魂安定所 (2010/06/23)


2010/06/20

ちょっとまえから実家に来ている。

あいかわらずなところと、様変りしたところがある。

尺とり虫とアシナガバチの巣。尺とり虫は自分としては、枝になっているつもり。 蜂の巣は、よくみると幼虫が入居している部屋がある。 巣の下に居るのが女王蜂で、他のよりもひとまわり大きい。

アシナガバチはスズメバチなどと近縁で、その食性は肉食。 他の昆虫、特に青虫なんかを団子にして 幼虫の食事にするのだそうだ。 これにより、毛虫青虫を敵とするような職業の人々からは、正義の味方とみなされているとのこと。

トリミング。 幼虫が入っている部屋と蛹が入っている部屋がある。 また、周辺部の建築中の新しい部屋には、卵が産んである。

せいじのこと

まえからずっと不思議に思っていたのですが、 最近なんとなくじつはこうなのかな、と思っている事があります。それは、いわゆる「ネット右翼」とかいわれる人々の 政治的立場についてです。

そういう名のもとに一つにまとめられるような政治的主張もしくは 人々のクラスタというのは現実には存在しません。 また、おそらく自己を「私はネット右翼です」と規定する個人も居ないと思います。 つまりこの用語は現時点では、たとえば「ネット左翼」の人などが 自民党支持者などを専らけなしたり馬鹿にする意図をもって使っているもので、 なにがしかの政治的主張を内包したものではない。

それにも係わらずここでその用語を使うのは、 「在来右翼」との違いを考える上で他に適当な用語が無いので とりあえず、という程度の事情と考えてください。

在来右翼の中には一定の割合で反米愛国と通称される層が居て、 その主張は読んでのとおり攘夷です。 右翼が反米になるか否かは、政治以外にもいろいろな事情があって 単純ではないのですが、 政治的な文脈における情動に焦点を絞るならば、 国家を第一と考える政治的主張が戦前との連続性を指向するのは自然です。 したがって右翼が反米であるための感情的な動機は歴史的に自明です。

ですから、ネット右翼であれ在来右翼であれ、 親米もしくは日米安保堅持という立場をとるとすれば、 それは説明を要する事態ということです。 しかも在来左翼が憲法9条を信仰するのとほとんど同様の態度で、 という事態であれば、なおさらです。 まず、簡単な仮定を幾つか作ってみましょう。

  1. ネット右翼は実は右翼ではない
  2. 安保を堅持する動機が政治的情動とは別にある

ロールモデルとしての戦前、という定石を外してもなお、 日本において右翼であり続ける事は可能か、という問いは重要ですが、 ここではそれはスキップします。 いずれにせよ、ネット右翼といわれる人達が時折とる、戦前への選択的な郷愁から見て、 彼らが国家主義的な主張に親近感を持っているとは言えると思います。 したがって、仮定の1は却下です。 ならば、他の動機があるのでしょうか?

もし政治的好悪や感情を差し置いて日米安保を肯定させる、 何らかの動機があるとすれば、それは何か?

現在、日本はアメリカの軍事的属国です。 軍事は政治の大切な道具なので、それはすなわち政治的従属をも意味します。 今日も日本の上空を誰に断る事もなくアメリカ海軍の戦闘機が飛行していますが、 日本の戦闘機が断り無くアメリカ領空を飛んだのは真珠湾奇襲くらいのものです。 ワシントンDCにいくと、国立墓地の隣にクソでかい硫黄島記念碑が 建っています。 スミソニアンにはエノラゲイの下に日本の戦闘機が押し潰されそうに展示してあります。 これらのモニュメントは、かつてわが国がアメリカのフロンティアであった名残です。

これはそのまま日々の暮らしの中で、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ自らの姿に 重なったはずです。 自分が耐えがたきを耐えているという事実に、 日本の軍事的、政治的従属がオーバーラップする、という事です。 かつて、このストレスへの対応は、会社をやめてどうするのかという具体的なイメージも ミッドウェーにお帰り願ったあと生じる軍事的空白への解決も いずれも皆無なまま、 「こんな会社、やめてやる」「ミッドウェー反対」と吠えるだけ吠えて、 朝になったら今まで通り出勤するというものでした。 そのうちなんとかなるだろう、と思いながら。

