遭難対策研究集会おわった。
わしの喋りはわりと好評だったようで、ひとまずよかった。
口頭発表資料はこちら(SlideShare) で、印刷資料(PDF)とはだいぶ内容が違うものになっている。もっとも、スライド自体も実際に喋った内容とは あまり一致していないかもしれません。
データを無視するような特攻系の登山者に話をきいてもらうための 工夫の中身を公開せよ、と中野さんからリクエストがあったので、 ここで申し述べますと、 「データが関係ないような登山とは要するに初登攀。 そんなもん、もう今時どこにも残ってない。 データ関係ない、って言う奴は、それを知っててあえて無視してる。 いいトシこいた大人の厨二病かっこわるい」 というのをデータの分析に先だって、オブラートに包んで申し述べました。
他に、事故は確率的事象である、というのもこの流れの中で説明しましたが、 これはちょっと難しくてしかも抽象的な話なので、 うまく伝えられなかったようです。
ところで口頭発表です。
同じ紙芝居なのに、そのおっさんが演じると毎回、全然ストーリーが違ってて、 しかもすげぇ面白い、 という話をどこかで聞いた事がある。
ボルヘスによると、 古代ギリシャ人は、書かれた内容は口頭で申し述べた事を補足する存在でしかない、 と考えていたそうだ。 これは別のところでみかけた話でウソか本当か知らんが、 アリストテレスが著書を公刊した際にアレキサンダーが「こういう知恵が皆に知られるというのは 良くないんじゃないか」 と言うのに対しアリストテレスは 「でも陛下、私は本は書きましたが、その説明は致しておりませぬ」 と答えたとか。 書かれたものは口頭による説明の付属品でしかない、というわけだ。
そしてなんといっても、学会が一番盛り上がるのは、 設備や発表者が不具合を起こした時の大御所の喋りですよね。
口頭発表というのは聴衆の反応を見ながら、 言いたい事に合わせた表現、動作、声でやるわけです。 書いたものと違ってあとから見直すということができません。 やる方としてはそれだけ大変ですが、 これは消極的なものの見方で、 自転車ロードレースの山岳や石畳と同じで、 誰しもがしんどい場面というのはパフォーマンスの差を見せる絶好の チャンスなのです。 また、あとから「ああ言えばよかった。こう言うべきだった」 なんてことになるのは、戦争や試合が終ってから 負け犬が未練がましくやってる「たられば」と同じで、要するに 発表テーマと聴衆に関する理解が足りないから起きるわけです。
そういえば、あまりこういう文脈で話題になることはないように思いますが、 交渉事も口頭発表と非常によく似ています。
交渉が下手な人は 「交渉がうまい」というとせいぜい、その場凌ぎの屁理屈をこねる能力が高い、 という程度の認識です。 そんな事ではまったく話になりません。 そして終ったあとで「あそこでああ言えばよかった」「まさか、あんな事を言って来るとは」 とか言うわけです。 なぜそういうことになったのか、という反省が全くない。
どちらも課題の理解の程度(と、考えるスピード)が問われるのです。 交渉では、その課題をよく研究している方が勝ちます。 交渉とは、焦点になるのは何か、自分の目標はどこか、 相手がこだわるのはどこか、 そしてその理由は何なのか、 これを徹底的に研究しておく事なのです。 交渉の達人というのは、その場でいきなり屁理屈を 思い付いているわけではありません。 知らなければ知っている方に押し切られて終る、というだけの話です。
そこで必要になるマインドセット、技術、そして準備は 口頭発表と共通するところが多いと思います。
まともな腕時計ってすげぇ便利だな。つまり、 時刻の狂いが1分以内で、うすぐらいところでも1分単位で時刻を読むのに苦労しない やつのことだけど。
特に電車に遅れそうな時とか、その便利さに痺れる。
近況とかを画像で
久しぶりにハヤブサの急降下見た。あと、何か捕って食べてた。ヒヨドリ?
何がどう近況なんだ、って事だけど散歩に行ったら富士山が雪かぶってました。 火鉢を出しました。久しぶりにハヤブサを見たら気分が良かったです、 という事です。