開始したら決着がつくまで2週間ブっ続けで とか別に普通なんですが、今日はその集中力に 初めてかげりが差した日でした。 もう俺はダメかもわからんね。
案外、肉いっぱい食ったら簡単に復活したりしそうな気もするが。
なんか出てる人達というのが居ますね。
代表的なのはヲタクのひとたちですね。 なんか出てるから、そうだってすぐ判ります。
あれは何なんですかね。 よく「オーラ」とかいいますけど。 実際、何か物質もしくは波動が出てるわけじゃないですよね。 すっぱいシャツとかは別にして、ですけど。
ヲタクの人が出してるのは、まぁそんなでもないっていうか、 人畜無害なかんじですが、もっとこうアレなものを出してる人も居ませんか? ほら、たとえば「馬鹿はシメ」る系の殺気に満ちあふれたやつ。 わしの周囲にはけっこう居ますよ、そういう人。 こわいですよね。 授業やゼミになると、普段はじんわり浸み出してたはずのその波動が、 突如として部屋全体を満たすんですね、 その瞬間はチビります。 特に自分が発表の順番にあたってたりすると。半泣きです。 今思い出してもチビりそうです。
あと、それとは微妙に違うんですが、 別の何かを出している人が居ます。 アルパインクライマーです。 アレは何なんですかね。 これもまた妙な波動なんですが。
昨日、夕方ででおが来た。 ででおは庭の水皿の横で、しばらく寝ていた。
今朝はでで子が来た。
雛は順調に育っているのだろうか。
うちの近所に標高差40mの坂がある。昨日は子供を抱いて、 その坂を5往復した。けっこう腰がだるい。
我々が一ノ倉沢滝沢第三スラブを登った時、先行のパーティーがあって、 滝沢下部で私が難渋していた時に上からありがたいアドバイスをもらって 窮地を脱したりしたわけですが、 そのパーティーの登攀記を発見しました。
いやー、なんか他人とは思えませんね。 とかいって、勝手に親近感おぼえてますけど。
なんでそんな話しになったかというと、 夢枕ばく、谷口ジローの「神々の山嶺」の1巻だけ買って来たんだよ、今日。 なんで一巻だけかというと、それに、三スラが出て来るからなんだけど。 劇中では「鬼スラ」と呼ばれていて、 原作では三スラの隣にあって、三スラより厳しい、という設定だったと思う。 漫画では第三スラブの別名なのか、別ルートなのかいまひとつはっきりしない。 なお、現実の谷川岳では、 三スラの左隣にもたしかにもう一本、ルートがないこともない(登攀記録もある)。
第三スラブ、冬期初登攀は1967年2月25-27日の2泊3日。 なんとその後7年間も、冬期の続登者は現れませんでした。 初登時のエピソードとともに、このルートを彩る伝説の一つです。