バブルが崩壊してしばらくたったころ、 終身雇用と一緒に「そのうちなんとかなるだろう」という漠然とした展望が消え、 それに伴って戦後民主主義への共感も失われました。 展望が失われてできた魂の真空地帯は心理的退行をひき起こし、 これが政治的従属を依存に書き換えました。 つまり軍事的空白の解決を「考えられない」だったものが「考えたくない」 となりました。 あとは、削除した戦後民主主義の代わりに未だ見ぬ戦前への郷愁をインストールすれば 完成です。 意地の悪い見方をすれば、自分が展望の無いまま 耐えがたきを耐えているのに、そこで国家に安保を克服されてしまったら、 自分の立場はどうなるの? みたいな夕刊ゲンダイ的ねたみそねみ怨みつらみの国家主義である。

ネット左翼がネット右翼を負け組だとか低学歴だとかいって けなすのは、そんな彼らの絶望を知っての所行でしょう。 「俺らはお前らほど絶望的な状態じゃないんだぜ」という わけです。 自分を棚に積んで申し上げますが、品性下劣ですよね、そういうのって。 でも、サヨクの連中がそういう立場にある、というのは全くそのとおりで、 日本の左翼は戦後民主主義的なイデオローグと既得権益層が一致したために、 まるで自称社会主義国の特権階級のような、 えもいわれぬ気色の悪い腐臭を放っています。

世の中に文句だけ言って終る、というような事は避けたいのは山々ですが、 バブルからも完全に疎外され、 就職活動というものを一度もやったことのない俺がこの状況に対して言える事は、あまり多くありません。 再編された連合艦隊を生きているうちに是非見たいが、その機は未だ熟してはいない、という事と、 石原将軍の最終戦争論は面白い、という事くらいです。 ちなみに最終戦争論は青空文庫で読めますよ!

あ、そうそう、政治という事でいうと私にも言える事がもう一つあります。 それは、飛んでいるミサイルよりも置いてあるミサイルのほうが、 片付けるのは簡単で確実だ、という事です。 法的には逆かもしれませんが。 しかし政治家にとって法とは守るものではなく作るものです。 それは傲慢ではなく、単に彼らの職掌の一部であり、 これを果たさないならば無責任との誹りを免れない類のものです。

2010/06/23

今日は沖縄戦終結の日だそうだ。

職業安定所

職安いってきた。というか先日らい、何回か行ってる。

俺が行ってる職安には、 申し込むと就職するための相談に一対一で乗ってもらえるサービスがあるのだ。 すなわち、キャリアパスをどのように設定するのか、 それに基づいて、 どんな求人に応募し、その際にはどのようなプレゼンテーションをすべきか、 などといった事を一緒に考えてもらえるというものだ。 先日は、これに申し込んでの第一回めだった。 そこで、webでダウンロードした履歴書と職務経歴を書いたものをもって、 行ってきた。

しかし開始早々に、「あなたに相応しい求人は、まず こういうところには来ません。そもそも、あなたなら 仕事を探すのに全く不自由しないでしょう」って言われてしまった。

しかし負けずに、「いや、そうではないのです。 私は、自分の特定分野における能力以前に、 社会的適応性という点で問題を抱えているので、できれば 職業適性のようなところでご相談願えないかと思っています」 と食い下がってみた。

そこで彼が出して来たのが、 「あなたのような人は、まずこういう所には来ないのですが、 そういえば2年まえでしたっけね、ある会社の研究所を定年退職した方が…」 と少し遠い目になりながら。 なにかといえば、要するにその人は支給の認定のためのハンコが欲しかったんだ、 そこで、とりあえず来るだけ来てもらってハンコだけ押したよ という話でした。

事前に時節がら、このサービス(face to face での相談である)の利用者は多く、 希望してもなかなか順番が回って来ないという状態が続いているという話は 聞いていた。 すなわちこれは婉曲ではあるが(ひょっとすると通常の社会性を備えた人には 十分に直接的な表現かもしれない)「おまえもハンコだけ押しに来いよ」 という意味であろう。 そのおりに、 「書類をみて、フジタさんは、正直これは変人だな、と思っていましたが、 話してみると、全然ちゃんとしてますよ!正常ですよ!」 とも言ってくれました。

そこで「わかりました。他にちゃんとこのサービスを必要としておられる方が あるわけですから、私もハンコだけもらいに来ることにします」 と申し上げました。 彼は時間外に直通電話で連絡してから来るように言い、 私は丁寧に礼を述べて辞去したというわけです。

リップサービスとしてもこんなうれしい事はない。 ひとから正常だとか社会性があると言われる事なんて絶無で、 かつ、それがこれまで原因で幾つも失敗を重ねて来たからね。 行って良かったよ、職安。俺にとっては、むしろ魂安定所。


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