梅が咲く (2010/03/02)


2010/02/27

風邪ひいた。はげしく。

喉と鼻にきた。鼻というか左上顎洞。頬骨のあたり。

こういうときは、暖かいタオルを鼻というか顔面に当てると、 非常に具合が良いのな。 これを小学校高学年の頃、知ってりゃなぁ。

まぁとにかく週に一回は腹ペコになってぶったおれるような運動しないと、 体が錆びついてロクなことないよ。

proofs from the book 読んでる。 高度な予備知識は必要無いが、 だからといって簡単とは言えないのが数学で、 むしろ初等的な証明をつけた奴ほど偉い(つまりムズい)とされるのである。 以前からよく知っているもの以外は、 寝転がって読んで解るようなものは無い。 そりゃそうだ。

なぜ初等的なものほど偉いのかというと、それはつまり、 すごいライブラリを使って凄いものを作ってもそれは当り前であり、 どっちかというと凄いのはライブラリの方です。 そうじゃなくて凄い処理を実現したら、それは本当に凄いでしょう。

春のとり 2010/02/28

梅とシジュウカラ、メジロ。

花がたくさん咲いて、メジロはあまり食堂に来なくなった。 今日は枝にとまって相互羽づくろいや寝たりして幸せそうだ。

3月も雪が降ったりするから、まだ油断はできないけど。 ヒヨドリがメジロを威嚇することも無くなって、 うちの鳥食堂も多少は和やかになった。 まだハイタカやモズが居るけれど、 一番厳しい季節は乗り切ったといっていいだろう。 2/26には、ウグイスも鳴いた。

2月上旬は、次から次へといろんな鳥がやってくるのはいいが、 どの鳥も腹ペコで殺気だっていて、 こっちも気の休まる暇が無い。

ヤマガラの股の間から、ヒマワリを割った瞬間。 シジュウカラがヒマワリの種にちょうど穴をあけたところ。

これは撮影の裏話なのでどうでもいいんですが、 最近、焦点を手動で合わせてる。カメラ側は焦点固定で、 望遠鏡のフォーカスで液晶画面を見ながら合わすのです。 かなりワケの判らない職人ワザだが、 元もとボルトアクション単発の村田銃みたいな撮影システムなので、 もう、今更だ。 けっこう面白いし、枝の中に居る対象なんかはこれしか無い。

この方式の良いところは、カメラの焦点を一番近くに調整しておけば、 その位置で固定しとけば、肉眼では望遠鏡の焦点が合わないような近くでも、 撮影可能になる事である。 家の中から庭に居るものを撮影するとき重宝する。

リア充@メジロ

なんとゆうリア充

こちょこちょ。ぽりぽり。かわゆす

よく見てると、天気の良い日は毎日この木でこちょこちょやってます。

オリンピック

ちょっとだけ病院で見た。スノボのアルペンやってた。

ところでわしは採点競技は苦手だが、これを一切認めないかというと、 別にそんな事はない。

ただ、美しさを競う場合には、とりわけそうだと思うのだが、 優勝というのは単に二位の一つ手前の順位、ではない。 それは他の全てを支配する、それらに対して規範となる存在である。 だから、そういう存在が見出されない場合は優勝者無し、 とする選択があればいいのに、と二位と一位の違いがよく判らない場合に、いつも思う。 実際、音楽のコンクールなどでは優勝該当者無し、という結論を 時折みかけるのである。

誰にでもそれと判るような存在だけが一位に相応しい。

しけんにでないえいたんご

「選ぶ」といった場合、多くの人は「select」と言うのではないでしょうか。 しかし、英語圏では普通、単に選ぶという場合に select は使わないようです。

普通に「選ぶ」という場合は pick とか choose を使います。 では select はそれら普通の言い方とどう違うのでしょうか。

select はラテン語に語源を持つ、 いわば英語にとっては外来語です。 英語における、ラテン語源の語彙はちょうど日本語における漢語に相当する役割を持っています。 つまり select は「選択」 で、 choose は「えらぶ」です。 単に選べばいい状況でいちいち「選択する」って言ってると変ですが、 つまり違いというと、そういう感じでしょうか。

select という語彙自体は se + lect という構造を持っています。 se は「分離する」 lect は「 choose」 であり、 語の構造からすると「よりわけて選択する」というような意味内容ということです。 この切口から考えるのであれば、すなわち natural selection と、 natural choice の違い と言ってもいいでしょう。


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