良い具合の確率論の本 (2009/10/31)


確率論

確率論というのは、非常に面白い分野だと思う。

わしにとっては、 確率論は、数学でも物理でもない。確率は確率である。

ところで、確率の本だ。 確率の本を本屋に探しに行った人には判ってもらえると思うが、 いろんな本が出ているにもかかわらず、これが2種類しかないんだ。 それは、

この2種類である。

「出来る」系ってのは、つまり、統計処理ソフトとかエクセルで、 とにかく欲しい数値さえ出て来たらそれでエエがな、という系のあれです。 つまり、そういう系はその数値の意味とか知らんがな。 定理はじゃなくて公式だけ書いとけよ、 証明は要らんがな、どうせ成り立つんじゃろ?的なアプローチ。

ストロングスタイルってのは、 民間人が読んだら3ページもたずに気絶する系のやつ。 確率でいうと、完全加法族とかルベグ積分から始まるスタイル。

何が言いたいのかというと、 要するに、いくらなんでもちょっと極端じゃねぇの。 普通のは無いのかよ。ってことです。

まさにこのニッチを埋める書籍が、 中野さんに紹介されたこれ→ 伏見正則「確率と確率過程」朝倉書店

数学のストロングスタイルの書籍というのは、 その分野の完全な理解と実践を得るためのものであり、 究極的には、読者に対してその分野の発展に寄与する事を期待しているわけです。 でも、普通は確率論の結果を、その限界を踏まえてきちんと理解したいとは思うが、 その発展に寄与したいとまでは思わないわけです。

リアルに確率統計を使えるようになりたい、 たとえば何でもかんでも正規分布なわけないだろ、 それから中心極限定理を誤って使う事だけは避けたい、 だが 数学者にまでなる気はない、という大多数の人向けにぴったりな良書。

というか俺はむかし、確率とか嫌いで単位もとらなかったので、 今になってやりなおしてるわけですよ。 e**x の微分が何だったかすら完璧忘れてますよ。 どこまで忘れてるんだ。おそるべし。

というか、俺、要するにあれなんだ。具体的な何かの関数を、 関数列の極限として表現する、というワザが、基本的に使えないんだよ。 テイラー展開とかフーリエ級数とかそういうやつ、 あるじゃないですか。アレが基本的に使えない。 理解はしてるんだけど、 全く勘が効かないんだ。 しかし、ジェネラルトポロジーをばっちり仕込まれた今なら、 あらゆる理解できるやもしれん。 昔のビセキの教科書でも、ちょっと読んでみるかね。

とり

10/24朝。じょびお(ジョウビタキのオス)を見た。

その後2日ほど自宅周辺に居たが、月曜の台風でゆくえをくらました。

10/29朝。今朝もアオゲラのドラミングが聞こえる。しかしこれはまた、 えらい近いな。 まるでうちの柱でも突ついてるんじゃないのか、っていうくらい近く聞こえる。 妻が庭からやってきて「アオゲラだよアオゲラ」っていうので、 俺も起きて、双眼鏡を出して来たが、姿は全く見えず。

だいたい、やつらは案外用心深くて、すぐ近くに居たとしても 姿は見えないんだよ。 木の後ろにまわりこんで、こっちから見えない位置に潜むからな。 キツツキってのはそういう鳥だから。 あんまり飛ぶのがうまくないかわり、そうやって身を隠すのがうまい。

突然ドラミングがやんで、しばらくしたら庭の上をハイタカが滑翔していった。

某月某日

調布に行った。

それで、ついでに自転車で野川沿いを乗った。 野川、じつに久々だなぁ。 いやぁ、何もかも懐かしいよ。 こんどは上流、野川公園に向かって乗ってみたい。 小金井に住んだ3年間も、じつに楽しかったよ。 良い思い出しかないよ。

帰りは、つつじヶ丘の隣の、なんとかいう小さい駅から電車に乗って帰った。 柴崎か。 あのへんの京王線の小さい駅は、なんとも良い味わいがありますね。 隣に、看板に「武蔵野のどうこう」みたいな事が書いてある、 ちょっと変わった店があった。 「流しそうめん」とも書いてある。 今調べたら、「炭火焼鮒宿」だって。 かなり気になる。


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