全然風邪がよくならない。 何なんだこれは。げほごほ
電話だけできるやつが欲しい。 ネットワークとか要らないよ。
電話って個人で持ってないと具合悪いけど、 ネットワークでいろいろ調べたり見たりするのって、 結果を誰かのを見せてもらう事ができる。 だから別に自分の端末じゃなくてもいいんだよ。 わしの友達は、わし以外みんなそういう情報端末みたいのに 非常に詳しくて凄く使いこなしてるからね。
まぁ、メールはできても悪くないかもしれんな。留守電がわりにね。
携帯電話は今も持っているけど、 パケット定額みたいな契約は、もう何年もまえにやめて 通話のみ最低料金みたいなのに移行した。 電話は鞄に入れていて、身につけない。 見るのは一日に一度くらい。
身につけないのは理由がある。 じつは電話に近いところの皮膚がピリピリっと引っ張られるというか、 振動するというか、そういう感触があるのだ。 これはけっこう顕著な感覚で、 着信もしてないのに、電話が来たと思うほどである。 それでポケットから取り出してみても、 これが全く何もない。 おそらく、何か通信か情報処理をその際に、しているのであろう。 それが知覚できるほどの物理的振動につながっているのか、 それとも電位差とかそういう方面の現象なのかは 判らないのだが。
最初は気のせいだと思っていたが、 これが頻繁にある。 これが次第にわずらわしくなり、最終的に身につけるのはやめた。 常にあるわけではなく、ずぼんの前ポケットとシャツや上着の胸ポケットだと感じるが、 自転車ジャージの背中とか、ずぼんの尻ポケットに入れている場合は 何も感じない。
今日も咳は治らなかった。変だな。
緑色のハナ汁及び痰が鼻と喉からあいかわらずでてくる。 微妙に感染部位は遷移しているようにも見える。 久々にハナ汁を手バナでスカっと排出。スカッ! 超気分良い。 こう、一瞬でハナづまりを解決し、しかもその夾雑物は 体外へ排出される、というところがなんともたまらない。
まぁ位相幾何的には鼻の穴の中といえども体外なのであるが。
しゅるっと手を伸ばしてガシっと掴むニガウリのツル
見ていると、どうやら何かに触れるとぐるぐる巻き付くらしい。 ちょっと調べた範囲では、その仕組みは未だ解明されていない様子だ。
生物の体内には、様々な情報を伝達するための様々な物質が ある。 生成された地点から血液やリンパ液などに乗って運ばれ、 別の場所にある、その物質を受信する器官がこれに反応して、 必要な措置をとったりする。
このシステムの面白いところは、複雑系をエレガントに制御して、 必要になる膨大な種類の措置をとることができるようになっていることで、 わずかな種類の信号物質から何段かの生体反応を経て 膨大な種類の信号物質が適切なタイミングで生成されることで、 複雑系としての生命体の動的な安定性を保持するのである。
当然、植物であってもその例外ではない。
そういう仕組みの存在を暗示する、つるのふるまいである。
しかしこう、ツル植物というのは面白いもんですね。 自分で幹をたちあげると、その分のコストがかさむので、 幹はどこか他の木の幹をインフラとして free ride して、 葉っぱと花にコストを集中する作戦です。 ここで鍵になってくるのはいかに効率良くつかまるか、 というところなので、ツル植物のつかまり戦略は、 探索アルゴリズムと掴みアルゴリズムが様々に多様で面白い。
いやー最高に気楽でいい気分ですよ!わはは!
判った。俺は起業とか向いてない。全く向いてない。 なぜなら、怠け者だから!
妻の焼いたパン。超うめぇ。
デジカメ持って、横須賀行って来た。
今もなお、三笠の信号マストには、Zの信号旗がへんぽんと翻っておる。 以下、艦外にあった説明。
三笠は 1904年(明治37年)2月に始まった日露戦争において、 東郷大将が率いる連合艦隊の旗艦として、終始敵の集中砲火のなかで奮戦し、 同年8月10日の黄海海戦では露国東洋艦隊に大打撃を与え、 遂に 1905年(明治38年)5月27日の日本海海戦では、遠来のバルチック艦隊を 全滅させる偉功をたてた日本海軍の代表的な軍艦であります。
日本海海戦の大勝利は、世界史の流れを大きく変えたと言われますが、 この偉業を成し遂げた日本民族の誇りと自信を新たにするとともに、 その栄光を長く後世に伝えるために、その「シンボル」として、 三笠は1926年(大正15年)以来収蔵する多数の記念品とともに、 ここ白浜海岸に保存され、多くの人に親しまれてきました。
他にも、射貫されたロシヤの軍艦の装甲だとか、砲弾なんかが 艦外に展示してある。 艦内に立ち入るには入場料500円が必要。 一人で行ってもつまらんので同行者があるとき 中も見ようと思い、今回は外からの観覧。
三笠はイギリスで作られた当時の最新モデルの軍艦で、日本製ではない。 当然、安い買物ではなく、まだまだ貧しかった日本としては、 予算上も無理があった。
そんな状況下で予算を目的外に流用して、イギリスから買ってきた三笠は、 バルチック艦隊を撃滅する歴史に見る通りの活躍を見せる。 この柔軟な発想と実践を良き先例とは必ずしもなしえなかったところが、 今となってみれば当時のわが国の限界であろうか。 安全保障や外交における政策および予算の活用に関する説明責任は、 国民国家が直面する最も困難な政治的課題の一つであろう。 勝って兜の緒を締めよ、である。
誰しもが、己の敵前一斉回頭を行うとき、 魂のマストにはこのZの旗が翻っている。
釈迦堂切り通しがガケ崩れしていた。